第87話 親愛なるクラスメイト
◇
翌朝。
鏡の前に立つ。
この姿で学校へ行く。
そう決めたはずなのに、玄関を出る直前になって足が止まった。
「アレク、平気?」
先に外へ出たアメリアが、扉の向こうから顔をのぞかせる。今日は私服姿だった。制服には尻尾を通す場所がないから、僕たち3人はそれぞれ着慣れた服で登校することにした。
「うん。でも、少し緊張してる」
「分かるわ。私だって平気なふりをしてるだけよ」
「アメリアも?」
「当たり前でしょ。ほら、行くわよ」
僕たちは並んで歩き出した。
◇
通学路では、すれ違う人たちがこちらを見ていた。
ひそひそと声を交わす人もいれば、マナリンクを手にして画面を向ける人もいる。ニュースや配信で何度も見られたせいか、僕たちの正体に気づくのは早かった。
聞こえないふりをしたくても、耳は周囲の声を拾ってしまう。
「気にしすぎないの」
アメリアが前を向いたまま言う。
「分かってるよ。でも、やっぱり気になる」
「なら、私の方を見て歩きなさい」
「それだと前が見えないよ」
「じゃあ、前を見て歩きなさい」
「どっちなのさ」
いつもの調子で言い合ううちに、少しだけ緊張が和らいだ。
通学路の角を曲がったところで、白銀の髪が見えた。
「ソフィー!」
僕が声をかけると、ソフィーもこちらに気づいて手を振った。
彼女も私服姿だった。制服では尻尾の収まりが悪く、動きにくいからだ。
「アレク、アメリア!」
ソフィーは僕たちのところまで駆け寄ってきた。学校へ向かう途中で合流する約束をしていた。
「ソフィー、平気?」
「うん。ちょっとドキドキしてるけど、2人と一緒なら大丈夫」
「僕も同じだよ」
アメリアが僕たちの顔を見て、呆れたように息をついた。
「2人とも、心配するのは着いてからにしなさい」
3人で歩き出す。
視線を感じるたびに、尻尾がこわばる。ソフィーも落ち着かない様子で、時々僕の方を確かめるように見る。アメリアは僕たちを急かさず、いつも通りの速さで隣を歩いてくれた。
校門が見えてきたところで、アメリアは自分の教室へ向かうため、僕たちと別れた。
「何かあったらすぐ連絡しなさい。無理して我慢するのも禁止よ」
「分かってる」
「ソフィーもね」
「うん。ありがとう、アメリア」
アメリアは小さく手を振り、校舎へ入っていった。
僕とソフィーも校門をくぐる。
◇
教室の扉の前で、また足が止まった。
中からクラスメイトの話し声が聞こえてくる。
ここを開ければ、みんなが僕たちを見る。
ソフィーが隣で小さく息を吸った。
「一緒に入ろう」
「うん」
僕が扉を開けると、教室の声が一瞬途切れた。
みんなの視線がこちらへ向く。
心臓が早くなる。どんな顔をすればいいのか分からない。誰かが何か言うのを待ってしまう。
最初に立ち上がったのはリアムだった。
「アレックス! ソフィー!」
彼はいつものように笑って、こちらへ近づいてくる。
「来たんだな!」
「あ、うん。久しぶり」
「待ってたぜ。席、ちゃんと空けてあるからな」
リアムはそれだけ言うと、僕の肩を軽く叩いた。
僕が返事を探している間に、ソフィーへも笑いかける。
「ソフィーも、おかえり」
「ただいま、リアム君」
そこへ、マヒナとサパタ、イヌイットも集まってきた。
「2人が来てくれて、うれしいよ」
マヒナが柔らかく微笑む。
「ヒーローと友達なんて、ちょっと自慢できるね!」
サパタが目を輝かせる。
イヌイットは僕たちの頭と後ろ姿を見比べ、ぱっと顔を輝かせた。
「わあ! アレックスとソフィー、耳と尻尾がお揃いだね!」
「ほんとだね」
ソフィーが笑う。
「耳や尻尾で不慣れなことがあったら、いつでも聞いてね! 力になれると思うよ」
その言葉が嬉しくて、僕の尻尾が小さく揺れた。
「ありがとう、イヌイット」
「でも、友達なのは前からだよね!」
イヌイットは尻尾を振りながら言った。
「そうだな。ヒーローになっても、俺たちは友達だ」
リアムの言葉に、みんなが頷いた。
僕たちの外見について、誰もそれ以上触れなかった。
みんなは僕たちを遠巻きにしたりせず、いつもの仲間として迎えてくれた。それが、今の僕には何より嬉しかった。
「席、こっちだよ」
リアムに案内され、ソフィーと並んで自分の席へ向かう。
道中で感じていた周囲の視線は、まだ頭の隅に残っている。それでも、教室には僕たちを待っていてくれた友達がいた。
ソフィーが席に着いて、小さく息を吐く。
「学校に来てよかったね」
「うん。ずっと心配だったけど……心のつかえが1つなくなった気がする」
ソフィーはほっとした顔で頷いた。
僕たちがどんな姿になっても、変わらず友達でいてくれる人がいる。
それを確かめられただけで、今日ここへ来た意味はあった。
「次の授業、遅れるぞー!」
リアムに声をかけられ、僕たちは教科書を取り出した。
少しだけ勇気を出して、学校へ来てよかった。
◇
体育の授業は体力測定だった。
校庭には測定用の器具が並び、ヒート先生が記録用のマナリンク端末を手にしている。
「今日は幅跳び、短距離走、握力、ボール投げ、持久走を測るぞ! 無理はするなよ。自分の記録を知るのが目的だからな!」
ヒート先生の声に、クラスメイトたちが返事をする。
僕とソフィーは、少し離れたところで顔を見合わせた。
「無理はするな、だって」
「うん。どのくらい力を出せばいいのかな」
「普通くらい……?」
「普通って難しいね」
最初は幅跳びだった。
順番が来て、踏み切り線の前に立つ。助走をつけて跳ぶと、身体が思っていたよりもずっと遠くまで飛んでいった。
着地した場所を見て、測定係の生徒が目を丸くする。
「えっ、今の記録……大会の記録と同じくらいじゃない?」
「そんなに跳んだの?」
僕自身、思わず足元を見た。
ソフィーも続いて跳ぶ。彼女の記録も、同じように人間種族の大会記録に並ぶほどだった。
「2人ともすごいな!」
リアムが素直に声を上げる。からかう様子はなく、目を輝かせていた。
次は短距離走。
スタートの合図に反応して走り出した瞬間、景色が一気に後ろへ流れた。ゴールを駆け抜けてから、少し遅れてタイムが表示される。
また、記録欄がざわついた。
ソフィーも僕とほとんど変わらないタイムだった。走り終えた彼女は息を整えながら、驚いたように自分の手を見ている。
「身体が勝手に前へ進んだみたい」
「僕も。考えるより先に走ってた」
握力測定では、力を入れすぎて測定器を壊さないように注意された。
力加減を探りながら握ったつもりだったけれど、それでも数字は大会記録に届くほどだった。ソフィーも同じような結果を出し、先生は測定器に異常がないか確認していた。
ボール投げでも、腕を振ったボールは高く遠くまで飛んでいった。
「すごいな。アレックスもソフィーも、身体能力高すぎだろ」
「特訓でもしてたの?」
「してないよ。僕たちもびっくりしてる」
みんなは、記録を見てただ素直に感心していた。
怪物みたいだとか、近寄りがたいとか、そんな言葉は出てこない。
最後は持久走だった。
走り続けるうち、身体の奥から力が湧いてくる。呼吸は乱れても足は止まらず、周囲の音や風の流れまで妙にはっきり感じられた。
ソフィーも一定のペースを崩さず、最後まで走り切った。
ゴールした僕たちに、クラスメイトたちが拍手を送る。
「よく走り切ったな!」
「2人とも本当にすごいよ!」
その声を聞いて、僕は照れくさくなって頬を掻いた。
ソフィーは少し目を伏せていたけれど、やがて小さく笑った。
「私、この身体のこと……前より少し好きになれたかも」
「僕もだよ」
まだ、完全に受け入れられたわけじゃない。
けれど、この身体にはできることがある。みんなはそれを怖がらず、すごいと認めてくれた。
僕は自分の手を握り、力を確かめる。
この身体も、僕のものだ。
そう思えたことが、今日の体力測定で一番嬉しかった。




