第25話 肴
夜十九時、シルバークロウ市のレザールの事務所の一階は未だ灯りが点いていた。一階奥のデスクに置いてあるPCモニターにはメールの受信欄が映っていた。トップの最新受信メールはルイから届いたものになっている。それは新規のメールではなく、レザールが送ったメールの返信という形で送られていた。
「……あの時間帯で魔力反応は中級悪魔一つだけ、か。ターゲットだった混合型悪魔しか感知してないってことか」
背後の窓を全開にして煙草を吸いながらモニターを眺めている。混合、アラネアと名乗った男が現れてからもルイから連絡が無かったため、レザールは「魔力の感知が出来ていない」と踏んでいたが、どうやら当たっていたようだ。並の悪魔なら連絡が無いのも頷けるが、アラネアは「侯爵位」とも自ら明かしていた。爵位を持つ程の強大な悪魔の魔力を感知して一報も無ければ加勢も無いというのはルイに限ってありえないことだ。それ故に察しはついていた。
椅子に深く座り込む。煙草の煙をゆっくり吸い込んで肺に入れ、深く長く煙を吐く。煙草の箱に目を移すとまだ九本残っている。一箱二十本入りで残り九本。元々ヘビースモーカーという訳では無いが、以前は五日もすれば二十本の煙草は無くなっていたくらいには吸っていた。それが二週間経っても未だ残っている。理由は言わずもがなレオンとエリスがいるからだ。
二本目の煙草に火を点けようとした時、事務所の扉を叩く音が聞こえてくる。溜息を吐いて煙草を箱に戻してから頭を掻きながら正面扉へ向かう。そしてドアチェーンと鍵を外して扉を開ける。
「なんだ、うるせぇな。営業時間外だぞ」
億劫そうに開けるとそこにいたのはサングラスを掛けた闇金をやってそうな風貌の男コブラと、その奥にミリタリー系のジャケットを着たあどけなさの残る顔立ちの男ジャックがいた。コブラの手にはレジ袋が下げられており、どうやらここに来る前に買い物をしてきたようだ。
「邪魔するぜ」
「おうおう、邪魔しやすぜダンナ! 」
「は⁉ お前ら勝手に入るんじゃ…… 」
レザールの静止も聞かないままコブラとジャックは意気揚々と中に入って行った。ジャックは肩を両手で掴んで強引に事務所に押し込む。その人物とはレオンだ。レザールはギョッとして慌ててジャックを静止する。
「待て待て待て、お前何でレオンを連れてきてんだよ。未成年は帰れ」
「えー、いいじゃねぇっすか。一年なんて誤差っすよ、誤差」
レオンは困った顔でジャックのされるままにされていた。ジャックは無遠慮に応接用のソファに座った。レザールはこめかみを押さえて深く溜息を吐いた。
コブラは持ってきていた袋の中から缶ビールを二つ取り出して一つをレザールに投げ渡す。コブラたちは酒を飲みに来たのだ。ジャックは袋の中から適当なつまみを出して勝手に開封する。口に咥えたのは素焼きのスルメだ。それをレオンの口にも強引に突っ込む。その光景に心底呆れかえって最早何も言うまいとソファに座ってビールを開けた。
「で、何を買ってきたんだよ」
「缶ビール六つとつまみ。あーっと、スルメとさきいかとイカ軟骨とイカの塩辛とイカフライだな」
コブラは既に机上に出ているものと袋に入っているものを一つずつパッケージを確認しながら読み上げた。
「イカばっか! 」
近くの店で買ったであろうビールとつまみは見事にイカばかりだった。イカとは言え辛いものとスナック系もちゃっかり揃えている。未成年への配慮で多めに買っているのかと思うだろうが、関係無くただ自分が食べたいから買ったのだろう。コブラとはそういう男だ。
レザールはビールを呷ってからスルメを一本手に取って齧る。煙草二本目を吸おうとしていた口の寂しさはスルメで満たされつつあった。コブラはビールのお供にさきいかをつまんで、レオンは事務所二階の台所から取ってきた麦茶をコップに注いで飲んでいる。手に持っているのはスナック菓子のイカフライだ。ジャックはビール片手にスルメを齧っている。ジャックに対してコブラは特に言うことは無いらしく、何事も無いように飲んでは食べてを繰り返している。
「ジャックさん、未成年で飲酒は良くないですよ」
真面目な性格が幸いしてか、レオンはジャックにつられて飲酒しようとは思わないようだ。寧ろ面と向かって苦言を呈している。レザールは自分が面倒を見ている青年のこの姿を見て鼻高々な様子だ。上がった口角を隠す素振りすら見せない程だった。
「いいんすよ。だってほら、オレいつ死ぬか分かんない立場だし? 人生で一回は飲んでみたいじゃないっすかぁ」
当のジャックは止めるつもりは無いようだ。ビール数口でほろ酔い状態で、もう既にふわふわとした言葉遣いになっている。神の落とし子の立場を利用して法律を無視する姿勢は褒められたものではないが、本人の言い分と気持ちはこの場の誰もが否定し切れるものでは無かった。それはそれ、これはこれではあるのだが。
それぞれが酒を飲んだりつまみを食したりしていた中で、レオンが何かを思い出したようにレザールに向き直った。差し出したのは麻の袋。受け取ると見た目の膨らみ具合に反してずっしりと重い。袋の中にはキラキラとした宝石にも引けを取らない手のひらサイズの石が複数個入っていた。これは魔力石だ。レザールは石を見てすぐに理解を示した。
「今日の分な。月末にまとめて持って行くさ」
レオンが差し出した魔力石を受け取って事務所奥のデスク近くの金庫に入れる。そして空の麻袋をレオンに渡す。
このレザールとレオンの二人の一連の流れを見ていたジャックがふとした疑問を口にする。
「そういやオレらって死んだらどうなるんすかね。身体も残らないとか? 」
「オレらって、俺とお前しか該当してねぇだろ。神の落とし子は魔力炉心があるだけの人間だから身体は残るんじゃねぇの。まあ、死に方にも寄るだろうが」
魔力炉心を回収出来るのは、神聖生命体が死亡すると身体が崩壊し消え去るから取ることが出来るのだ。神の落とし子は実態としては人間に後天的に魔力炉心を埋め込み、神聖生命体と対峙出来るようになっているに過ぎない。「特異能力を使えるだけのただの人間」というのが認識として正しい。
ビールを喉を鳴らしながら一缶飲み干す。飲み干した勢いのままローテーブルの上に缶を置くと、レザールはソファに深く座り直す。
「急に何なんだよ。そういう専門的な話は俺じゃなくてルイにでも聞けよ」
「いや~、別にそこまでガチ回答が欲しい訳じゃありやせんし」
ジャックはあっけらかんとしてビール片手にさきいかを食べる。先行きの不安からくる相談では無く、雑談の延長として聞いただけなのだろう。いつ死ぬか分からない立場からの質の悪いブラックジョークのようなものだ。話を聞いていたコブラとレオンも呆れた様子でつまみを食べる。
「折角の酒の席でそんな辛気臭い話すんなよ。でもま、御子から取った魔力石が売れるのかだけは気になるが」
「おっ、オレで試してみやす? 」
止まらないブラックジョークにレザールがジャックの手からビールを取り上げる。実際に、神聖生命体の魔力石と神の落とし子の魔力石で違いは無い為、取ったところが違うから売れるか否かというのは無意味な問いだ。それ以前に倫理観の話になってくるだろう。
「ダンナ、オレのビール返してくだせぇ」
ジャックがレザールに手を伸ばすも払い退けられる。
「うるせぇ、お前は茶でも飲んでろクソガキ」
「ほら、コップ用意してますから」
レオンがコップにお茶を注ぐとジャックは渋々受け取った。ブラックジョークを連発するのは酒が回っているからなのか、平常運転なのかは恐らく本人も分かっていないだろう。ジャックはムッとした顔で麦茶を片手にスルメを齧った。
酒飲みが始まって約一時間が過ぎた頃にコブラが二か所のポケットからそれぞれ小さい箱を取り出した。ラベルを見る限り一つは煙草で、もう一つは側面に茶色のザラザラとした質感の面があることからマッチであることは確かだ。煙草一本を咥えてマッチの火を煙草の先に点ける。慣れた手つきでマッチの火を振るい消すと灰皿に捨てた。長く煙を吐いてから口を開く。
「つーかお前、俺らが来る前にヤニ吸ってたろ。何? 荒れてんの? 」
レザールは窓を全開に開けて部屋の中の臭いを嗅いだ。嗅いだところで室内にいた人間には分からないだろうが。
レザールが煙草を吸うこと自体は珍しいことではない。コブラが指摘したのは、レオンが来て以来煙草を吸う機会が減っていたためだ。荒れていたかはさておき、考え事をしていたのは事実だ。しかし、今のところ突然現れるだけで敵意を見せていないアラネアに対して警戒するよう忠告するのも早計だ。警戒するように広めたことを知られれば何をするか分かったものでは無いからだ。レザールは心中を噛み締めてコブラとジャック、そしてレオンに「何でもない」ということを話す。コブラは若干眉を顰めてサングラス越しに見つめるも、すぐにビールに視線を映した。プシュッと小気味の良い音を鳴らして開けたビールは最後の一缶だ。
一時間も経つとつまみも残り少なくなってくる。主にジャックがノンストップで食べているのだが、素手で食べられるものは無くなり、箸やつまようじで食べるものが残った。イカ軟骨も塩辛ももうすぐ無くなりそうな勢いだが。
コブラがグイッとビールを呷る。のど越しで飲むビールの減りは早い。次の缶を開けようと探すも、もう全て空いている状態だ。コブラが持ってきた分は無くなっている。
「チッ、酒追加で買ってくるしかねぇか。おいレザール、お前が買ってこい。近くで二十四時間営業の店があるだろ」
「俺かよ……。まあ、お前ベロンベロンだし俺しかいねぇか」
レザールがコートを羽織って財布を持つとジャックも立ち上がった。
「ダンナ、 オレも行きやす。もうつまみが無いんでさ」
ジャックもジャケットを着て行く気満々な様子だ。事務所を酔っ払いとは言えコブラ一人で残す訳にもいかず、レオンを置いて行くしかない。酒を買えるのは成人しているレザールとコブラで、十九歳で未成年のジャックやレオンでは買えない。酒を飲んでも比較的素面寄りなレザールが買いに行くことが確定している現状、こうなるのは必然だ。
仕方ない状況だからこそ漏れる溜息を気にする様子もなくコブラは手を振って二人を見送った。酔っぱらっている状況では気付かないだけだともとれる。レオンは麦茶を変わらず飲んでいる。なんで呼ばれたかも未だに分からない様子だ。
二人きりになっても依然としてコブラは煙草を吸っている。幾ら窓を開けていようとソファの周りはすっかりヤニの臭いが漂っていた。
「なあ、レオン。お前はアイツが何を隠してるか分かるか? 」
唐突なコブラの問いかけに肩を震わせた。隠していること、つまり煙草を吸っていたことに対しての答えが「何でもない」だったことに納得がいっていない故のレオンへの問いだ。
「いいえ、俺も何がなんだか。そもそも今日はコブラさんからの依頼の後に別の依頼でレザールとは離れていましたし」
レオンからの返答に本当に知らないことを察したコブラは煙を吐きながら天井を見上げた。「そうか」と小さく漏らした声には残念さが滲み出ていた。
それからまた少しの間沈黙が流れて再びコブラが口を開いた。
「レオン、確かお前御子の能力の代償の話を教会で聞いていたな? 」
何の脈絡も無い唐突な質問にレオンは首を捻りながら考える間もなく「はい」と答えた。
「実はな昔、御子の『大きい力』を使ったヤツがいるんだよ。近くにな」
レオンは息を呑んだ。以前の教会で会った時には言っていなかったこと。寧ろ『図書館で調べた』と言って追及を躱したことだ。コブラ視点の「近く」ということはジャックかレザールのうちのどちらかだが、ジャックが代償を患っていたら教会の時に本人が言っていただろう。本人が隣にいる中でわざわざ嘘を吐く理由も無い。そうなると残ったのは一人。
「……レザール、ですか」
コブラは静かに頷いた。まるで禊をするかのような沈黙だった。吐いた煙はコブラとレオンの間で漂い、ヤニの臭いが鼻を通る。
昔と言うからにはここ二、三年の話では無いことは確実だった。大きな力を使わざるを得ない状況になったことがあったことが窺える。無論覚えているか否かは現状定かではない。
「俺から見て、アイツは変わった。それはもう結構な違いだ」
コブラは短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消し、新しい煙草を咥えてマッチで火を点けた。
コブラとレザールは幼い頃からの付き合いだった。二人の過去から今までの関係を一言で表すなら「腐れ縁」というのが適していると言える。特別仲が良い訳では無い。寧ろ険悪だった二人は一つの出来事を切っ掛けに変わったのだ。
シルバークロウ市に来た幼い二人を引き取ったのはブレインだった。否、当時ブレインは十五歳の子供だ。厳密に言えばブレインの実家で引き取られたと言うのが正しい。コブラは数日で父親と連絡を取ることが出来たためマックス家で過ごしたのは、レザールと比べて少ない日数だった。
コブラは引き取られた後もシルバークロウ市で過ごし、ほぼ毎日と言っていいほどの頻度でレザールに会いに来ていた。直前で起きた出来事が忘れられず、自分を安心させるための手段だった。レザールはいつも泣いていた。何が不満で何が嫌で何が不安なのか、もしくはただ悲しいのか、一切語らず毎日泣き腫らしていた。直前の出来事に関係無しにレザールは涙脆い性格で、レザールが泣く度にコブラはイライラしていた。それがあの出来事の後となると、泣きたいのはこっちもだと言いたくなるくらいに気分は沈んでいった。ずっと泣いているレザールの近くにいれば自分は泣かなくて済むと思ったのだろう。事実気分は上がらなくても涙は引っ込んでいた。
一ヶ月は何も語らなかった二人だが、時間が経てば流石の泣き虫でも涙は枯れるようで、同じ出来事で泣くことは無くなった。コブラはレザールが泣き止んだ時を待っていたかのようにレザールに話しかけた。決意を持った力強い言葉を使って。
「俺ら、このままじゃ駄目だろ。悪魔に負けないために強くならなくちゃいけねぇ。お前は特に御子ってヤツらしいからな。ガドウィンだったら問答無用でしばいてる」
「コッ……コブラはどうするんだよ。俺一人じゃ悪魔なんて探せないよ」
レザールの弱気な言葉を聞いてコブラはレザールの肩を揺さぶりながら元気付けた。
「悪魔なんか俺が見つけてやる! 見てみろよこの目。悪魔を狩れなくなったけど代わりに魔力? を見る事が出来る! これさえあればすぐに見つけられる」
コブラは自分の目を指差した。二人で協力すればきっと強くなる、強くなったらガドウィンも喜ぶだろうと信じて互いの小指を絡めて指切りをした。「戦いから絶対に逃げない」と二人だけの約束を。
コブラの実父はライラック魔狩り局の社長だ。身内という最強のコネでライラックの営業部が使っている衛星からの通信機器を貸してもらうことが出来た。これで大雑把だが悪魔の位置は分かるようになる。あとはその地点へ足を運んでコブラの目で特定するだけだ。だが、当時の技術では数までは衛星通信の方では特定が出来ず、現地へ行って思いの外数が多いという場面に遭遇することが多々あった。未熟な身では危険極まりないが、それは技術面で仕方の無いことだった。大まかな場所さえ分かるだけで大変重宝する代物なのだ。
コブラが索敵をしてレザールが討つ、このやり方で数ヶ月ほぼ毎日悪魔を狩っていた。レザールは拙いながらも接近戦では刀で対応し、中距離戦ではハンドガンを使って戦った。教わった刀の振り方と銃の撃ち方で毎度苦戦しながらも何とか倒していた。そうして行くうちに覚えたのは、刃に魔力を纏わせるという特異能力の使い方だった。コブラも数ヶ月もしたら自分の目を完全に理解したようで、反動で起こる酔いもある程度熟知していた。この邪眼は魔力を見るか否かに限らず目で見ていると酔いが回ってくる。それを防ぐためにレンズを隔てる必要があった。そこでコブラが着けたのがサングラスだった。能力を使う時だけ眼鏡をずらして肉眼でものを見る。不便ではあるが、これがなければ酔うためどうしようもない。寧ろ対策方法があるだけマシだと言える。
最初と比べて少しだけ慣れてきた悪魔狩りに油断していた訳ではなかった。幾ら油断をしていないにしてもその時は来るものだ。あの日はレザールとコブラだけではなくブレインも一緒だった。偶然学校終わりのブレインに出会い、レザールは帰る家も一緒なため取り敢えず行動を共にしていただけだ。特別不思議な事では無い。しかし問題は起きてしまった。誰のせいでも無い。これは悪魔を狩る人間には起こりがちなことだろう。
街から外れて家が転々と建つ中の空き地の一角でレザールは追い詰められていた。肩を掴まれ身動きが取れない状態でただ涙を流していた。コブラは見ていることしか出来なかった。ブレインは何とか引き離そうとレザールに近づいて行く。コブラに静止されようが構わず向かって行く。
事が起きたのはほんの一瞬だった。視界が真っ白に染まった。反射的に目を瞑ったが瞼の裏までも白く染め上げていた。次に瞼を開けた頃には目の前は変わっていた。レザールを掴んでいた腕と下半身を残して消え去り、当のレザールは地面に仰向けに倒れていた。この光景にコブラもブレインも息を飲んだ。驚きつつもブレインはレザールの方へ駆け寄り抱き寄せる。
「くそ、意識が無いな。待ってろ、今救急車呼ぶから」
焦った様子だが的確に助けを求めた。呆然としているだけのコブラとは全然違った。コブラは見ていることしか出来なかった。
レザールの意識が戻ったのはあれから二日後のことだった。コブラは何が何でも聞かなくてはいけないことがあった。あの強い光は何だったのか、あんなのが使えるならあれを使って悪魔を蹴散らせばいい。でも泣き虫なレザールのことだ、どうせ暫くは「怖かった」と言って鬱陶しく泣きじゃくっていることだろうとコブラは考えながら病室の前に来た。
扉を開けるとレザールがベッドに座っていた。腕に点滴が繋がれており、まだ安静でいないといけないのだろう。本人はケロッとして特に不調は無さそうな顔色をしていた。元気そうではあるが、コブラは拍子抜けしたように立ち尽くしていた。想像していたより平気そうだと。もっと泣いているものだとそう考えながらもベッドの脇に寄っていく。
「おはよう、コブラ」
「……おはよう。お前、何か平気そうだな」
レザールはきょとんとして言葉の意図を測ろうとしていた。
「お前ならこういう時泣くだろ。訳わかんないくらいに泣きまくるだろ。なんか、拍子抜けした」
「泣くって何で? そんなことよりあの時俺、何があった? 全然覚えてなくってさ」
レザールはあっけらかんとして話題をすり替えた。本人に嘘を吐いている様子は無く、本当に「何で? 」といった様子で首を捻っていた。それはそれとして、覚えていないということは無意識下だったということだ。あの強い光さえあれば百人力だが、どうやったか覚えていないとなれば期待はできない。
コブラはこれまで近くでレザールを見て来た。性格も大凡把握しているつもりだった。だから病室で泣きじゃくっているだろうと気を張って病室に入った訳だが、レザールは至って普通に笑っているだけで涙の跡も形跡も無かった。
「……あのさ、俺の幼馴染死んでんだわ」
コブラは引きつった笑顔でレザールに言った。今まで「死」という言葉でレザールは「怖いこと言わないで」と泣いてきたからだ。感受性の高いヤツだから泣かせて溜飲を下げたい「自分」がいたのだろう。しかしレザールの反応はコブラが期待したものとは違った。
「ええと、そうなの? 」
泣かない。寧ろ素っ気なく返された。近所の何の関わりも無い犬が死んだ時も無関係なのに泣き喚いて、虫すら殺せず可哀そうだからと泣いていたヤツが泣かない。コブラは奥歯を噛み締めて手を強く握りしめた。とてつもなく悔しかったのだろう。自分がよく知っている筈の人間が全く知らない反応を示したことが許せなかったのだろう。
病室を出て近くの公園で座り込んでいるとブレインがやってきた。大き目のトートバッグを持っているところから察するとお見舞いに行く途中だったのだろう。偶然コブラを見つけたから寄ってきたのだ。
「何してんだお前。見舞いには行ったか? まあ、数日で退院するらしいけどよ」
「……行ったけどさ、何か俺が知ってるアイツと違った」
ブレインは宥めるように不器用な手でコブラの頭を雑に撫でた。
「正直、アイツは泣き虫だからよ、泣いて看護師とかに迷惑かけてんじゃねぇかって心配してたんだ。杞憂だったけど。何であれ、無事でよかったよ。ただ、もうあの強い光は使ってほしくねぇけどな」
コブラはブレインの顔を見た。自分とは正反対のことを言うから意味が分からなかったのだ。どう考えてもあれを使った方が効率よく狩れるのにと。
「何で使ってほしくないんだ? 」
「神の落とし子の力って神聖生命体由来なんだろ? 強い力ほど不利益を被ることがあるかもしれねぇってことだ。タダより怖いものは無いって言うだろ。あれにもカラクリがあると思うんだよ」
ブレインの言葉は的確にコブラに刺さった。コブラの目もそうだ。使うと酔う、言わば反動だ。魔力を見る程度の小さな力で反動があるのだからあの「大きな力」に何もない訳が無いのだ。コブラは息を飲んだ。じゃあ、レザールに起きたことというのはーー。
レオンは麦茶を飲みながらコブラの話に耳を傾けていた。コブラは懐かしい出来事かのように天井を見ていた。煙草は膝の上に乗せた手の人差し指と中指に挟まれて煙が上っていた。
「それで、レザールに起きたことって何だったんですか? 」
コブラは深く息を吐いてレオンの目を見て口を開く。
「感情が一つ消えた」
レオンは何も言えずコブラの次の言葉を待った。その説明を。
「喜怒哀楽なのか何なのかは分からんが、一つ確かなのは『哀しい』って感情が無くなったってことだ。あれ以降アイツが泣いてるところを見てないし間違いないだろうよ」
コブラは煙草を咥えて大きく吸い込み、深く煙を吐く。これをレオンに話した理由、それは弟子として知っておいた方がいいからだろう。
「……途中で出てきたガドウィンさんというのは? 」
「俺とアイツの師匠だよ」
レオンには初耳だった。レザールに師匠がいたこと、二人は兄弟弟子という関係だったということ。この話の中の会話以外の部分でガドウィンが出てきていないということがどういうことなのかレオンは内心察していたことだろう。
コブラはこれ以上この話題について何も言わず煙草を吸っていた。レオンもこれ以上は何も聞かなかった。いや、聞けなかった。コブラの様子から、これはコブラ自身も傷として残った過去の話だと悟ったからだ。部屋の空気は重い。二人の帰りをただじっと待った。




