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脱落

四日目の朝、第四皇女・ミラが死んだ。


 発見されたのは午前六時過ぎ。Cデッキの外部通路、船の側面に設けられた細い散歩道の手すりの下に、ミラは落ちていた。正確には、通路と船体の隙間に挟まるようにして。三十メートル下は海だったが、ミラの体はそこまで落ちなかった。死亡時期等についての詳細は明かされていない。


 船内放送は「乗客の転落事故」とだけ伝えた。皇族の名前は出さなかった。


 カイがその情報を掴んだのは、同僚のカメラマンからの短いメッセージだった。


『ミラ皇女らしい。今朝、外部通路で。警察が封鎖してる』


 カイはすぐに現場へ向かった。


 Cデッキの外部通路は、すでに規制線が張られていた。


 警察官が四人、入口を固めている。カイが乗船証を出すと、今回は止められた。


「取材は認められません」


「帝国公式記録者です。昨日まで取材を——」


「本日付で、事件現場への記録者の立ち入りは制限されました」警察官は無表情に言った。「署長命令です」


 カイは一歩引いた。署長命令、つまりダリウスの意向だ。昨日まで通れた場所が、今日から通れなくなった。


 規制線の向こうで、制服の警察官たちが慌ただしく動いている。その奥に、白いシートが見えた。


 カイはスマホを取り出し、さりげなく現場の写真を撮った。すぐに警察官に「撮影も禁止です」と制止される。


 カイは廊下を引き返しながら頭を整理した。


 ミラが死んだ。転落事故・・・しかしミラはあれほど知的で慎重な人間だったはず。法律の条文を読み込み、嵐をじっと待つと言っていた女が、朝の六時に外部通路で転落する理由がない。


 殺された。


 しかし誰に。



 午前中、第一皇子アルノの副官からメッセージが届いた。『殿下が記録者にお話ししたいことがあるとのことです。至急お越しください』「至急」という言葉が気になりカイはすぐに向かった。


 部屋に入るとアルノは珍しく副官以外の人間も入れていた。軍服姿の男が三人、壁際に立っている。テーブルには地図が広げられていた。カイが入ると、アルノは地図を素早く裏返す。


「ミラ皇女の件について」とカイは切り出した。


「あれは事故だ」アルノはカイを見た。「それ以上でも以下でもない」


「殿下はそう思っていますか」


 アルノの目が細くなった。


「記者」アルノは静かに言った。「お前はこの三日間、全員の部屋を回ってきたそうだな。何を集めている」


「取材です」


「取材?この船で今起きていることは、単なる取材で済む話ではなくなりつつある。わかっているのか」


 カイは答えなかった。


「一つだけ忠告する。これ以上深く入り込むな。お前はただの記者だ。記録する者であって動く者ではない。その線を越えたとき、俺でもお前を守れなくなるぞ」


 守れなくなる、その言葉が引っかかった。守る気があった、ということでもあるのか。


 カイは部屋を出た。


 昼過ぎ、船内テレビが騒がしくなった。


 カイがレストランで遅い昼食を取っていると、モニターに速報テロップが流れた。


『第四皇女ミラ殿下、本日未明に逝去。原因は調査中』


 レストランがざわめいた。隣のテーブルの家族連れが「皇族が死んだの?」と囁き合っている。カウンターの向こうでスタッフが顔を見合わせている。


 しばらくすると、別のテロップが流れた。


『帝国継承規則第三条により、継承戦は残存皇族により継続される』


 それだけだった。ミラの死を悼む言葉はなかった。制度の説明だけがあった。


 カイはフォークを置いた。


 レストランの外が急に騒がしくなる。窓から見ると、船内の広場に乗客が五十人以上集まっていた。昨日より明らかに増えている。「降ろせ!」「船を止めろ!」という声が聞こえてきた。第四皇女ミラが亡くなった抗議の面もあったのだろうか、SNSには「#クロノス号を止めろ」というハッシュタグが広がり始め、乗客たちが撮影した動画が次々と投稿されている。明らかにミラ皇女の死のニュースが引き金になっていた。警察官が数人、群衆を押しとどめようとしている。しかし人数が足りていない。


 この船では、人が死んでも継承戦は止まらない。止まらないどころか、一人減ったことで残りの五人の緊張が一段階上がる。


 スマホが震えた。第三皇子ダリウスからだった。


『今夜、話がある。二十二時、俺の部屋へ来い』


 命令口調だったがカイは少し考えてから、返信をする。


『分かりました。伺います』


 夜になる前にカイは第二皇女セリアの部屋を訪ねた。


 セリアはモニターの前に座っており、画面には船内テレビの編集画面が映っていた。側近が二人、その横でキーボードを叩いている。


「ミラ皇女の件について、何か発表はありますか」とカイは言った。


「調査中です。この件については警察が捜査していますから」


「転落事故だと思いますか」


 セリアは初めてカイを見た。


「カイさん。私に何を聞きたいのですか」


「殺されたと思いますか」


 セリアは少しの間、カイを見つめた。それから微笑んだ。


「あなたは直接的ですね」


「そういう質問の仕方が好きなので。気分を害されたのでしたらすみません」


「殺された、と仮定しましょう。ではなぜミラが狙われたのか。彼女が持っていたものは何か。法律の知識と、各陣営の動きを観察する目、それが誰かの脅威になったとすれば」セリアは少し間を置いた。「その誰かは、表向き穏やかで、誰にも疑われない人物のはずです」


 カイはメモを取りながら、セリアが誰かを誘導しようとしていると感じた。「穏やかで誰にも疑われない人物」それは第五皇子オズのことか。


「ありがとうございました」とカイは立ち上がる。


「カイさん」セリアが呼び止めた。「私の提案、まだ考えていてくれますか。記事を書く前に見せてほしいという」


「それは・・・考えています」


「時間がなくなってきています。この船では考える時間は贅沢品ですよ」


 二十二時、カイは第三皇子ダリウスの部屋を訪ねた。先ほどダリウスから『今夜、話がある。二十二時、俺の部屋へ来い』という呼び出しがあったからだ。命令口調だったが逆らうと後が怖いのでカイは向かうことにした。


 ダリウスは珍しく、酒を飲んでいなかった。ソファに座り、腕を組んで待っていた。部屋の中には二人きり。何故か護衛も側近もいない。


「座れ」


 カイは椅子に座る。


 ダリウスはしばらく黙っていたが、何かを測るようにカイを見ていた。


「お前、何を知ってる」ダリウスは唐突に突く。


「私には取材で集めた情報があります」


「とぼけるな。ミラのことだ。誰がやったか、お前は何か掴んでいるのか」


 ダリウスは身を乗り出して怒鳴るが、カイは下を向いて答えなかった。するとダリウスは舌打ちをしながら背もたれに体を戻す。


「俺じゃない。ミラを消したのは俺じゃないからな」


「そう言われましても・・・」


「お前は別に信じなくていい。ただ知っておけ。この船で今、俺の知らないところで何かが動いている。マフィア組織アンカーの人間でもない、警察でもない。別の誰かが独自に動いている」


 ダリウスは何故か焦っていた。カイは胸のポケットに入った紙、ルカから預かった侍医の記録の事が脳裏に浮かんだが、口にすることはできなかった。


「今回の件、何か心当たりはありますか」とカイは慎重に聞く。


 ダリウスは少し考えてから低い声で言った。


「金だ。俺には真似できないくらいの金が動いている。この船にいる人間で、そんな金を持っているのは・・・」


 ダリウスはそこで口を閉じる。


 カイは続きを待ったが、しかしダリウスは首を振った。


「もういい。行け」


 カイは立ち上がりドアに手をかけたとき、ダリウスが背中に言い放つ。


「おい、記者。お前は今この船で一番危ない立場にいる。全員の部屋を行き来し、全員の話を聞いている。それは全員にとってお前が邪魔になり得るということだぞ」


 黙ったまま頭を下げる。カイがドアを開け部屋を出ると、廊下の窓から下の階が見えた。広場の抗議はまだ続いていた。警察が解散させようとして小競り合いになっている。その混乱した人ごみの中を、スーツ姿の男が二人、静かに横切っていった。マフィア組織アンカーの構成員だとカイは直感した。民間人の群衆に紛れて、何かを運んでいる。この船の混乱は、組織にとっても好都合なのだ。



 深夜、カイは部屋に戻りノートを広げた。


 第四皇女ミラが死んだ。そして倉庫付近ではマフィアの男が一人亡くなった。これは果たして偶然だろうか?それとも実行犯が口封じのために殺害された?転落事故に偽装されたものの、マフィアを牛耳るダリウスは「自分ではない」と断言した。額に汗を流しながら「俺の知らない金が動いている」とも言っていた。マファイアよりも豊富な資金を動かせる皇族・・・。


 一方で第二皇女セリアは「穏やかで誰にも疑われない人物」という言葉を残していた。


 それは後ろ盾に海外財閥、貿易商人ネットワークを要する人物。カイは取材ノートに一人の名前を書く。


 第五皇子オズ。


 確たる証拠はない。しかし初めて会った日にオズが言っていた言葉が頭から離れなかった。「ゲームに乗っかるしかない。降りたら死ぬんだから」あの言葉は、傍観者の言葉ではなかったかもしれない。


 カイは窓の外を見た。夜の海は静かだった。


 しかし、この静けさは嵐の前触れなのかもしれない、と不安な気持ちが頭をよぎる。


 そして五人になった皇族。


 この船はまだ、聖都に向かって進んでいる。



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