七話 訪問者
「三葉ちゃーん! 大丈夫かぁ?」
三葉が扉を開けると、共用部の廊下から場違いなほど明るい声が飛び込んできた。
そこに立っていたのは一人の若い男性。
二十歳前後だろうか。浅めに被ったキャップから、金色に染めた髪がツンツンと跳ねている。
「海斗先輩……」
「『先輩』はいらないって。バイト先では俺ら同期みたいなものだろ」
「でも……大学では私が後輩ですし」
「硬いなぁ、三葉ちゃんは。ほらこれ、一人暮らしって言ってたから食べ物持ってきた」
海斗と呼ばれた男は、中身の詰まったビニール袋を目の前で掲げてみせた。
そして「おお」と声を漏らすと、三葉の肩越しに部屋の奥をまじまじと見渡す。
「部屋広いね。ちょっと上がっていい? せっかくだから何か作ってやるよ」
僕は三葉のすぐ後ろに控えながら、その男を冷ややかに見据えた。
――弱っている女の子の部屋にこの時間から押しかけて、『何か作ってやる』だと?
不快感が、実体のない僕の胸を満たしていく。
できることなら、この男の鼻先で扉を思い切り叩き閉めてやりたい。
三葉は困ったように眉を下げて「えっと……」と言葉を濁しながら、助けを求めるように視線を彷徨わせた。
「ちょっと! 海斗! 先に行かないでよ!」
階段からカンカンと金属音を響かせて、別の女性の声が追いかけてきた。
不機嫌そうに顔を出したのは、茶髪のボブカットがよく似合う女性だ。彼女は海斗の腕をひっ掴むと、射殺さんばかりの鋭い眼光で彼を睨みつけた。
「一人で三葉ちゃんの部屋に押しかけないでくれる?」
「心配だったんですよ」
「デリカシーって言葉知らないの? あんた、彼氏でもなんでもないでしょ?」
「『まだ』彼氏じゃないだけです。杏奈先輩の顔、怖ぁーい」
杏奈と呼ばれた女性は、軽薄な海斗へ凍てつくような蔑みの笑みを向けた。
掴んでいた腕に容赦なく力を込めたのか、「痛い痛い!」と海斗が情けない声を上げる。
「杏奈先輩……」
「三葉ちゃん、体調どう? ちょっとまだ辛そうだけど熱は下がった?」
「だいぶ下がったと思います……海斗先輩と二人で来たんですか?」
首を傾げる三葉の問いに、杏奈は「違う違う」と驚くように手を振って、廊下の先の暗がりを指し示した。
「翔太も一緒。海斗と二人でなんて来るわけないじゃん」
「じゃあ、彼氏を放って二人で先に行くなよ。杏奈」
声と同時に、黒い縁の眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の男性が扉の先に現れる。杏奈はその男性に向かって「ごめん」と気まずそうに謝った。
「別に謝るほどのことじゃないよ」
杏奈を軽く見据えながら苦笑いをした彼は、「神崎さん、お疲れ様」と三葉に視線を移す。
「二人とも、飲み物買うの忘れただろ。下の自販機で買ってきた」
「わ! さすが翔太! 海斗とは気遣いのレベルが違うよね」
翔太と呼ばれた三人目の訪問者は、数本のペットボトルを抱えていた。お茶からスポーツ飲料まで種類が豊富だ。
それを海斗に押し付けるように差し出した時、彼の動きが不自然に止まった。
「あれ……?」
掠れた声を漏らし、信じられないものを見たというように、部屋の奥を凝視する。
「神崎さん……ここに住んでるんだ」
含みのある言葉に、杏奈が一歩部屋の中に足を踏み入れ、ぐるりと壁際を見す。その瞬間、彼女の瞳も驚きに大きく見開かれた。
「ここってもしかして……ハルの部屋?」
「うん」
翔太と杏奈が目配せするように視線を交差させる。
二人の顔には、小さな緊張が滲んでいた。
一方で、事情を飲み込まないとばかりに三葉と海斗は不思議そうに首を傾げている。
「なになに? なんの話? とりあえず、中で話そうよ。俺、三葉ちゃんにご飯作ってあげたいからさ」
海斗は翔太の肩に腕を回し「いいよね?」と強引に三葉に同意を求める。
断れ三葉。
めんどくさいぞこいつら。
――だが、僕のその願いは叶わなかった。
部屋に上がり込んだ三人は、それぞれに違う反応を示している。
「ここが三葉ちゃんの部屋かぁ」
軽そうな金髪男の海斗は居間をぐるりと見渡した後、キッチンに立ち、冷蔵庫や棚の中を確認する。
「食材なんにもないじゃん! 調味料も少ないし! ちゃんと食べてる!?」
無遠慮に騒ぐな。
三葉は、うどんばっか食べてるよ。
そして三葉と共にローテーブルを囲んだ杏奈と翔太の表情はどこか固く戸惑っていた。
三葉に「大丈夫?」と気遣う言葉をかけながらも、落ち着きなく部屋を見渡しているのだ。
差し入れられたスポーツ飲料を飲みながら、三葉も二人の様子に困惑の表情を浮かべていた。
「ハルの荷物……そのままだ」
「いなくなってもう一年以上経つよね……?」
三葉の目の前で繰り広げられる二人だけのやり取り。
もどかしくて、ため息が出そうになる。
「あの……『ハル』って誰ですか?」
流石に、三葉も耐えきれなくなったのだろう。
張り詰めた空気を切り裂くように、目の前の二人に質問をぶつけた。
三葉から投げかけられた純粋な質問に、二人は意味深に顔を見合わせて眉を下げた。
「三葉ちゃんは、ハルの知り合いじゃないの?」
「はい。もしかして……この部屋に前住んでいた人の名前ですか?」
三葉の質問に重苦しく頷いたのは翔太だった。
どう説明しようかと悩むように、難しい表情を浮かべながら、キョロキョロと周囲を見回す。
「ハルは、去年まで俺と杏奈と一緒にバイトをしていたんだ。突然バイトに来なくなったんだよ」
「結局、連絡つかないまま解雇になったんだよね」
二人は事実を確認しあうように顔を見合わせながら語った。




