↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

十話 黒いモヤ

 あれから――

 力を使い切ったのか、黒いモヤが再び蠢くことはなかった。


 けれど、あの落下した包丁が黒いモヤの害意によるものだとしたら……


 僕がやったラップ音や落書きとは次元が違いすぎる。怪我をさせるつもりだったのだ。包丁を落として。


 いつ、また三葉に襲いかかるか分かったもんじゃない。 


 三葉が部屋にいる時は、彼女と黒いモヤから目を離さないよう気を配った。


「ユーレイ君。見てみて! 心霊特集だって!」


 そんな幽霊側の事情なんて知る由もなく、三葉は今日も呑気に慎ましく暮らしてる。


 誰もいない虚空を見上げて、おどろおどろしいオープニングが流れるテレビを指差した。


 じき夏が来るからだろうか。人気のホラー映画や視聴者から届いた心霊写真、動画を紹介する番組らしい。


「あはは! 物が動いてる! ユーレイ君もできるやつだ」


 笑い声を上げながら共感する番組じゃないと思う。それでも三葉が楽しそうなので、番組内で紹介された怪異と同じ現象を起こしてみせた。


 音を立ててみたり、物を動かしてみたり、室温を下げてみたり。三葉はその度に子供のように目を輝かせる。


「ユーレイ君の方が器用だよね。ホラー映画のお化け並みじゃない?」


 比較する対象がホラー映画かよ。


 でも最初からここまでできた訳じゃなかった。少し物を動かすだけで精一杯だったのに。


 最初は慣れの問題かと思っていたけれど、明らかに力が上がっている。幽霊にも伸び代があるらしい。


「あ……これって前にみた血文字じゃない?」


 視線を向けると、壁に浮かび上がった血文字に叫び声を上げる再現シーンが映し出されていた。


 うん、客観的に見るとめちゃくちゃ怖い。

 幽霊なのにぞくりとしてしまった。


「今思うと、伝えたい事があったんだよね? でもこれは、流石に怖かったなぁ……ああ、私もうダメだって思ったもん」


 三葉は懐かしむように少しだけ遠い目をする。

 これは再現しない方が良さそうだ。


 あの時は本当にごめん。

 せめてちゃんと文字になっていたら良かったんだけど。


 番組は進み、最後に心霊写真の特集となった。

 画面いっぱいに表示される写真。誕生日会だろうか。目元を隠された人々は、みんな幸せそうに笑っている。


 一見するとなんの変哲もない一枚の写真だが、違和感に気づいたゲストの悲鳴がテレビから上がった。


 ああ、これかぁ。

 よく見ると、黒い煤のようなものが部屋の彩光に反して壁の隅に不自然にこびりついている。


『ああ、これは良くないですね……』


 画面が切り替わり、コメンテーターの霊能者が難しい顔をして唸った。


『負の感情が集まるとこういう姿になるんです。怨霊にも当てはまるのですが……強い未練や恨み、恐れなどが凝り固まった、純粋な負の感情の塊です』


 怨霊……?

 僕は、黒いモヤに視線を向けた。


 紹介された心霊写真と確かによく似ている。


『早めにお祓いを受けるべきですね。部屋に憑いているのなら、長い時間生きている人と過ごす事で力をつけ、悪さをするようになるかもしれません』


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくざわついた。僕が意識を取り戻し徐々に力をつけたように、黒いモヤも少しずつ育っている。


 僕は自分の意思で幽霊としての力を使っているけれど、こいつはどうなんだ?


 負の感情が集まった塊ならば、意思はあるのだろうか?


 獣のように、人に害を成すだけ?


「もういいかな。私、お風呂入ってくるね」


 三葉は最後まで見る事なくテレビを切って立ち上がった。その後ろ姿を見送って、僕は再び思考の海に沈む。


 僕が出来ることは少ない。

 その中で、僕は必死に記憶を掘り起こそうともがいた。 


 僕はずっとここにいたはずなんだ。


 『ハル』が暮らしていた時から、きっとここにいた。じゃないと、体温計の場所を思い出せるはずがない。


 記憶を手繰れば、手がかりが掴めるかも。


 急に動き始めた黒いモヤ――


 この部屋で殺されたハルと彼を解体した犯人について。事件の真相が、先日ドアノブを揺らした不可解な出来事とも繋がっている気がする。

 

 ――ハルが犯人に解体されていた時、部屋は異常なほど散らかっていた。


 テーブルの上には画面が割れたスマートフォン。


 大小様々な袋、アルミの容器や棒のような物も床に転がっていた気がする。


 何かを探していたみたいな散らかり方だった。


 それらは僕が意識を失っている間に片付けられていたから、よく覚えていないけれど……


 日を跨ぎ、三葉が大学やバイトでいない間も僕は部屋を歩き回った。


 本当はクローゼットの中や、ベッド下に詰め込まれたままの荷物、収納棚を開けたりなんかして記憶を呼び起こせないか試してみたかった。 


 でも、変に力を使いすぎる訳にもいかない。

 また黒いモヤが動き出した時、三葉を守れないのは困る。


 三葉に『部屋を見せて欲しい』と頼みたくてまた血文字に挑戦したが、やはり理解できる文字じゃなかった。


 その上、三葉にめちゃくちゃ怒られたし。


 部屋のカレンダーが七月に切り替わり、三葉が「もうすぐ夏休みだー!」とはしゃいでしばらくの事。


 突然、僕に転機が訪れた。


「ユーレイ君。今度、部屋を大掃除しようと思うんだけどいいかな」


 大掃除?

 このタイミングで?


 夕食時の突然の提案。

 三葉の目は向かいに座っていると仮定された僕に真っ直ぐ注がれている。


 ちなみに、僕に供えられた夕食は小さなお皿に一口ずつ盛り付けられている形だ。


 沢山用意してもらっても、実際食べられる訳じゃないし食費だってかかる。苦学生の三葉に続けさせる訳にいかない。なかなか意図が伝わらない『はい』か『いいえ』だけのやり取りで試行錯誤した末、ようやくこの量に落ち着いた。


「引っ越した時に、大家さんは警察の捜査も終わったから荷物を処分していいって言っていたけれど……もしかしたら取りにくるかもしれないと思って触ってなかったんだ」


 三葉はハルの荷物ばかりの部屋をゆっくりと見渡した。部屋は三葉によって綺麗に整えられているが、これまで荷物を全て引き出して掃除したことはなかった。


 彼女は優しすぎたんだ。

 引き出しの中一つでさえ、覗き見ることも少なかった。


 クローゼットの中にある衣装ケースに至っても、ハルの遺品と自分の服をきっちり分けて片付けていた事を、僕は知っている。


 コン――


 記憶の手掛かりになるかもしれない、と僕はテーブルを叩き一度音を鳴らした。三葉はそれを聞いてふと表情を緩める。


「前に来た杏奈さん達と最近よく話すんだ。教科書とかもそのままにしてるって言ったら驚かれちゃって。片付けるのを手伝ってくれるって」


 ……え?


 ざわりと胸が騒いだのは、きっと前回彼らが来た後に、三葉が昏倒したからだ。


 あの三人の中に『三葉に薬を盛った犯人』がいる事だけは間違いない。ドアノブを動かした人物も同一と考えた方が自然だろう。


 そんな奴らを、再びこの部屋に入れる……?


「だから、大人しくしててもらわなきゃいけないけれど。よろしくね」


 僕の動揺に呼応するように、ガタガタとティッシュの箱が揺れた。パン、パンと乾いた音が部屋の至る所から響く。


 三葉は音のなる方へと首を動かしながら「え、えっ!?」と慌てふためいた。


「嫌だった……!?」


 嫌だとかそうことじゃない。

 危険なんだ!


 ただ、それをうまく説明できなくて、混乱した音だけが周囲に響く。


「ユーレイ君、どうしたの? 大丈夫!?」


 カタカタと揺れるテーブルの上から、箸が床へと転がり落ちた。三葉の目と声が恐怖で小さく揺れる。


 ごめん、違うんだ。

 三葉を怖がらせたいんじゃない。


「冷たい……そこにいるの……?」


 テーブルから身を乗り出して、三葉がこちらへと手を伸ばした。


 触れられた感覚はないのに、三葉の手のひらから、血流のような温かい何かが身体に流れ込んでくる。


 ……この温かいものの正体が分かった。


 僕は、三葉から『生気』を吸い取っているみたいだ。奪った何かが、曖昧で不確かな存在に輪郭を与えてくる。


 僕の力が増しているのは、きっとこれが原因。

 絶対感じるはずのない自分の身体から、鼓動のような脈動を感じた。


 溢れるような多幸感と、それを上回る罪悪感に胸が引き裂かれそうになる。

 

 ダメだって……!!!

 

 バリンと音を立てて、机の上のグラスが割れた。


 引っ込められる三葉の手。

 それと同時に、僕の身体から温度と多幸感が失われる。


 制御できない感情と力が恐ろしくて、僕はその場から駆け出した。玄関から外に出ようとした僕は、透明な壁に弾かれ床の上に倒れ込む。


 なんだよクソっ……!


 キッチンと脱衣所を隔てるカーテンを通り抜け、逃げるように浴室に入った。


 あるはずもない身体に膜が張られるように、湿気がまとわりついてくる。


 僕は……ただ怖いんだ。

 もし――目の前で三葉を失ってしまったら?


 目に見えない害意が彼女に危害を加えることが怖い。


 あの温かな笑顔が奪われるなんて耐えられない。


「ユーレイ君……そこにいるの?」


 すりガラスの向こう側に、三葉のシルエットが浮かび上がった。


 なぜここが?

 不思議に思っていると、小さなラップ音がお風呂場に反響していた。そのせいで居場所がわかったみたいだ。


 僕は、お風呂場の赤い色の蛇口を捻った。

 湯気が立つほどの熱い湯が激しい水音と共に蛇口から出てきて、すりガラスが曇っていく。


「ユーレイ君?」


 三葉の声はずっと震えてる。


 怖いのだろう。

 僕にだって不気味な自覚はある。 


 それでも、三葉は僕に寄り添おうとここまできた。


 そうだ。僕は――三葉の事が好きだ。


『大丈夫。ぼくがきみを守るから』


 まるで小学生が書いたような下手くそな字が、すりガラスに浮かび上がった。


 どこまでも優しい陽だまりのような、この女の子を守りたい。

 

 だから、この1DKの部屋で彼らの悪意を見定めるんだ。


 僕なら、それができる。


 僕は誰にも気づかれない。

 目には見えない幽霊なのだから。


 浮かび上がった文字は、三葉から見たら鏡文字だけど、彼女はちゃんと読み取れたらしい。


 すりガラスの向こう側で、笑顔の三葉が頷いた気がした。


 


ユーレイ君がんばれ!と思っていただけましたら、ブックマーク、評価をいただけますと幸いです。


部屋の中も、外も信じられない。絶対住みたくない1DK。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。