第24話 蜘蛛の糸
ここはグロリオサレオ県インディゴカイト市の大凡中央に位置する。レザール一行はコブラからの依頼で十体の骸骨型悪魔を狩っていた。レザールの一太刀はスムーズに骨を両断するのに対しレオンは中々両断出来ないでいた。レザールは神の落とし子の能力の一端である魔力を纏わせて耐久性と斬れ味を向上させており、全く同じ条件で戦っている訳では無い為差が出るのは当然だ。だが、それを差し引いてもレオンは未熟と言える。
「レオン、姿勢が崩れてるぞ。そんなんじゃ斬れるもんも斬れねぇ」
レザールの指摘にビクッと肩を震わせ、刀を構え直して背筋を伸ばし姿勢を意識し始める。そして目の前の悪魔に刀を振り下ろす。
レオンの袈裟斬りで目の前の悪魔は両断された。息を吐いたのも束の間、レオンの背後から別の骸骨型の悪魔が迫る。レオンは咄嗟に足が動かずその場から退避できないでいた。レオンのピンチにエリスが後方から銃を構える。しかし、レザールはエリスを手で静止し、レオンに迫った悪魔を蹴り飛ばす。床に崩れた悪魔を跨いで左手に握られた銃で頭を撃ち抜く。
「なっ、なんであたしを止めたわけ? あたしだって撃ってレオンを助けられたのに! 」
レオンのピンチを助けられなかったからか、エリスは不満をレザールに吐き出した。
「馬鹿言え。あの場面でお前が撃ったらレオンに当たってたかもしれねぇだろうが。百発百中で当たるようになってから言え小娘」
反論のしようの無い正論を突き付けられエリスはハムスターの様に頬を膨らませた。言っていることは理解しているが、途方もない悔しさが滲んだそんな表情だ。
エリスが不機嫌になりながら悪魔を銃で倒している間にも、レザールとレオンで四体の悪魔を倒した。周囲に悪魔がいなくなったところで仕事は終わりだ。レオンは自身の刀を見つめていた。
「どうしてレザールみたいに簡単に両断が出来ないのでしょう」
「そりゃあお前、力が入る方向と刃の向きが合ってないからだろ」
レザールは「素振りの練習もっとしとけ」とレオンの肩を叩いてエリスの方を見る。拗ねている様子を遠目で見て雑に頭を掻き毟る。心底面倒臭いと言いたげな顔でレオンを一瞥した後、エリスの方へ歩いて行く。
「……お前がレオンを助けようと思っての行動なのは分かる。だが、自分の実力を客観視出来んやつが実力以上のことをしようとしたら事故が起きるのは必然だろ」
「何よ! 普段甘いものばっか食べてるくせに! 」
「いや、今それ関係無いでしょ」
窘めるつもりだったのが、エリスによって起爆させられる。思い通りに行かず拗ねている子供に何を言っても無駄らしい。エリスの暴言は常にレザールに向き、レオンの反論は正論となってエリスを殴った。
言い合いをしている内にレザールの携帯電話に一通の連絡が入った。発信元はルイだ。レオンとエリスを余所にレザールは着信に出た。
「ルイです。お忙しいところ申し訳ありません。討伐依頼がございますので、至急クランベラ教会にお越しください」
それだけ言って通話が切れた。今レザールたちが居るのはインディゴカイト市。ブルーイーグル市へ電車を使って行くと乗り換え無しで約四十分程掛かる。
「レオン、エリス、今からクランベラ教会に行くぞ」
レザールの声に二人の言い合いがピタリと止まった。二人の顔を見渡した後、レザールはインディゴカイト市の駅へさっさと歩いて行ってしまう。レオンとエリスは互いに顔を見合わせて慌てて背中を追った。
移動時間約一時間弱掛けて一行はクランベラ教会に辿り着いた。いつもは教会内にいるルイが今回は外でレザールたちを待っていたようだ。片手に書類を持って、遠目でも分かるくらいに息が上がっている。外套に血痕が付着していることから、ルイも神聖生命体を狩った後なのが分かる。
レザールたちの姿が見えるとルイは駆け寄ってくる。目に見えて疲弊しているのにも関わらず、吐く息が白いのは特異能力の影響なのだろう。
「お待ちしておりました、依頼書はこちらです。取り急ぎ準備致しましたので見辛くなっておりますがご容赦ください」
ルイから渡された書類は早急に作ったことが分かるくらいに字が乱れていた。とは言え元々の筆字が綺麗なため、読めない字は一切無い。内容としては中級悪魔一体の討伐。場所はネモフィラアリエス県のシアンマーレット市。現在地のブルーイーグル市から北西の位置にある市だ。
依頼書の中身を一通り確認してレオンとエリスに目配せをする。早速現場へ向おうと一歩踏み出した時、ルイが頭を押さえて唸りだした。
「おい、大丈夫か? 能力の反動か? 」
レザールが咄嗟にルイを支える。普段からの青白い顔色が更に悪化していた。その場で座り込み目は伏せられ呼吸が荒い。誰が見ても苦しそうな様子だった。眉間にシワを寄せながら胸ポケットから手帳とペンを取り出す。
「……新しい魔力反応です。こちらは下級悪魔六体となっております」
手帳に日時と場所、個体、等級、個体数がツラツラと書き記されていく。
「……レザール、申し訳ありませんがアメリアにこの手帳を見せて依頼書の作成を指示して頂けますか」
「分かった。だが、こっちの仕事も俺らで引き受けるからな」
レザールの一言にルイは顔を上げた。ルイが引き留めようとした時には既に教会内に入って行き、アメリアを探しに行っていた。レオンがレザールに代わってルイの肩を支える。このまま外にいるのは体調にも良くないと判断したのか、ルイを支えたまま聖堂の中へ連れて行く。
数分が経ってレザールが一枚の書類を持って聖堂に来た。教会から出るには聖堂を通る必要がある為、必然的に鉢合わせることになる。
「ほら、依頼書貰ってきたぞ。それじゃ、行くわ。レオンとエリスは下級六体の方に行け。俺は中級の方に行く」
アメリアから受け取った依頼書をエリスに手渡してレザールはシアンマーレット市に行こうと歩き出す。
「っ待ちなさい! 悪魔の討伐を神の落とし子でもない二人に任せるおつもりですか。下級とはいえ危険過ぎます。こちらは別の方に依頼しますので貴方は先の依頼に集中してください」
「時間に焦らず無理をしなければ余程大丈夫だ。中級の方が終わったら俺もサポートくらいはする」
レザールの言葉にルイは納得がいかないようで、重い身体にムチを打って数歩前進するとレザールの袖口を掴む。
「……せめて、せめて他の神の落とし子を同行させてください。今連絡が取れる方を探しますので」
懇願に近い形で真っ青な顔をしたルイに言われて舌打ち交じりに頭を掻き毟る。
「分かった。でもアンタが斡旋する必要は無い。一人、連絡したら何が何でも飛んでくるヤツがいるからな」
ルイが納得して頷いたのを確認するとレザールは教会を後にする。
レオンとエリスは受け取った依頼書から場所を確認してその現場へ向かう。方やネモフィラアリエス県のシアンマーレット市、方やクレマチスジェミニ県のオレンジスワロー市で、途中までは一緒に行くことになる。
「ちなみに、連絡したら何が何でも飛んでくるって誰のことなんですか? 」
「いるだろ一人。エリス連絡しとけよ」
レオンは未だピンと来て無い様子だが、エリスはレザールが言った通りにある人物に連絡を入れた。その人物とは現地集合ということで話は纏まり、一先ず目的地までこのまま電車に揺られることになる。
電車に揺られて数分が経った頃、オレンジスワロー市の駅に着きレオンとエリスが先に下車することになった。目的地は駅を出て北へ進んだ、山の麓だ。その麓までは徒歩で約一時間程掛かり、これから狩り仕事をする二人にとっては少しでも体力を温存させておくのが望ましい。そう結論付けて二人はバス停へ向かった。現地に着くまではレオンとエリス二人きりだ。気負う関係性ではないがここまで会話は無く、薄ら重い空気感が二人の間を漂っていた。
駅の敷地内の停留所に行くと運良く停まっていたバスを見つけそのまま乗り込んだ。乗り込んですぐの右側の座席に二人並んで座る。
「結局誰なんですか? 」
「あたしが呼べる人なんて決まってるでしょ」
エリスが呼べる人を強調したことでレオンは察したようで何とも言えない苦い顔をする。
「……心強い人ではありますけどね」
「文句でも言いたい訳? 」
「ありませんけど」
同行する神の落とし子が誰であっても文句は無い。いや、立場上言えないのだが。レオンは何事も無く終わることを祈るように目を瞑った。
バスは時間通りに出発し次のバス停へ向けて走る。ルートとしては駅から徐々に街から出る方向へ走り、山の近くまで行くと駅へ戻るように街の方向へ走る。二人は街を出るまではバスに乗り続けることになる。
目的のバス停で停まると二人は下車して例の神の落とし子を探す。とは言ってもバスで来ることを予測していたのか、すぐにその姿を現した。カコンカコンと木製のものが地面に当たるような軽い音の方向に顔を向ける。
「待っていたぞ。エリーと組んでるって言うのは貴様か、眼鏡」
「ご、ご無沙汰ですクリスさん」
目の前に現れたのはキツネの面のようなガスマスクを着けて大鎌を持ったエリスの兄、クリスだった。毒の能力の神の落とし子で、(エリスが)呼べば何が何でも飛んでくるという人物だ。
「お兄早いね。近くで仕事でもあった訳? 」
「いや、パープルワッグテイルで悪魔狩りはしてたが」
「一応聞くけど、どうやってあたしたちより早く来たの? お兄車持ってないじゃん」
「無論徒歩だ」
レオンとエリスは互いに顔を見合わせた。クリスの発言に耳を疑ったのだ。到底信じられないという意味合いで。
クリスが言うパープルワッグテイル市は、西側隣県のネモフィラアリエス県の最南に位置する市だ。現在地のオレンジスワロー市からは南西の位置になる。そこから現在地に着くには北のシアンマーレット市又は東のブルーイーグル市を経由する必要がある。つまるところ、二人が電車で無ければ来れない距離を徒歩で来たということなのだ。
「化け物じゃん」
レオンがドン引きした目でクリスを見る。体力面的に人間の出来る所業では無い。本人の様子を見て息切れもしていないことから、本当に化け物じみていると言っても過言では無い。
「化け物で結構。神の落とし子はほぼ人外みたいなものだ。あながち間違いではない」
そう言う事ではないと口を開きかけたところでクリスが仕事の話に切り替えた。徒歩での長距離移動はクリスにとっては何でも無いことのようだ。
ルイから渡された依頼の現場はこの麓の辺りだ。今三人がいるところにはいない為、少し歩く必要がある。
「エリーと貴様が来る前に粗方見て回っておいた。ついて来い」
クリスは顎で来いと示してさっさと歩いて行く。レオンとエリスはその後を急ぎ足で追って行った。
三人は山の麓のバス停から少し山の中に入っていった。この山を登っていったらグレージュスパロウ市に辿り着くが、今回はそこまで登らない。舗装されている訳では無いが、人の手が加えられて整えられた緩やかな山道を歩いて行く。木が打ち付けられた階段を登らずそのまま真っ直ぐ進むとその姿が現れた。周囲は開けている。しかしクリスが持っている大鎌では戦いづらい場所だ。
三人は木の陰から様子を伺う。体長約二十センチ程のトカゲの見た目をした悪魔が六体いることが目視で確認できる。依頼の内容を確認しても目の前の生命体で間違いは無いだろう。
「今日はあたしとレオンが中心に倒していくの。お兄はサポートに回って」
「……エリーがそう言うなら従う。気を付けろよ」
言葉自体は素直だが納得がいかないという様子がマスク越しでも伝わってくる。言い分としては「俺がいるのに何故エリーが戦うんだ」という疑問から来ているのだろう。そんな疑問を抱えながらもエリスに言われたからには従う他ないようで、口には出さなかった。
レオンは刀の柄に手を掛けて抜刀する。複数いる悪魔それぞれの様子を窺って斬りかかるタイミングを見ているのだ。そんなレオンを見てクリスは溜息交じりに言った。慣れていないのは分かるが、早く行かないと終わらんだろと言いたいのだろう。
「一番近いヤツから狙っていけ。最初に潰すヤツ以外を見たところで意味が無いだろ」
レオンはその言葉に目を見開いた。それはクリスの口からアドバイスが出てきたことに驚きを隠せないといった顔だった。
クリスの言葉に頷くとレオンは堅く柄を握って木の陰から飛び出して行く。まず一体、空気を掬うように刃の腹を地面から平行に寝かせ、そのまま悪魔へ横薙ぎする。刃の軌道は止まらず悪魔を両断した。レオンは目を瞬いた。だが喜ぶ暇も無いまま悪魔が向かってくる。すぐ間近まで迫った二体目には袈裟斬りをする。そして背後に迫った三体目は二回の銃声の後崩れた。射線を辿るとエリスがハンドガンを構えていた。エリスがいる方向から近い位置にいたのがこの三体目の悪魔ということだ。撃つ標的を指示しているのはクリスのようだ。レオンは奥側にいる悪魔へ向かって走る。待機場から近い位置の敵をエリスが狙っているのだ、必然的に奥側はレオンがやることになる。
四体目、先程の銃声で警戒している様子だが構わず刀を振り下ろす。傷が浅い。まだ動くことを目視で確認すると刀を逆手に握り脳天へ突き立てる。悪魔の肉体は崩れ去った。五体目に顔を向けたところで目の前で銃弾が直撃したのを見る。エリスが仕留めたのだ。周囲を見ると悪魔らしき気配は無く、目視でも確認は出来ない。
「……終わった」
力の抜けた声で呟くと刀を納刀する。一朝一夕で実力が身に付くものでは無いが、今回の手ごたえに手が震えていた。着実にレザールに近づいているという実感が燻っているのだ。
三人は山から出てバス停まで戻った。レザールに連絡を入れてこのまま直帰することになる。バスに乗って駅に向かい、レッドコンドル市、オフスカイラーク市を目指すといった流れだ。レッドコンドル市はオレンジスワロー市の隣の市というのもあって、エリスは電車ではなくバスを使うことになった。クリスも帰りは交通機関を使うようだ。理由は無論エリスがいるからだろう。何も言わずともそれだけは察しがつく。
「クリスさん、今日はありがとうございました」
「別に。俺は何もやってない。礼ならエリーに言うんだな。地面に額を擦り付けてな」
クリス安定のキツいシスコンムーブを受け取り別れる。レオンは電車の方が好都合なため電車でオフスカイラーク市に向かった。下駄の音も騒がしい少女の声もレオンから遠ざかっていく。
一方レザールはシアンマーレット市で一体の中級悪魔と遭遇していた。建物の陰に身を潜めて敵を観察している。目の前の悪魔の姿はシマウマの身体に白鳥の翼を持った、なんとも言えない見た目をした悪魔だった。
「鳥獣型か。特別厄介な敵ではなさそうだが」
刀の柄に手を掛ける。鯉口を切り、魔力を纏わせる。
深呼吸一つして建物の陰から飛び出した。最初の一手は居合、シマウマの前脚を狙って抜刀する。切断とまではいかなくても前脚の付け根に切り傷ができる。鳥獣型の悪魔は翼を広げて大きく仰け反った。翼を使ってレザールを払い飛ばすつもりのようだ。レザールは左太腿のホルスターから銃を取り翼を目掛けて乱射する。払うという動作をやめさせるつもりだろうが上手くはいかない。白い弾丸、レザールの魔力が形になった魔力弾では威力が物足りないのだ。レザールは舌打ちをして後退を試みる。翼は勢い良くレザールの方へ迫る。被弾一歩手前でローリングで避けたものの、続けて前脚が降ってくる。後方に飛び退きながら初手の居合で付けた切り傷に向けて魔力弾を撃つ。敵は怯んだ。レザールはすかさず刀で前脚に横薙ぎをして蹴り飛ばし、悪魔を地面に伏せさせる。暴れる悪魔の首に飛び乗り、そのまま頭上へ駆け上がると刀を頭の頂点から顎にかけて振り下ろす。そして悪魔の右目に突き刺した。地面に着地すると再び首元に接近し逆袈裟斬りで左下方から右上方へ斬り上げる。噴き出る血を意にも介さず刀を突き立てる。
悪魔は目を潰され暴れ回る。地面の数カ所に円形と中に文字と五芒星が描かれた文様を浮かばせる。レザールは後退し文様から離れる。文様の中に居ると碌なことにならないのが目に見えているからだ。後退しながらハンドガンのマガジンを魔力弾からシルバーバレットへ切り替える。そして銃を悪魔の頭部へ向けて二発撃ち込んだ。弾丸が命中すると悪魔は倒れる。死んだ訳では無い。致命傷にはなっているがまだ生きている。文様は消え失せ、悪魔はレザールを睨む。
「へえ、悪魔でも恨めしく思うことってあるんだな」
レザールは肩を竦めながらもゆっくり近づいていく。銃はホルスターに仕舞い、刀を両手で握る。纏わせていた魔力の光は強くなった。そして柄を顔の横で立てて構える。止めを刺す構えだ。
「呆気ないが、終わりだ」
悪魔に向けて刀を振り下ろす。刃は強く光り輝き、いつも以上に斬れ味を向上させている状態になっている。この袈裟斬りで仕事は終わりだ。
その筈だった。しかし刀は振り切れず刃がレザールの頭上で止まっている。否、刀だけではない。レザールの腕、胸、腰、足のどこもが金縛りのように固まって動かなくなっていた。
パチパチと手を叩く音が聞こえてくる。悪魔とレザールの間に一人の男が乱入してきたのだ。
「お見事。流石だね、流石神の落とし子だ」
黒いスーツを着た柔和な雰囲気の声の男がいた。いつかの喫茶店で会った男だ。
「すまないね、少々動きを止めさせてもらったよ」
「……何のつもりだ」
「そんなに怒らないでほしいな。僕も彼に用事があったから来たんだから」
そう言って柔和な男は悪魔の目の前に歩いて行く。そして悪魔の胸辺りに右腕を突っ込んだ。血が出た様子は無い。何か能力のようなものなのだろう。探るようにゴソゴソと右腕を動かし、あるポイントでピタリと止まった。勢い良く引き抜くと手に何かが握られていた。
「ああ、見つけた。君も知っているのだったよね。コレ」
柔和な男が見せて来たのはドッグタグだった。そこに描かれた文様は、両生類型のものでも爬虫類型のものでも無かった。三角形を描くように並べられた四つ足の獣、蜘蛛、鳥とその中心に渦が巻いていた。
「これはね、混合型の契約の証なんだ。彼は混合型の組織を裏切って二重契約をしてしまってね。だからこうやって破棄しに来たのだよ」
そう言って柔和な男はドッグタグを握り潰した。粉々になったそれを地面に捨てて悪魔に向き直る。
「二重契約は重大な規約違反なことは知っているね? ああ、大丈夫怖がらないで。事情を話せばきっと皆分かってくれるよ。少なくとも僕は理解してる」
柔和な男は眉尻を下げて我が子を可愛がるような仕草で悪魔の顔を撫でる。そしてレザールに視線を移し軽く頭を下げる。
「邪魔をしてしまったね。彼は君が倒したことにしてくれて構わないよ」
穏やかな声色と表情でレザールに向き合った。
柔和な男はそれだけ言って紐を引くかのような仕草をする。すると男の背後、例の悪魔の方からバキバキ、ミシミシ、ブチブチと生々しく何かがゆっくり圧縮切断する音が周囲に響いた。次の瞬間悪魔は血を撒き散らしてバラバラに刻まれ潰れた。血は柔和な男とレザールに振りかかり、白いインナーは真っ赤に染まった。血が目立たないという意味合いでコートが黒と赤なのが救いだったと言えるだろう。
レザールを縛っていたものは無くなり、全身自由に動かせるようになった。
「お前、何者だ? 普通の人間じゃないのは確かだろ」
「おや、そう問われてしまうと教えてあげなければならないね」
柔和な男は一歩レザールに近付く。表情は変わらず穏やかだった。
「僕はアラネアケイオス・ウォルフィーグル。悪魔は「混合」と呼んでいる。君からは「アラネア」と呼んでくれると嬉しいな」
アラネアケイオスと名乗ったこの男に対する警戒は高まっている。さっきこの男はシマウマと白鳥の悪魔を「混合型」と言った。ドッグタグを破壊したり悪魔側の事情をかなり知っているところからこの男は真っ当な人間では無い。更に「混合」と呼ばれているところからもそう言える。
「お前は何だ? 」
「悪魔さ。……ああ、等級も気になっているのかな。僕は混合型の最上位悪魔、侯爵位を賜っている」
隠すことも無く何でもない事のように話すその姿はある種異様と言える。敵意が無いことから、争う気が無いことの余裕か、将又攻撃されても勝てる余裕からのどちらか或いは両方か。一つ言えるのは、悪魔でありながらルイ等の教会の人間からマークされていないという事実だ。魔力感知に引っ掛からない裏技のようなものがあるのは確かだ。
アラネアは去り際にレザールの肩に手を置いて一つの情報を与える。
「君たちは彼を鳥獣型と言っていたようだけど、魔界に鳥獣型なんて種名は存在しない。ああいった混ざりものの悪魔を総じて『混合型』と呼ぶんだ。教会のあの子にも教えてあげるといい」
そう言ってアラネアは手を離す。レザールはすぐに振り返ったがアラネアの姿は既に無かった。レザールの携帯電話に一通の受信通知が届く。レオンからのメールだ。携帯電話の通知を一瞥してレザールはしゃがみ込んだ。侯爵位の悪魔が現れた今、大変な出来事が起きる前触れではないかという懸念が頭の中を支配していた。




