当主代理の責任
翌朝。
ピルゼン家屋敷の大会議室には、伯爵家の家臣たちが集められていた。
執事、従士長、代官、有力な従士、税務官、倉庫番頭、街の有力商人、村落の村長。
領地を動かす者たちの顔ぶれだった。
その正面に座るのは、フリードリヒ伯爵。
伯爵は冒頭に「皆の者、ご苦労。あとは代理から話す」とだけ言い、あとは沈黙した。
その姿は、かつて会議で真っ先に明快な指示を伝えていた男とは思えなかった。
代わりに立ち上がったのは――ルイーゼだった。
ざわめきが広がる。
目立たなかった次女。
後継でもなく、これまで控えめに影働きをしていた娘。
その彼女が、この場の中央に立っている。
ルイーゼは一度だけ全員を見渡した。
緊張している。
だが、逃げるつもりはなかった。
「当主代理を父から命じられたルイーゼです。
皆様もご存知の通り、王命によりペルツ男爵が援軍を率いて来られました」
静かに言う。
「防衛に関する軍事指揮は、すべて男爵に一任されます」
空気が重くなる。
余所者に軍を預けるのか。
そんな不満と反発を隠さない顔もある。
だがルイーゼは続けた。
「そして、王命により男爵は私の婚約者でもあります」
一気に雰囲気が変わる。
この娘が、自らの主君になるのかもしれない。
これまで後継を疑う者はいなかった。
世子アルフォート、その嫡子フリッツ。
それが当然だった。
だが、アルフォートは死んだ。
老伯爵は衰え、幼子に戦乱の時代を支えることはできぬ。
そして今、王命によってルイーゼはペルツ男爵の婚約者となった。
それはつまり、伯爵家の後継候補という意味に他ならない。
家臣たちは、それぞれに計算していた。
これまでの接し方。
ルイーゼかフリッツか、どちらににつくべきか。
誰が沈み、誰が浮かぶのか。
ルイーゼへ向けられる視線には、
警戒、期待、困惑、そして恐れが混じっていた。
「さて、それはともかく、男爵と話し合いを行いました。防衛に必要な領内の物資の徴発、動員、民政については、これまで通り伯爵家が行うこととなりました」
そこで一度言葉を切る。
「そして父より、当面の領政全般を私が預かるよう命じられました」
なるほどという声、経験のない娘にできるのかという顔、ざわめきが広がる。
長老格の代官が口を開く。
「お嬢様、それは――」
「突然のことで、戸惑いがあるかもしれません」
ルイーゼは遮った。
「ですが、今は戦時です」
視線を正面に据える。
「領地を守る為に必要なことと判断しました」
会議室が静まり返る。
その言葉は、これまでのピルゼン家ではなかった厳しさだった。
「今後、ペルツ男爵からの要求は、すべて私を通して行われます」
はっきりと言う。
「男爵の要求を拒むことは、敗北に繋がります」
「ですが、必要以上の負担で領地を潰すことも認めません」
「その責任は、私が負います」
それは、私が為政者だという宣言だった。
もう誰かの後ろには隠れない。
ルイーゼ自身が、矢面に立つ。
しばし沈黙。
その覚悟を感じたのか、やがて一人の家臣が静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」
一人が従う。
すると、他も続いた。
完全な納得ではない。
だが今は、それで十分だった。
⸻
会議が終わり、家臣たちが退いていく背を見送りながら、ルイーゼはゆっくりと息を吐いた。
まずは家中を抑えることができた。
次はカールと協力して外敵に備えなければならない。
そう思っているところに、背後から突然声をかけられた。
「爪を隠していたのかしら。
あなたにこんな才能があるなんて」
そこにいたのは義姉のアンナ。
これまでに聞いたことのない冷たい口調。
「でも、フリッツこそが正統な後継者。
それだけは覚えておいて」
ルイーゼが何も言わないうちに彼女は立ち去った。
⸻
最前線に近い南部の村落の動員が滞っているという報告が届いた。
「予定人数の六割しか集まっておりません」
執事の声に、ルイーゼは眉を寄せる。
「理由は」
「春耕です」
予想通りだった。
「この時期に若い男を取られれば、冬を越せぬと」
ルイーゼは地図へ視線を落とす。
南部は穀倉地帯、ピルゼン家の財政には不可欠だ。
だが、防衛線建設も止められない。
「従士長は?」
「説得中ですが、まとまらないようです」
ルイーゼは小さく息を吐いた。
「私が行きます」
そのときだった。
廊下を慌ただしい足音が走る。
若い従士が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「ペルツ男爵が南部へ向かわれました!」
ルイーゼが顔を上げる。
「……何ですって?」
「動員遅延を聞き、“話をつける”と」
嫌な予感がした。
カールは悪人ではない。
だが、あの男は戦を最優先にする。
今のまま村へ行けば、衝突になる。
ルイーゼは即座に立ち上がった。
「馬を用意して」
⸻
南部の村は、重苦しい空気に包まれていた。
広場の中央に立つカールと、その前に集まる村人たち。
「相手は待ってくれん」
カールの低い声が響く。
「防衛線が完成しなければ、ヴァイセン軍が雪崩れ込む」
「分かっております」
村長が静かに言う。
「だが畑を捨てることはできません」
「今守りを固めねば全部失う。
男は殺され、女は嬲り物、財産は略奪される」
淡々とした声だった。だからこそ、重かった。その言葉に空気が張り詰める。
兵たちも、村人たちも、息を呑んでいた。
そのとき。
「待ってください!」
馬の蹄の音が響いた。
全員の視線が向く。
ルイーゼだった。
護衛を伴い、馬から降りる。
そのまま真っ直ぐカールの前へ進んだ。
「……来たのか」
カールが意外そうに言う。
ルイーゼは村人たちを見渡し、そしてカールへ向き直った。
「動員については、私が責任を持ちます」
はっきりと言う。
周囲がざわめいた。
「これは伯爵家の責任です」
「男爵には軍事に専念していただきたい」
空気が凍る。
正面からの拒絶だった。
カールの目が細くなる。
「それができていないからやってきたのだが」
「やります」
即答。
「必ず」
沈黙。
視線がぶつかる。
やがてカールが口を開いた。
「……何日だ」
「三日」
「遅い」
「ですが、無理に進めても作業は捗りません。納得させることが必要です」
ルイーゼは一歩も引かない。
「だから、私に任せてください」
その言葉に、村人たちがざわめいた。
任せる、つまり責任を持つ。
貴族が簡単には口にしない言葉だった。
カールはしばらくルイーゼを見ていた。
やがて――
「分かった」
短く言う。
「三日待つ」
そして低く続けた。
「できなければ、次からは俺がやる」
「構いません」
ルイーゼは即答した。
「その前に終わらせます」
⸻
三日後。
南部からの動員は、予定数へ達した。
後方の村からの支援。
農作業を考慮した日程調整。
税の軽減。
作業に出る者への手当の支給。
三日間、ルイーゼはほとんど眠らなかった。
考えられる手は打った。
それでも不満は残った。
しかし、最後は納得した。
それはルイーゼの懸命な説得以上に、これに応じなければ“あの男“が来るという恐れ。
ルイーゼはそれを利用した。
予定通りの動員数を確認したカールは、しばらく無言だった。
「……本当にやったのか」
小さく呟く。
横にいた副官が苦笑する。
「婚約者殿、思った以上にやりますな」
「婚約はこの戦のための方便だ」
カールはそれだけを言い、防衛線へ向かう民たちを見た。
多少の遅れはある。
だが、混乱していた伯爵領の現状を思えば、上出来だった。
あの娘は、脅して人を動かしたのではない。
納得させたのだ。
それは剣で従わせるより、遥かに難しい。
カールは静かに息を吐く。
「……使えるかもしれんな」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。




