十二話 【三葉視点】私の部屋に住む幽霊
「海斗先輩」
「三葉ちゃんおはよ。今から講義?」
「いや……講義は二限目からなんですけど、レポートがまだ終わっていなくて。私、パソコン持ってないから」
海斗先輩は三回生。
入学式の後、サークル勧誘の喧騒の中で声をかけられたのが最初だった。サークルに入る時間なんてないから断ったのだけれど、その後偶然、バイト先が一緒になる。
アパートから近い居酒屋。入ったのは私の方が少しだけ先だけど、彼とは殆ど同期だ。
「あれ? ノートパソコン、部屋にあったでしょ?」
「あれは……前に入居していた人が残していった物なんです。勝手に使う訳にもいかないなって……」
「真面目だねぇ。それでわざわざ早く来るなんて。適当にサボっちゃえばいいのに。英文科でしょ?」
「勉強したくて入学したから……」
揶揄うように笑う海斗先輩に向かって、私は苦笑いを返した。親も親戚もいない私は、人の何倍も『ちゃんと』していなきゃいけないんだ。
養護施設出身者の大学進学率は低い。
純粋にお金がないから、教育を受けられないのだ。
奨学金を得て大学に通う人もいるけれど、生活を支える為にバイト重視の生活となり結局大学を中退する……なんて事も多い。
転落するのは一瞬だ。
転落した後、親がいない私には助けてくれる人もいない。
「そうだ。杏奈から、部屋を大掃除するって聞いたよ」
「そうなんです。その……前に住んでいた人の荷物、そろそろ片付けたほうがいいんじゃないかって言われて」
「俺もその方がいいと思う。だって気持ち悪いでしょ。前の人の荷物が残ってるなんて」
家具や家電、調理器具や食器を一から揃えるとなると沢山お金が必要だから、ありがたく使わせてもらっているんだけどな。
なんなら、カーディガンやパーカーなんかの衣料品も使ってしまっている。今日の服装だってそうだ。
古着だと思えば何とも思わない。施設では古着ばっかりだったしね。下着とかは……まあ流石に封印させてもらったけれど。
でも、ハルさんが残した全部が必要という訳ではない。本当にもう彼が帰ってこないのなら、そろそろ不要な物は処分してもいいかもと思っていたのは本当だった。
触ってもいいのか分からなくて、確認できていない荷物もあるしね。
「とりあえず、絶対使わない物だけ捨てようかなって思ってます」
「なら俺も手伝うよ」
「え? でも……」
「だって翔太も来るんでしょ?」
杏奈先輩と翔太先輩。
二人はバイト先で何かと面倒を見てくれる私の先輩カップルだ。派手な身なりで絵に描いたような女子大生の杏奈先輩と、いつも穏やかに彼女を見守る翔太先輩。
見た目も性格も正反対のカップルだけど、いつも一緒で仲が良い。
杏奈先輩の提案である大掃除に、「じゃあ俺は車を出すね」と翔太先輩は静かに参加表明を出していた。
「翔太先輩は、杏奈先輩の彼氏だから……」
「あの二人いつも一緒だもんな。というか、杏奈に翔太が張り付いてるって感じ」
「杏奈先輩は綺麗だから心配なんですよ」
私達が働いている居酒屋で客から強引に連絡先を聞かれる杏奈先輩を、キッチンから飛んできた翔太先輩が牽制していた光景を思い出す。
海斗先輩は話を大掃除に戻して、さらに言葉を重ねた。
「男手があったほうが何かと助かるでしょ? 翔太みたいに車を出したりはできないけど、重たい家具を動かしたりはできるだろうし」
「そんな……悪いですよ。それほど広い部屋じゃないし、引っ越すわけでもないのに」
「大丈夫だって。俺、三葉ちゃんと仲良くなりたいだけだから。それとも、翔太はよくて俺はダメなの?」
その言い方はずるい。
うまく返せず、私は口ごもった。
バイトでは同期、だけど大学では先輩。
どう対応して良いかなんてわかんないよ!
「今日って三葉ちゃんもシフト入ってる? 杏奈と翔太に俺も行くって話すからさ」
「あ、はい」
「なら決まり。じゃあ俺も講義行ってくるわ。もうすぐ実習だから忙しくて」
決まっちゃった……
複雑な気持ちになりながら、別の会話を必死に探して口を開く。
「海斗先輩って何学部でしたっけ?」
「あれ? 話したことなかったっけ? 環境科学部だよ」
「ああ……三回生の夏の実習って大変なんですよね。オリエンテーションで言ってました」
「そう。山の中に籠らなきゃなんだ。凄く面倒なゼミに入っちゃってさ。夏に行くなんて地獄だよ」
海斗先輩はめんどくさそうに鞄を開けて私に見せた。大きく膨らんだ鞄には分厚い教科書やノートパソコンが入っている。その中で『森林計測学』と書かれた本が目に入った。
……あれ? この本、見たことある。
海斗先輩は「じゃあまた夜に」と私に手を振って、足早に森林科学科のある三号館へと去っていく。
遠ざかる背中に手を振り返しながら、私は記憶を辿った。
間違いない。あの教科書はうちにもある。
前の住民だった、ハルさんの本棚に――




