十三話 【三葉視点】私の部屋に住む幽霊
講義が終わった後、自習室で課題のレポートを書き、急ぎ足でバイト先の居酒屋に向かった。
開店前の居酒屋。スタッフ用の勝手口から中に入り、鞄から黒のシャツを取り出す。
着替えを済ませて事務所から外に出ると、すでに杏奈先輩と翔太先輩が店の奥の席を使って賄いを食べていた。
開店時間から勤務する私の分も、すでに同じテーブルに並べられている。
「三葉ちゃんお疲れ! 今日はチャーハンと唐揚げだよ」
「唐揚げは俺が揚げた。無性に肉が食べたくてさ」
「わ! ありがとうございます! 唐揚げなんて久しぶり!」
無表情でピースをする翔太先輩と、隣の席をポンポンと叩いて手招きする杏奈先輩。
招かれるまま、杏奈先輩の隣に座った私は「いただきます」と手を合わせる。温かい唐揚げを一口齧ると、肉汁がじゅわりと口の中に溢れ出した。
「おいひいっ……」
「神崎さんは美味しそうに食べるから、作り甲斐があるよ」
満足そうに目を細めて笑う翔太先輩に対して、杏奈先輩は心配そうに眉を顰めた。
「まともな物ちゃんと食べてる? 海斗が冷蔵庫に何もなかったって言ってたよ?」
「食べてますっ! ただお給料前はやっぱりちょっと苦しくて……」
「三葉ちゃん、全部自分で払ってるって言ってたもんね。土日はコンビニでもバイトしてるんでしょ?」
「午前中だけですけどね。スーパーにある一玉三十円のおうどんってありがたいです……」
頑張れば一食五十円! と拳を握ると、杏奈先輩は「ダメじゃん!」と声を荒げる。
正直、賄い付きの居酒屋アルバイトの存在は本当にありがたい。このバイト先のいい所は、開店前に賄いを出してもらえる所だ。
お腹を満たしてから働く方が、スタッフの活気に繋がるからだと店長が言っていた。
店長の作る賄いは豪華だし、杏奈先輩を筆頭にスタッフもみんないい人で働きやすい。風邪を引いたらお見舞いに来てくれて、今度は部屋の大掃除を手伝ってくれるっていうんだから。
「そうだ。杏奈先輩と翔太先輩は、私の部屋に前住んでいた『ハルさん』をご存知なんですよね」
「ハル? そうだよ。二年近く一緒に働いてた。翔太と……すごく仲良かったよね?」
杏奈先輩が尋ねると、翔太先輩はメガネのフレームを指先で押し上げながら「ああ」と頷いた。
「フリーターの俺と違ってハルは大学生だったけど、毎日のようにバイトに入ってたからな。気も合ったし」
「キャンプも行ってたじゃない。男二人で!」
「ハルが好きだって熱く語るからさ。どんなものか体験してみたいって言ったら、山奥に連れて行かれたんだ。ちなみに杏奈は来なかった」
「だって、キャンプなんて写真映えしないんだもん」
杏奈先輩らしい理由に思わず笑ってしまう。
二人は食事の手を止めて、彼を懐かしむように遠い目をした。
「最初は口数が少なくて取っ付きにくい奴だと思ってたけどさ。いい奴だったよな」
「お人好しだったしね」
笑いながらハルさんとの思い出を語る二人に、こっちまで胸が温かくなり笑みが溢れる。
「海斗先輩や私と大学も同じだったんですよね? 海斗先輩の持っている教科書と部屋にある教科書が同じで」
「あ……そっか。確かに一緒だね」
「海斗かぁ。面識あるかな? 海斗は三回生でしょ? というか、あの二人は合わないだろ。ハルがいいように使われそう」
「確かに! 海斗ってそういう所あるよね!」
杏奈先輩が同意を示すように声をあげて笑った。
翔太先輩は見かけに反して結構ハッキリものを言うタイプだから、押しが強めな海斗先輩と上手くやれているのかも。杏奈先輩だってそうだ。
私はどうだろうな……断るのは少し苦手。
つい、顔色を伺ってしまう。
ハルさんも、私と同じで断るのが苦手なタイプだったのだろうか。
「優しい人だったんですね。でも、どうして失踪なんか」
「分からないの。ある日、突然来なくなったから。無断欠勤するようなタイプじゃなかったのに」
杏奈先輩はお箸を置いて、重いため息を吐き出した。翔太先輩の顔にも暗い影が落ちる。
「……でもほら、母親にちょっと問題があるって言ってただろ。入学直前に、ハルの学費を全部ホストか何かに使ってたって」
「ああ……親戚にお金を借りてなんとか入学金を支払ったんだよね。それなのにさ、母親からお金貸してって電話がきてた事なかったっけ!?」
「あったな。あいつ珍しく怒ってたもん」
気まずそうに『家族から逃げたかったんじゃないか』と推察する二人。
顔も知らないハルさんの事情にぎゅっと胸が締め付けられた。
家族がいることが必ずしも幸せや救いに繋がるとは限らない。養護施設にも似たような事情や親を抱えていた子がいた。
『三葉はいいね。親に振り回されることも、裏切られることもないんだから』
――そう言われたこともあったっけ。
私は『親』がいるというだけでも羨ましいと思っていたけれど。
抱えた事情は……人それぞれだ。
そして、その痛みの形も。
杏奈先輩は「ダメダメ」と小さく首を振った。
「暗くなっちゃった。ハルの部屋を片付ける前にこんな話やめよ」
「そうだな。夏休み入ってからだっけ」
「うん。勤務表が出てからかなぁ。海斗も来るんでしょ?」
「あっ……はい。海斗先輩も手伝ってくれるって……」
私への質問に、翔太先輩はふと訝しげな目を杏奈先輩に向けた。
「えっ、そんな話いつでたの?」
「この間、海斗にチラッと話しちゃったんだ。そしたら海斗が一緒に行かせてって」
「杏奈に? いつ?」
私は二人の間に流れるピリッとした緊張感を感じ取って顔を上げた。
「休憩が被った時にたまたまね! 二人で会ってたとか、そういうのじゃないから!」
「どうして杏奈に」
翔太先輩はクールそうに見えて意外と嫉妬する。杏奈先輩がお客さんに絡まれたり、他の男性スタッフと話すとあからさまに態度を変えるのだ。
海斗先輩が「杏奈に翔太が張り付いてる」と言っていたのも、彼にこういう一面があるから。
杏奈先輩はそんな翔太先輩に特大のため息をついた。
「三葉ちゃんを狙ってるからに決まってるでしょ」
ニヤリと笑った杏奈先輩が「ね?」と私の顔を覗き込む。翔太先輩も「ああ」と理解したように頷きながら私に視線を向けた。
「で? 三葉ちゃんは彼氏いるの? 海斗はどう?」
「彼氏なんてそんな! 考えてたことないですっ!」
手と首をブンブン振りながら答えると、彼女は愉快そうに笑う。すると何かを思い出したように「そうだ」と手を叩いた。
「じゃあ当日は、私だけ午前中にお邪魔するよ」
「ええっ!?」
「だって海斗の前で服の整理できないじゃん」
「俺も巻き添いかよ!」
翔太先輩の情けない声。私は苦笑いを浮かべて「お願いします」と肩をすくめた。
ハルさんの私物が多く入っているクローゼット。そこには当然、私の服や下着なんかも入ってる。
翔太先輩もそうだけど、男性の前で堂々と整理できない場所だ。
海斗先輩はいい人だとは思うけれど……
本当に手伝ってもらっていいのだろうか。
どうしても恋愛対象になんて見れないのに。
それに、今は彼氏なんて作れると思わない。
お金もないし時間もない。
ユーレイ君がいるから部屋にも呼べないし!
その時、初めてユーレイ君としたやりとりを思い出した。風邪を引いて倒れた私を助けてくれた時。
そうだ。ユーレイ君、私の部屋着どころか下着姿まで見てるんだ。ベッドに運んだってことは、抱きかかえたってことだよね!?
「ちょ……三葉ちゃん! 顔赤くなってる!!」
「もしや海斗!? 海斗に対して!?」
「違います! 海斗先輩じゃありません!」
熱が集まる頬をパタパタと両手で仰ぎながら答えると、杏奈先輩が「へぇ」と目を細める。
「海斗、ご愁傷様。恋が破れる姿を特等席で見せてもらおっと」
「杏奈先輩っ!」
二人の笑い声が店内に響き渡った。
やがて店の開店時間が近づき、私たちはそれぞれの持ち場で仕事を始めた。居酒屋はいつも大盛況で、後から来た海斗先輩も加わりみんなで店を回していく。
大学では、お昼をみんなのように学食で食べなかったせいで友達作りに失敗してしまった。
部屋には幽霊もいて、最初は落ち込んでいたけれど。
――今、結構楽しいかも。
それもこれも、あの部屋に住めたからだよね。
幽霊付き、1DKの家賃格安アパートに。
このまま楽しい時間が続けばいいのに、と私は静かに願った。




