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六話 ユーレイ君

 

 風邪薬を飲んで、しばらく横になった三葉の顔色はかなりマシになった。


 本音を言えば、もう少し休んでほしい。

 できれば、熱がしっかり下がるまで。


 でも、三葉は『目に見えない同居人』である僕の事を放置しておくことはできなかったようだ。


 ゆっくり身体を起こした三葉は、部屋を見渡せる位置――


 ローテーブルの前に姿勢を正して座り、見えない僕の姿を捉えようと視線を宙に彷徨わせた。


「……まだいますか?」


 コン――


 三葉の正面の壁を軽く叩いて音を立てる。

 彼女は音の出所を探すように辺りを見回した。

 何度も三葉の瞳が僕を通過するが、当然目に見える事はない。


 場所を特定できないもどかしさに、彼女は一度深く息を吸い込み、決意を込めるように小さく吐き出した。


「……私に出て行ってほしいですか?」


 いいえ。


 そう答えたいけれど、答え方がわからない。


 ちょっと!

 先にコミュニケーションのルールを決めてくれよ!


 僕の焦りが届いたのか、三葉はハッと首を振る。


「あっ、そっか。『はい』なら一度、『いいえ』なら二度、音を立ててください。……いいですか?」


 コン――


 気づいてくれてよかったと、僕は一度だけ短い音を鳴らす。


 三葉は小さく湿った咳をして、顔を上げた。その顔には、張り詰めたような緊張が滲んでいる。


「……私に出て行ってほしいですか?」


 コンコン――


 二度、明確に音を鳴らすと三葉は目に見えて肩の力を抜き、安堵の溜息を漏らした。


 そして彼女は、机の上に出たままの風邪薬と、中身の減った水入りのカップに視線を向ける。


「もしかして、心配してくれたんですか?」


 コン――


 そうだよ。

 本当、死ぬんじゃないかと思ったんだ。


「あなたは……幽霊ですか?」


 コン――


 幽霊以外何があるんだよ。

 地縛霊だ。この部屋から出られない。


「なんでこの部屋にいるの……?」


 コンコン――


 むしろ僕が知りたい。

 気づいたらこの部屋にいた。

 ずっといたような気がするけど、ほとんど思い出せない。


「分からないってことなのかな。……私に、できることはありますか?」


 その言葉を投げかけられた瞬間、僕の胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


 こんな風に真っ直ぐで優しい言葉を、また誰かにかけてもらえるなんて、思っていなかったから。


 涙が出る身体じゃなくてよかったと、素直にそう思う。


 コン、コン――


 三葉は「そっか」と小さく呟いて伏せた睫毛を微かに揺らした。


 その気持ちだけ受け取っておくよ。


「貴方は……女性なの?」


 そう言われて、僕は自分を見下ろした。

 とは言っても、僕の視界にも僕は映らない。


 記憶がないから性別も分からないけれど……

 多分男だと思う。


 三葉を……可愛いと感じて、危うい格好に狼狽え、自分を『僕』と定義しているのだから、きっとそうなのだろう。


 コンコン――


 その瞬間、三葉の頬がぴくりと痙攣した。


 視線が恐る恐る虚空を彷徨う。


「じゃあ……私が普段している格好も……見て……」


 コンッッ――


 そうだよ! バカ三葉!

 僕は悪くないからな!?

 家賃も払わず居座ってるのは僕の方だけど!

 こっちは致し方ない部分があるから!


 必死に言い訳していると、三葉は赤くなって宙を睨みつけた。その視線が偶然上手く僕を捉えていて、ドキリと心が飛び上がる。


「変態! 何で見てるの!」


 風邪薬の箱が宙を舞って、僕を通過し、背後の壁に当たった。


 こっちだって言い訳したい。

 瞼はないし、部屋から出られないのに、急に部屋で服を脱ぎ出すのはそっちだろ!


 僕は精一杯意識を逸らしたり、居間を出てる!

 なんなら、黒いモヤの方がガッツリ見てるぞ!

 下心丸出しで!


「変態! バカ! 変態幽霊!」


 反撃できない僕は、精一杯の抗議を音にぶつけた。部屋の四方八方で軽く音を打ち鳴らし、軽い物を次々と投げる三葉に抗議する。


「本当! いるならもっと早くに教えてよ……って、ふふふ。あはははは」


 怒鳴っていたはずの三葉が、突然、決壊したように笑い出した。込み上げる笑いを必死に堪えようとして、今度は激しい咳に襲われる。


 だからもっと休めって言っただろ。

 ……いや、言えてないけれど。


「ああ、なんだかおかしい。幽霊と同居してるなんて」


 笑いと咳を交互にしながら、目に溜まった涙をそっと拭う三葉。


 僕は、彼女の前のカップをそっと滑らせて、彼女の指先にまで持ってきた。彼女は僕の気持ちに気づいたようで「ありがとう」と礼を言って、水を一口喉に流し込む。


「さっき、助けてくれたんだよね」


 三葉は虚空を見つめながら、柔らかい陽だまりみたいに微笑んだ。彼女に触れた時とは少し違う温かいものが、虚な心を満たしていく気がした。


「呼び名がないと不便だからさ、ユーレイ君って呼んでいいかな」


 ネーミングセンスぅぅぅ!


 僕は頭を抱えた。

 ダサい。ダサすぎるって三葉!


 でも、僕に与えられた権利は「はい」か「いいえ」のみ。


 いいえと答えたら、きっとこの柔らかな笑顔が失われる気がした。


 コン――


 渋々妥協してるんだからな?


「これからよろしくね。ユーレイ君」


 三葉は笑顔で宙に手を差し出した。

 握手を待つ白く綺麗な手。

 僕はほんの一瞬だけ自制心を振り切って、その手に自分の存在しない指先を重ねる。


 また、熱が流れ込んでくる。

 温かくて、気持ちいい。


 僕とは対照的に、三葉は小さく身震いした。


「……冷たいんだね。ユーレイ君って」


 そうだよ。幽霊だもん。


 切なさに胸が痛む中、どう返事しようかと悩んだその時――


 部屋にチャイムの音が響き渡った。




ユーレイ君、認知されてしまいました。

物語、動きます(`-ω-´)キリッ✧

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