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軍靴の音

五日目の朝、カイは軍靴の音で目が覚めた。


 廊下を複数の足音が整然と進んでいく。一人や二人ではない。カイは跳ね起きてドアを開けた。廊下には武装した兵士が六人、一列に並んで歩いていた。迷彩ではなく、帝国正規軍の濃紺の制服。全員が腰に拳銃を下げ、前を向いたまま足を止めなかった。


 カイはスマホで時刻を確認した。午前五時四十分。


 何かが始まった。


 一時間後、ダリウスからメッセージが届いた。『今すぐ来い』それだけだった。カイは向かうことにした。


 その前に船内テレビが速報を流した。


 画面に映ったのは第一皇子アルノ。軍服姿で背後には帝国の旗が掲げられている。昨日までと違い表情に迷いがなかった。


『本日より、クロノス号の安全保障は帝国正規軍が一元管理する。ミラ皇女の死は事故ではない。帝国軍は独自の調査を開始する』


 カイはレストランでその映像を見ていた。周囲の乗客がざわめいている。隣のテーブルの男性が「軍が動いたってことは、本当に殺されたのか」と囁く。子供連れの母親が不安そうにスマホを握っている。


 船内テレビの画面が切り替わり、今度はニュースキャスターが現れ、硬い表情で原稿を読み始める。


『帝国警察は、正規軍による捜査権の侵害であるとして、強く抗議する声明を発表しました』


 軍と警察が正面からぶつかった形だ。


 午前中、カイはAデッキへ向かう。


 しかしエレベーターが開いた瞬間、行く手を阻まれた。廊下の入口に兵士が二人、立ち塞がっている。昨日まで通れた場所だった。


「通行証の提示を」


 カイが乗船証を出すと、兵士は無線で確認を取った。しばらく待たされてから「本日より記録者のAデッキへの立ち入りは事前申請制となりました」と言われる。


「申請はどこで」


「副官室です。ただし本日の申請受付は終了しています」


 カイは引き返した。エレベーターの中で、スマホにダリウスからのメッセージが届いた事に気付く。


『今すぐ来い』


 ダリウスの部屋に入ると、タバコか薬物か分からないような煙が漂っていた。しかし今日のダリウスは椅子に座っておらず、部屋の中を歩き回っている。苛立っているというより怯えているように見えた。


 母親の姿はなく、珍しいことだとカイは感じる。


「アルノが動いた。軍が船内の主要通路を封鎖し始めている。このままでは警察の動きが完全に制限される」


「それはつまり殿下の動きも制限される、ということですか」


 ダリウスはカイを睨むが否定はしない。


「アルノは父の死の真相を掴もうとしている。軍の独自調査というのはそういうことだ」


 カイは静かに聞いていた。


「俺は」ダリウスは立ち止まった。「この船で死ぬつもりはない」


「ではどうするおつもりで?」


「お前に頼みたいことがある」ダリウスは初めて、命令ではなく頼むという言葉を使った。「アルノに取材しろ。軍の調査がどこまで進んでいるか、何を掴んでいるかを探ってきてくれ」


 カイはしばらく沈黙した。


「それは取材ではなく、諜報です」


「言葉の問題だろ」


「言葉の問題ではありません。私は記者です。どちらかの陣営のために動くことはできないのです」


 ダリウスはカイを見る。長い沈黙があった。それからダリウスは深く息を吐く。


「わかった。ただしお前が中立でいられるのもそう長くはない。この船では、どこにも属さない人間が一番早く消えるからな」


 カイは部屋を出た。


 その午後、カイは第六皇子ルカにメッセージを送った。『少しお時間をいただけますか』。返信は短かった。『どうぞ』。カイはルカの部屋を訪ねる。ルカ王子の年齢が若い事もあり、気軽に足を運べる雰囲気を感じていた。


 その日、ルカはベッドに横になっていた。顔色が悪く、いつもより青白くて、目の下には影がある。


「大丈夫ですか」


「少し熱があるんです。でも大丈夫です。座ってください」


 カイは椅子を引いた。テーブルの上に、手のついていない食事のトレーがあった。スープとパン、果物。ルカは食欲がないらしい。枕元にはいつも使っている曇りガラスの球体が置かれていた。病床にあってもそれを手放さないのか・・・。カイはその小さな球体を見ながら、ルカという人間の孤独の深さを感じ取る。球体の内部の白い靄が、ルカの青白い顔と同じ色をしている気がした。


「アルノが動きましたね」とルカは言った。


「ご存知でしたか」


「予想していました。アルノは真っ直ぐな人です。父の死に不審を感じれば、必ず動く。それがアルノの強さであり・・・」ルカは少し間を置いた。「弱さでもあるのです」


「弱さとは?」


「真っ直ぐに動く人間は動きが読めます」ルカはそう言うと、枕元の球体にそっと指を触れた。「帝国の歴史を読めば、人間のパターンはいつも同じです。読める人間はいずれ利用される」


 カイはメモを取りながら、ルカが誰のことを言っているのかを考えた。アルノの動きを利用しようとしている人間・・・もしかしてセリアか。


「ルカ殿下。殿下はこの継承戦でどこまで生き残れると思っていますか」


 ルカは少し考えてから、静かに笑う。


「わかりません。ただ私がいなくなっても、あなたが書いたものは残る。それで十分だと思っています」


 その言葉がカイの胸に鉛のように沈んだ。


 夕方、カイがCデッキの廊下を歩いていると、前方に人だかりができていた。


 近づくと、帝国正規軍の兵士三人と、帝国警察の警察官二人が向かい合って立っていた。どちらも一歩も引かない。兵士の一人が「この区画は軍の管轄下に入った」と言い、警察官が「捜査中の区画への軍の立ち入りは認められない」と返している。


 一般の乗客が遠巻きに見ていた。スマホを向けている者もいた。


 カイもスマホを取り出した。しかし今度は止められなかった。兵士も警察官も互いを意識しすぎてカイに気づいていない。


 カイは動画を撮りながら、この光景が何を意味するかを考えた。


 軍と警察が船内で睨み合っている。それはつまり、アルノとダリウスの戦いが「情報戦」から「物理的な衝突」へと移行しつつあるということだ。


 そしてその隙間で、セリアは何をしているのか。


 廊下の奥から、新たな足音が来る。今度は警察でも軍でもなかった。軍服の兵士が四人、一列で歩いてくる。その中心になんと第五皇子オズがいた。


 ワインレッドのジャケットは消えていた。両手首に拘束具をかけられ、兵士に両脇を固められている。それでもオズは俯かなかった。顔を上げ、廊下を見渡しながら歩いていた。遠巻きに見ている乗客たちに向かって、薄く笑いさえした。


 カイは思わず一歩踏み出す。


「オズ殿下!」


 オズがカイを見る。笑顔のまま小さく首を振った。来るな、という意味だったに違いない。


 兵士の一人がカイの前に立ち塞がる。「下がってください」


「何の容疑ですか」カイは聞いた。


「帝国継承戦規定、第七条。継承戦における不正行為、暗殺の指示その証拠が確認されたのだ」兵士は無表情に答える。


 カイは動けなかった。


 第五皇子オズが連行されていく。その後ろ姿を見ながら、カイはオズが言っていた言葉を思い出した。


「ゲームに乗っかるしかない。降りたら死ぬんだから」。


 あの言葉は本当のことだった。そしてオズはゲームに乗っかりながら、それでも負けた。


 一時間後、船内テレビが速報を流す。


『第五皇子オズ殿下、帝国継承戦規定に基づき、本日十六時、船内にて処刑執行』


 レストランにいた乗客が一斉に画面に視線を向ける。誰も声を出さなかった。子供が「死んだの?」と母親に聞いたが母親は答えなかった。


 カイはモニターを見たままコーヒーカップを置く。


 スマホを開くとSNSが爆発していた。「#オズ処刑」が世界中でトレンド一位になっていた。オズのフォロワー二百万人が一斉に反応している。「野蛮だ」「帝国は狂っている」「誰かこの船を止めてくれ」海外からのコメントが洪水のように流れ込んでいた。船内の乗客も投稿を続けている。連行される様子を遠くから撮影した動画が拡散し、百万回以上再生されていた。


そんな中、カイの元に同僚のカメラマンからメッセージが来た。


「連行されるオズ殿下を撮った。このスクープは売れるぞ」添付された写真を見たカイは目を細めた。連行されながらも堂々と前を向く皇子の姿が映っていたからだ。


 第五皇子オズが消え、残りは四人になった。


 しかしカイの頭の中では、別の疑問が渦を巻いていた。第一皇子アルノは第四皇女ミラ殺害の証拠を第五皇子オズに繋げ処刑した。しかし皇帝の毒殺は・・・その証拠はまだ知らないのだろうか。


 第五皇子オズの処刑によって、船内の空気は一段階変わった。「継承戦は本物だ」という現実が、三万人の乗客全員に突きつけられた瞬間だった。


 カイは席を立つ。スマホに第二皇女セリアの側近からメッセージが届いていた。『殿下が本日の状況についてカイ記者とお話ししたいとのことです。お時間をいただけますか』暴動が起きている最中でも、セリアの連絡は丁寧だった。それがかえって不気味にも感じる。


 レストランを出ると、廊下の向こうから怒号が聞こえた。広場の方向だ。走って向かうと、乗客百人以上が軍の兵士と対峙していた。「出せ!」「閉じ込めるな!」ついに暴動が始まりかけていた。兵士が盾を構えている。その後ろでは警察官が無線で何かを叫んでいる。群衆の中からペットボトルが一本、兵士に向かって投げられた。兵士が一歩前に出る。


 カイはその場で動画を撮りながら、これが世界中にリアルタイムで流れていることを意識した。


 セリアの部屋へ向かった。


 セリアの部屋のドアをノックすると、すぐに開いた。


 セリアの身だしなみは今日も素晴らしく綺麗だった。しかし部屋の中の空気が、これまでと違う。後ろ盾が帝国最大メディアグループ「ヴェラン通信」を支配する財閥でもあるからか、ノートパソコンの台数が五台に増えており、側近が随時情報を整理し稼働していた。母親は奥の部屋に引っ込んでいるらしく、姿が見えなかった。


「軍と警察が衝突しそうです」とカイは言った。「何かご存知ですか」


「・・・どちらが先に折れるか興味深いですね」


「セリア殿下はどう動かれるつもりですか」


「私は動きませんよ」


 ミラが言っていた言葉と同じだった。カイはそのことに気づいて、背筋が寒くなった。


「カイさん」セリアは静かに言った。「あなたは今日、ダリウスの部屋に行きましたね」


 カイは答えなかった。


「ダリウスは何と言っていましたか」


「取材内容はお答えできません」


「そうですか。ではこれだけ言います。ダリウスは今、非常に追い詰められています。追い詰められた人間は予測できない行動を取ります。あなたも気をつけてください」


 カイは部屋を出た。


 廊下を歩きながら、カイは今日一日を振り返った。


 アルノが動いた。ダリウスが怯えていた。ルカが「あなたが書いたものは残る」と言った。セリアは自分の行動を把握している。


 カイは胸のポケットに手を当てた。ルカから預かった侍医の記録がある。


 この紙切れを、カイはまだ誰にも見せていない。見せる相手も、タイミングも、まだわからない。


 しかし一つだけ確かなことがあった。


 この船は明日、聖都に到着する。


 残り、二十四時間を切っていた。

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