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濁流

その日の午後、船内テレビが一斉に同じ映像を流し始めた。


 画面に映っていたのは、第三皇子ダリウスだった。船内警察署の会議室らしき場所に立ち、腕を組んで正面を向いている。隣には制服姿の警察署長が直立していた。


『皇帝陛下の崩御を受け、帝国警察は本日より船内の治安維持体制を最高レベルに引き上げる。不審な行動を取る者は、皇族を含め例外なく任意同行を求める権限を有する』


 カイはレストランのモニターでその映像を見ながらコーヒーを置いた。


 帝国警察長官の後ろ盾、それが第三皇子ダリウスのもう一つの顔だった。マフィアを裏で操りながら、表では法の番人として警察の権限を抑え振る舞う。その二枚看板の力を、ダリウスは今この瞬間、堂々と船内に宣言した。


 隣のテーブルの客が囁き合っている。「警察が動くなら安心だ」と言っている者もいれば、「なんで第三皇子が警察権限を指揮してるんだ?大丈夫なのか」と訝しむ者もいた。一般市民にはその言葉の裏にあるものは見えないのかもしれない。


 カイはスマホを取り出しメモを打った。〈ダリウス先手。警察権を継承戦の盾に使う気だ〉


 画面を切り替えると、SNSが騒がしかった。乗客たちがダリウスのテレビ演説を撮影してリアルタイムで拡散している。「#第三皇子」がトレンド入りしていた。コメントは賛否が割れていた。「警察が動くなら安心」という声と「皇族が警察を使うのはおかしい」という声が激しくぶつかり合っている。帝国の外からも大量のコメントが流れ込んでいた。世界中がこの船の中の動向を見ているようで、関連ワードが連日トレンド入りしている状態が続いていた。


 午後三時、第四皇女ミラの側近からメッセージが届く。『殿下が本日の状況についてお話ししたいとのことです。お越しいただけますか』前回同様、簡潔な文面だった。カイはすぐに返信してミラの部屋へ向かう。


 前回と同じく、ミラはテーブルで書類を広げていた。しかし今日の書類は帝国憲法ではなかった。カイが目を細めると、それが船内の警察規則と、帝国警察法の条文だとわかった。


「第三皇子ダリウスの発表、見ましたか」とカイは確認する。


「ええ」ミラは顔を上げた。穏やかな笑顔はいつも通りだった。「そもそもこれは想定内の出来事です」


「想定内?」


「あの人はああいう人ですから。力を見せることで相手を萎縮させる。でも警察権には限界があります。帝国警察法の第十七条、皇族に対する任意同行の要請は、対象者本人の同意なしには強制できない。つまり皇族同士では、警察権は抑止力にはなっても、直接の武器にはならない」


 カイは書き留めた。ミラは法律の抜け穴をすでに見つけていたのだ。


「ミラ殿下は今後どう動かれるつもりですか」


「今は動かないですね」


「なぜですか」


「嵐の中で動き回る人間が一番早く消耗しますから。嵐が何かをさらっていくのをじっと待つのが賢いやり方です」


 しばらくしてカイは部屋を出る。廊下を歩きながらミラの言葉を反芻した。彼女はきっと私に伝える事で、マスコミが事実を知り、抑止としての力を行使して欲しいと願って部屋に呼んだのだと感じた。


 ・・・嵐が何かをさらっていく、それは比喩ではないかもしれない。



 午後、カイは再び第三皇子ダリウスの部屋の前を通りかかる。扉の隙間から、甘い煙の匂いが漏れていた。水タバコの匂いだ。昨日も同じ匂いがした。あの煙の甘さは、普通の煙草とは違う何かを連想させた。カイは立ち止まらずに廊下を進んだ。


 夕方、事件は起きた。


 カイが自分の部屋でメモを整理していると、船内放送が流れる。いつものアナウンスとは違う、緊張した声だった。


『Bデッキ、十八番区画において火災報知器が作動しました。乗客の皆様は落ち着いて、最寄りの避難経路をご確認ください』


 カイはすぐに部屋を出る。廊下には既に乗客が出てきていて、ざわめきが広がっていた。子供を抱えた親、スマホで映像を撮ろうとする若者、パニックになって走り出す老人。


 煙は見えなかったし匂いもない。


 カイは人の流れに逆らってBデッキへ向かった。十八番区画は、船内の中層部にある倉庫エリアだった。三日前、第六皇子ルカと密会した場所に近い。


 現場に着くと警察官が三人、区画の入口を封鎖していた。


「立ち入り禁止です」


「帝国公式記録者です」カイは乗船証を出した。


 警察官は一瞬迷ってから無線で確認を取る。するとしばらくして無言で道を開けた。


 中に入ると、煙の痕跡はほとんどない。しかし区画の奥に一人の男が床に倒れていた。三十代くらいでスーツ姿。顔は見えなかった。


 カイが近づこうとすると後ろから声がした。


「そこまでだ。止まれ」


 振り返ると、第三皇子ダリウスが立っていた。私服だったが、後ろに制服の警察官を三人連れている。ダリウスはカイを一瞥し、それから倒れた男の方に視線を向ける。


「これは事故だな」ダリウスは言った。


「火災報知器が鳴りましたが火の気配がありません」


「誤作動だろ」


「倒れている方は?」


「関係者だな」ダリウスの声が一段低くなる。「記録者の取材範囲は皇族とその側近に限定されているだろ。それ以上は立ち入るな」


 カイは一歩引いた。しかし視線は倒れた男から外さなかった。


 男のスーツの袖から、わずかに入れ墨が見えた。錨のマークだった。


 アンカーマフィア組織の名前と同じだ。


 カイは何も言わず区画を出る。廊下に出た瞬間、心臓が速く打っていることに気づいた。


 封鎖区画の外には、野次馬の乗客が数人集まっていた。スマホで現場を撮影しようとしている。その中の一人——四十代の男が、他の乗客とは少し違う立ち方をしていた。壁際に背をつけて、現場ではなく周囲の人間を観察している。カイと目が合った瞬間、男はごく自然な動作でスマホを下ろし、人ごみの中に消えた。気のせいかもしれない。しかしカイはその顔をメモに描き留めた。


 夜になってから、第五皇子オズからまたSNSのDMが届いた。『今日面白いことがあったんだけど聞く?部屋来てよ』相変わらずの軽さだった。カイは丁寧に返信してから部屋を訪ねる。


 オズは今日も派手だった。オレンジ色のシルクのシャツ、指には相変わらず銀のリングが光っている。カイが入ると、オズはソファから立ち上がり、大げさな身振りで歓迎した。


「いらっしゃい。私に何か聞きたい事あるかしら?」


「Bデッキで倒れていた男について何か知っていますか」


カイは直接切り出す。


 オズの表情が一瞬だけ変わった。笑顔の下で眉間のシワが動く。しかしすぐに元に戻った。


「さあ。私には関係ないことですけど」


「倒れていた男の袖に錨の入れ墨がありました」


 オズはゆっくりとソファに腰を下ろした。足を組み、カイを見る。今度は笑っていなかった。


「あなた、本当に普通の記者なの」


「普通の記者です」


「普通の記者は、入れ墨のマークまで見ない」オズは言った。「見ても、それが何を意味するか気づかない」


「推理ドラマが好きなので・・・」


 オズはしばらくカイを見つめてから、小さく笑う。今度の笑いはこれまでとは違い作り物ではない笑い声だった。


「じゃあ教えてあげる・・・ただしオフレコで」


 カイは頷く。


「マフィア組織アンカーの内部で粛清があったの」オズは静かに言った。「ダリウスの命令に従わなかった構成員が消された。今日のはその一人なのよ」


「なぜダリウスの命令に従わなかったのですか」


「さあ。でもね、組織の中で命令に逆らうのは大抵一つの理由しかないの。もっと高いお金を積んだ別の誰かに、すでに引き抜かれていたから」


 カイはメモを取る手を止めた。


「引き抜いた別の誰か、というのは」


「それは私にもわからない。でも面白いと思わない?マフィア組織アンカーの中に別の誰かのスパイがいた。つまりマフィア組織の内部は、もうダリウスだけのものじゃないかもしれない」


 第五皇子との取材が終わり、カイはゆっくりと部屋を出てから廊下の壁に背中をつける。


 頭の中で今日一日の出来事が繋がっていく。


 ダリウスが警察権を宣言した。同じ日に、マフィアの内部粛清があった。そしてオズは「アンカーの中に別のスパイがいる」と言った。


 誰がアンカーに手を伸ばしているのか。


 深夜になるとカイはスマホを取り出し、第六皇子 ルカに短いメッセージを送った。深く入り込み過ぎてるな、と思いながらも継承戦の行方が気になり、指が勝手に動いてしまう。


『今夜、話せますか』


 既読がつくとすぐに返信が来た。


『いつでもどうそ』


急いでカイはルカの部屋を訪ねた。


 ルカは起きていた。ベッドの上に座り、膝の上に本を開いている。しかしページは一枚も捲られていないように見えた。


「聞いてもいいですか」カイは椅子に座った。「セリア皇女はアンカーに接触していますか」


 ルカは少し間を置いた。


「なぜそう思いますか」


「マフィア組織アンカーの構成員が今日消されました。ダリウスの命令に従わなかったからだと聞きました。従わなかった理由は、別の誰かに引き抜かれていたから。その誰かが、アンカーを自分の側に引き込もうとしているとすれば、ダリウスとの密約を持ちながら、さらにその組織の内部まで切り崩そうとしている人間は」


「一人しかいない」ルカは静かに言った。


 二人の間に、沈黙が落ちる。


「第二皇女セリアは、第三皇子ダリウスを使い捨てにするつもりだと思います。密約を守るつもりは、最初からないのかもしれない」


「密約?」


「ええ。父親である皇帝ヴェラン十三世は毒殺されたのです。それは恐らく第三皇子ダリウス経緯で第二皇女セリアの手に渡り、その薬物を使って父親は殺されたのだと思います。そしてその薬物はマフィア組織から入手したのでしょう」


「二人が暗殺を共謀したってことですか?」


「以前から皇族の内部でも噂されていました。皇帝が老いていくにつれ、次期皇帝の座を巡って軍を掌握している第一皇子アノルが有利だと。第二皇女のセリアはこのままだと自分が消されると思い、第三皇子ダリウスと結託して密約を交わしてると」


「密約とは?」


「セリアが皇帝になった暁には秘密裏にダリウスを生かしておくと言われていますが、どこまで真実かは私にもわかりません」


「本当ですかそれは」


「恐らくは。しかし継承戦は一人しか選ばれません。セリアがダリウスの処遇をどうするのか、私にも考えが及ばないところです」


「それをダリウスは知っているのですか」


「うすうす気づいていると思います。だから先に動いた。警察権の宣言も、内部粛清も全部セリアへの牽制なのでしょう」


 カイはメモを閉じた。


「ルカ殿下。あなたは本当に、王座を望んでいないのですか」


 ルカは少し驚いたような顔をして、それから静かに笑った。


「望んでいません。ただこの船で起きていることを、誰かに正確に知っておいてほしい。それだけです」


 カイは部屋を出た。


 廊下の窓の外、深夜の海は真っ黒だった。波の音だけが低く響いている。


 この船の水面下ではすでに濁流が渦巻いている。それが表に噴き出すのはもう時間の問題だった。


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