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三話 入居者への悪戯


 三葉は大学生らしい。


 毎朝決まった時間に起きて、朝食と弁当を作る。


 弁当とはいっても、手のひらに収まるほどの小さなおにぎりが二つだけ。


 前日に残ったおかずや、卵焼きやウインナーをつけることもあるけれど、食生活は極めて質素だ。


 それが、三葉の身の丈を物語っていた。


 洗濯は二日に一度。

 天気の良い日は布団なんかも干してから大学に行く。


 その姿を見送る事が、僕の平日の日課だ。


 バイトもしているみたいだ。週に四日は帰りが遅く、深夜近くまで帰ってこない。バイトがない日は部屋でテレビの音をBGMにしながら、教科書を広げてノートにペンを走らせる。


 単調な生活を送る、大学生の女の子。

 いや、どちらかというと真面目な方か。


 顔も可愛くて、前の住人の遺留品すらオーバーサイズとしておしゃれに着こなすセンスもあるのに、遊びに行くようなそぶりを見せたことがない。


 それはちょっと意外だった。可愛いのに。


 正直なところ、この部屋に住んでくれたのが三葉で良かったと心から思っている。


 目のやり場に困るような無防備極まりない格好ばかりしている点を除けば、不快なことは一つもない。


 同居相手が、無口な黒いモヤだけなのも憂鬱だった。そこに、ガサツで不潔な男なんかが越してたら……


 うん。きっと憂鬱を通り越して発狂していたかもしれない。


 住民はこの部屋から好きに出ていける自由があるが、僕には出ていく自由がない。


 どんなに『嫌だ』と思っても、この部屋に閉じ込められたままなのだから。


「わっー! ヤダッ! 寝巻き忘れた!」


 脱衣所から聞こえる三葉の悲鳴。

 数秒後、湯気を纏ったキャミソール一枚の彼女が部屋に飛び出してくる。


 だーかーらー!!!

 何度目だよ!

 ほぼ毎回忘れてるぞ!

 服を着て歩けって!!


 取り込まれた洗濯物から寝巻きを探す彼女とすれ違うように、僕は脱衣所に逃げ込んだ。


 脱衣所とはいっても、扉はない。

 築年数を重ねた古い1DK。単身者用アパートだからだろうか。


 洗濯機置き場と洗面台はある。風呂とトイレも別なんだから、脱衣所に扉くらいつければいいのに。


 三葉が後から付け足した突っ張り棒。そこから吊り下がる薄いカーテンをすり抜けて脱衣所に入ると、古びた洗面台の鏡が湯気で曇っていた。


 ――『バカ』


 存在しない指先に意識を集中して、鏡面の結露をなぞる。一筆書きのような痕跡を残し、僕は脱衣所を後にした。


 直後、パタパタと焦った足音を立てて三葉が戻ってくる。


「何……これ」


 彼女の震えた声に、つい心が踊った。

 枯れかけていた感情が、再び芽吹くように顔を出す。


 確かめるように鏡面の文字を指でなぞる三葉。消えた結露の隙間から、彼女の怯えた顔が映り込む。


 流石におかしいと気づいたか?


 三葉は震える手でタオルを掴むと、すぐに鏡面の結露を拭った。文字を見た事実を消し去るように、何度も何度も、念入りに。


 振り向いた彼女の瞳に、じわりと涙が浮かんでいる。キツく結んだ唇は、僅かに震えていた。


「気のせい……だよね」


 ほら怖いだろ。

 これに懲りたら、次はちゃんと寝巻きを持っていけよ。


 溜飲を下げた僕は、置き去りにされた小動物みたいな顔をしている三葉を置いて居間に戻る。


 こんな高揚感は、死んでから初めてだった。


 鈍感な三葉は、僕が立てる小さな物音や冷気を、全て『気のせい』で片付けてしまう。

 でもこの時、三葉は確かに僕の存在を感じていた。


 同じセリフだったけど、間違いない。

 この部屋に――

 自分以外の誰かがいるということを。



 この日から、僕は時々三葉に『いたずら』を仕掛けるようになった。


 正直、地縛霊なんて死ぬほど退屈だ。

 黒いモヤは相変わらず地面にへばりつき三葉を見つめるばかりで話し相手にもならないし、部屋から外に出て散歩に行くことも叶わない。


 部屋でぼーっとしているだけの毎日に僕は辟易していた。誰かに反応を返してもらえることに飢えていたんだ。


 とはいっても、三葉に出て行かれるのは困る。

 だから、あくまで少しおどかすだけ。

 それが僕が決めたルールだ。


 雨の日に結露で曇ったガラス窓に落書きをしたり、机の上のペンを転がしたりする。


 ただそれだけで三葉は「ひゃっ!?」と変な声を上げたり、涙目になったりと色々な顔を僕に見せてくれた。


 一番可愛いと思ったのは、『おばけなんてないさ』を涙声で歌いながら、僕が机から落としたペンを探していた時。


 失敗だったのは、物を落とす場所を間違えると、黒いモヤが三葉の禁断の領域を覗き込んでしまう形になるということだ。


 三葉がスカートの時は、絶対に物を落とさないと決めた。


「ご飯でーきた!」


 思考に耽っていると、キッチンにいた三葉がトレイを持って居間に戻ってきた。


 トレイに乗っているのは、温かい、具なしのうどん。今週このメニューを見るのは三度目になる。


 というか、うどんの頻度が高い。高すぎる。


 極度のうどん好きなのかもしれないけれど、もう少し他にも食えよ。ちゃんと料理できるだろ。


「あ! 今日はまだあるんだった!」


 立ち上がった三葉がキッチンへと戻っていく。

 冷蔵庫が開く音がして、戻ってきた三葉の手には市販の『きつねあげ』があった。


「金欠なのに奮発しちゃった」


 宝物を扱うように、「きつねあげ」をそっとうどんの上に乗せる三葉。滲み出る汁を噛み締めるように、きつねあげを齧った彼女は、今日一番の幸せそうな笑顔を浮かべた。


「うーっ! 美味しい!」


 麺をちゅるちゅると啜るささやかな音が部屋を満たす。


 どうやら、三葉は相当な苦学生らしい。

 昼はおにぎりで食費を削ってるし、遊びに行く気配もないのに。それでも金欠なのか。


 キッチンを見ると、冷蔵庫がほんの少し開いていた。三葉がさっき慌てて閉め損ねたのだろう。


 ……仕方ないなぁ。


 バタン。


 僕は意識を集中し、その扉を閉めてやった。

 その音と同時に、三葉の肩がビクリと跳ねる。


 彼女は箸を止めたまま、恐る恐る後ろを振り返った。視線は僕を通りこして、固く閉ざされた冷蔵庫に注がれる。


「また……変な音。うう……幸せな気持ちを台無しにしないでよぅ」


 心外な。

 電気代のために閉めてやったんだろ!


 元気を萎ませた三葉は、つるつると残ったうどんを力なく啜る。その怯えた小さな背中に、僕の胸にチリリと罪悪感が滲んだ。


 ……いや! 今回は僕、悪くないよな!?

 

 


幽霊との同居開始。

ゴリゴリ怪異満載の事故物件。

絶対住みたくない←


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