二十五話︰純白の決意
俺はそこらじゅうを歩き回ってみて、色々な人と話をしてみた。
アリストロの人達は『いじめられるほうが悪くね?』と聞いて回る非常識な俺に殆ど悪意を持つことはなく、やんわりと否定し窘めてきた。
出会う人みんな優しくて、何人かは別れ際におやつをくれた。
そうして一時間ほど経った現在、入り組んだ薄暗い路地裏でボロ雑巾のように這いつくばっている。
「うげぇ……!ぁあ゛あ゛っ……!う゛ぅ゛ぅ゛……っ!」
頭の中を掻きむしられるような頭痛、胃腸がひっくり反りそうなくらいの吐き気。
後者は一回吐いてからマシになったけれど前者は駄目だ。頭が壊れて飛び散っていきそうだ、嫌な高熱が脳みそ全体に広がっている。
熱の正体は知恵熱、頭痛の原因はオーバーヒート。
何を隠そう、亀の街の三万人とノンディアさんに加え、俺は今この国の人々十五万人全員の記憶を操っているのである。
命令文は一つ、『ダアスはいじめられても仕方ない』だけで、単体ならかなり簡単な部類に入るが、何しろ人数が人数ある。
魔力、処理能力共にかつてない高難度のミッションとなったが、俺はなんとかやりきった。
頭がおかしくなりそうだった。
「あっ……あぎっ……ひぃぃっ……!」
行動の理由を説明するにあたり、一度今後予想される流れを考えてみよう。
まずはノンディアさんの仲間たちが発見される────彼らがいつまで姿を消しているつもりかはわからないが、十日単位で隠れているということはないだろう。魔物が毎日のように攻めてくる以上、ノンディアさん一人に国防を任せ切りにするとは考え辛い。
今もノンディアさんは仲間たちを探しているだろうが、成否はどうあれ数日以内に彼らは現れる。
ノンディアさんの仲間たちと合流できれば、本来の目的を進めることになるだろう。
即ち、『国と街との人々を合流させ、魔物からの防衛に関する協定を結ぶ』という流れになる。
これ自体はとてもありがたい話で、必要なことだ。なにせ俺一人で成り立っている亀の街の防衛は極めて不安定。これまでは俺がワンミスすれば全人口全滅が確定しているというのに、魔物は年々強くなっているというジリ貧具合である。
まともな戦力を増やさなければそのうち全滅で、『アリストロ』との合流以外に戦力増強の目処は立っていない。
想像していたよりだいぶ少数精鋭だったけれど、ノンディアさん並の人間が三人も協力してくれるなら十数年くらいは何も心配いらないだろう。
しかしながら、俺には防衛の魔物退治のほかにもう一つ課題がある。
ビティのいじめ問題である。
ビティは誰かをいじめないと生きていけない。
ノンディアさんはいじめを許さず、これ以上記憶を弄くれない。
クソと聖女、相反する二人の性質がゆえ先日はかなり苦労したものだが、結局解決した手法は『いじめを従来の悪口大会から隠蔽しやすい方式に変えること』。
なんのことはない。対応はいじめを見つかりにくくしただけで、ノンディアさんにいじめがバレた瞬間詰むという状況は全く変わっていないのである。
そこに来て今回の街と国との合流だ。『国の人間』というイレギュラーな目が増えれば、ノンディアさんに悪行が伝わる可能性も増える。
それでもなんとかなると思った。
何しろ俺は人の記憶を弄くれるのだ。いじめ方式自体に気を遣っている現状、ノンディアさんに直でバレる可能性は極めて低い。
漏れるとすれば少しずつ、『あそこの子たちダアスって子いびってるらしいわよ……!』『やぁねぇ……!』といった噂話をノンディアさんが聞きつけるという形になるだろう。
そこで考えたのは『定期検診』。全人口の記憶を連続的に支配するのではなく、決められた時間に定期的に記憶のチェックを行い、いじめを知っている人間を炙りだすという手法である。
ノンディアさんの影響により現在一〇〇%の精度で記憶を読むのは不可能なのだが、大まかな感情は無理なく読める──であれば国中を歩き回るだけでいい。『あの子いじめられてるんだよな可哀想に』と憐憫を向けてくる奴の記憶を消去すれば隠蔽は完璧、万事解決といった具合である。
完璧であると思っていたのだ。
でも違った。さっと質問してまわったがすぐにわかった、この都市の人間の倫理観は極めて高い。想像の八倍くらい高い。『こういう土地で育ったからノンディアさんはあんな立派な人に育ったんだなぁ』と納得してしまったくらいに高い。
こんな人々に囲まれていては、いじめは噂になる前に対処される。
『ダアスって子いじめられてるんだ……!助けてあげないと……!』と考えた善良な一般人が迅速に然るべき機関に報告した際、同じ治安維持に従事しているノンディアさんの耳に入るというのはありそうな話。
そして、可能性が僅かでもあるなら時間が経てばいずれ詰む。平和に日々を過ごせているなら、五年後十年後、ふとしたきっかけでいじめは露見する。ビティは死ぬ。
つまるところ、妹達が安全に暮らしていくには、この国の人々十三万人にも『ビティのいじめは仕方ない催眠』をかけるしかなかったわけである。
そんなこんなで冒頭に至る。
国と街との合流はまだだが、その時が来ればその瞬間からは一度の失敗も許されない。
今俺がやっているのは、今後一生続けていくであろう『改竄』のリハーサルのようなものというわけだ。
「あひっあひっあ゛ひっ……!う゛ぇぇっ……!!」
路地裏を徘徊しながら喘ぐ醜い影がひとつ。
頭がおかしくなりそうだ。
いや、今の俺は確実に頭がおかしくなっていた。
街の人間三万人、国の人間の一五万人。
ひとりひとりの記憶改竄に必要な思考リソースは極小でも、数が積み上がれば悲劇的な物量となる。
以前改竄を二桁の掛け算に例えたが、それが一八万人ぶん。ノンディアさんのを合わせればさらに倍。実質三六万人。どう考えても人間に処理できる情報量を超えている。
結論を言うと、現在進行形で過剰情報量を捌く俺の脳みそはゴリラと化した。
俺はもうだめだ。ばななとりんごを思い浮かべるだけで思考の限界が訪れている。
端的に何も考えられない。はちみつを考える意識が明後日の方角を向いている。とんでもなく顔の内側が痛い。頭がおかしくなりそうだ。頭がおかしくなっているのか。
この状態を生涯維持しなくてはならない。
俺の寿命がいつになるかは知らないが、街と都市とが合流すれば、その瞬間から一時たりとも気は抜けない。二四時間これを維持できるだけの高IQが求められる。
十分ほど続けてみて、少しずつ異常情報量にも慣れてきたが、ほんとうに少しずつだ。苦痛はちっともおさまらない。
どれだけ慣れても二四時間これを維持するだけの余裕が生まれる気がしない。
もうだめだおしまいだ妹達は殺されるのだ。
「……………………うぉぁ゛ぁ゛」
底しれぬ絶望感、死にたくなるくらいの無力感に包まれながら、死人のように路地裏を歩いた。
徘徊の中での出来事だった。
「おにーさんこんにちはー!暇ならうちで遊んでみない?かわいい子揃ってるよー!」
「………………っ、あ?」
ふいにかけられた声に俺は首を傾げた。
『おにーさん』と呼ばれたのは、普段から周囲の人間の視界を操って俺の容姿を誤認識させているから。ずっと日常的に行ってきた、基本の記憶改竄である。
蕩けた脳みそでは理解に時間がかかってしまうが、つまりこれは、普通の客引きか。
「おにーさんったら真っ昼間からそんなにふらふら歩いてぇ……!わかるぞぉおにーさん、さてはだいぶ酔っ払ってるな?そんな駄目人間にこそオススメしたいキャバクラが、この店『ブーケット』だ!かわいい子いっぱいだそぉみんな優しいぞぉお安くしとくぞぉ!」
「……………………あの、キャバクラってなんですか?」
「えっ知らないの!?」
客引きは俺の無知に困惑しながらも説明してくれた。
キャバクラは女の子に囲まれながら酒を飲む場所であるそうだ。
友達を作って遊ぶこと……街で言うところの合コンみたいなものかと一瞬思ったが、おそらく少々趣向が違う。
眼前の客引きが『性』を強くアピールしているあたり、これはおそらく援助交際の類。魔物が現れるより前の時代には俺達の街にもそういうサービスが存在していたと聞いている。
理解した瞬間、疲れきった俺の脳髄を怒りが支配した。
こうしている今も魔物は人類を滅亡させようと攻撃を続けているというのに、明らか不純で不要不急な娯楽に精を出しているこいつらはどれだけ危機意識が欠落しているのかと心の底から蔑如する。
「………………う、うおぉ……!」
嘘である。
俺は必死に涙を堪えていた。
疲れきった俺の脳髄には、緩慢な自己嫌悪とひとすじの希望があった。
これまでずっと目を逸らしていた事実が一つある。
そもそも俺がノンディアさんの説得を成功していれば、何もかも上手く行っていて、みんな安全で幸せだったのだ。
『ノンディアさん、ビティのこと許してあげてー♡』『いいよ〜♡』と事が進んでいれば、ノンディアさんと国の人々一五万人『改竄』ぶんの消費魔力を節約できる。
足枷は街の人間三万人のみ、これまで八年間の日常と同じだけ魔力を使えるとなれば、人々の平穏はとんでもなく強固なものになる。
さらに、国の人間全員の記憶を読む余裕だってできるだろう。
ノンディアさんの仲間たちの失踪原因を特定し、彼らが隠れて対応しているであろう『問題』を一瞬で解決することも多分できる。
そうなればすぐさまノンディアさんを仲間たちに会わせてあげられる。彼女が心配で心を痛めることもないというわけだ。
すべてを解決する『それ』ができない原因は、ひとえに俺の人間的魅力に問題があるといっていい。
三万人の心を視てきた俺にはわかる。人間は基本的に根本的なところで恋愛脳。
愛する人が頼み込めば、だいたいのことには『いいよ』と首を降ってしまうのが人情というもの。
もし、俺が数日の同棲生活の中でノンディアさんに好意を寄せられていれば、何一つ問題は起こらなかったのである。
「あっ…………!あぁぁ……!」
全部が全部俺のせいだ。
ノンディアさんと仲良くできなかった俺のせいだ。
逆に言えば、俺が今からでもノンディアさんを籠絡できれば、全ての問題は芋づる式に解決する。
「………………キャバクラになりたぁい!」
「おにーさんとりあえず入店…………えっ、あっ、なっ、えっ?」
「あああ゛あ゛女の子を惚れさせて言うこと聞かせたいぃ!無理やりいじめを見逃させるくらいベタ惚れにしたいんです!!うああっ俺にできるかなぁっ、俺にもキャバクラになれるかなぁ!?」
「あっえっなっ……?……はぁ??えっ、お、おにーさんがなるならホストなのでは……?」
「があ゛ぁぁあ!ならホストになりたぁい!!」
俺はホストになることを決めた。




