第84話 鋭い感覚とノンデリ
◇
久しぶりにジャンヌとオンライン対戦ゲームを始めた。
マナリンクの通話画面には、いつも通り気の抜けた顔のジャンヌが映っている。
「元気してた? ……訳ないか」
「意外と元気だよ」
心配してくれているのだろうけど、素直に聞くのが恥ずかしいらしい。
「ヘッドホン使えなくなったけど」
頭の獅子耳を指で軽くつつく。
前まで使っていたヘッドホンは人間の耳に合わせた形だ。今の僕が装着しても、音を聞くべき場所に何もない。
無理に頭へ載せようとすれば、丸い耳を押し潰して痛いだけだった。
「草」
「笑い事じゃないよ。結構高かったんだから」
仕方なく今日は部屋の扉を閉め、スピーカーから音を流している。
選んだのは、よく2人で遊んでいた対戦アクションゲーム。
ジャンヌの使うキャラクターは、素早い動きで相手を翻弄する小柄な剣士だ。
対する僕のキャラクターは、重い大剣を振り回す騎士。
いつもなら攻撃する前に懐へ潜り込まれ、そのまま何もできずに負けてしまう。
開始の合図と同時に、ジャンヌの剣士が画面を駆けた。
一気に距離を詰め、剣が閃く。
来る。
考えるより先に指が動いた。
騎士が大剣を盾にして、剣士の連続攻撃を防ぐ。
「ほう?」
剣士が背後へ回り込む。
それも見えた。
僕は騎士を反転させ、横薙ぎの一撃を置くように振った。
剣士が跳び上がってかわす。
空中から次の攻撃が来る。
それまで一つの連続技にしか見えなかった動きが、今日ははっきりと分かれた。
跳ぶ。
剣を引く。
身体をひねる。
攻撃判定が出る。
一つ一つの動作を追える。
まるで相手の動きだけが少し遅くなったようだった。
僕は攻撃が当たる直前に回避し、そのまま反撃する。
「は? 今の返すの」
「なんかスローに見える」
「チートか?」
「使ってないよ!」
本当に何もしていない。
僕のキャラクターが強くなったわけでも、ジャンヌの調子が悪いわけでもない。
画面を見る目と、コントローラーを動かす指が、前より速くつながっている。
縦に割れた銀色の瞳孔が、画面を走る小さな動きまで捉えていた。
次の攻撃も避ける。
反撃。
ジャンヌもすぐに戦い方を変え、攻撃の途中で動きを止めるフェイントを混ぜてきた。
それでも、今日は食いついていける。
攻撃を受けても、続く連携から抜けられる。
いつも一方的にやられていたのに、体力ゲージはほとんど同時に減っていった。
「ライト、急に仕上がりすぎだろ……」
「僕だってやる時はやるよ」
「昨日までやらない側だったやんけ」
残る体力は、お互いにあと一撃分。
ジャンヌの剣士が正面から踏み込んだ。
途中で姿勢を低くする。
下段攻撃。
そう思った瞬間、剣士が剣を上へ持ち替えた。
またフェイントだ。
僕の指が防御ボタンから離れる。
ジャンヌの攻撃に合わせて、大剣を振り抜いた。
金属音とともに、画面へ激しい火花が散る。
騎士が剣を受け流し、がら空きになった胴へ大剣を叩き込んだ。
綺麗なカウンターが決まる。
剣士の身体が吹き飛び、地面を転がった。
画面の中央に勝利を示す文字が浮かぶ。
「やった! 勝った!」
思わず椅子から立ち上がり、青い尻尾まで勢いよく伸びた。
ジャンヌにこのゲームで勝ったのは初めてだ。
「……やるやんけ」
悔しそうにしながらも、ジャンヌは少し笑っていた。
「もう1回やろう!」
「次はわからせる」
そこから何度も対戦した。
さすがに経験の差までは埋まらず、勝率はジャンヌの方が高かったけれど、前ほど一方的には負けなかった。
D因子のせいで獣の名残が身体に残ってしまった。
それを喜ぶ気にはなれない。
けれど、この目と反射神経がゲームでも役立つなんて、少しだけ得をした気分だった。
◇
ひとしきり遊び、ジャンヌとの通信を切った。
背もたれへ身体を預けたところで、鼻がひくりと動く。
甘酸っぱい香りがした。
その奥には、油で揚げた鶏肉の匂い。
醤油と砂糖、それにいくつかの香辛料も混ざっている。
「今日はオレンジチキンか」
部屋の扉は閉まっている。
キッチンは1階で、僕の部屋は2階だ。
それなのに、料理の匂いが目の前にあるようにはっきりと分かる。
意識を鼻へ向けると、別の香りまで拾えた。
炊きたての米。
バターで炒めた野菜。
スープからはタマネギと鶏肉、それに黒胡椒の匂いがする。
「今日のスープ、チキンとタマネギかな」
遠くから包丁がまな板を叩く小さな音が聞こえた。
続いて、キュナの声が1階から届く。
「アレクお坊ちゃまー! 晩御飯ですよー!」
呼ばれる前から献立のほとんどが分かってしまった。
食堂へ降りると、テーブルには予想通りオレンジチキンが並んでいた。
表面を飴色のソースが覆い、湯気と一緒に柑橘の香りが立ち上っている。
キュナとアメリア、エラも席につき、夕食が始まる。
僕はオレンジチキンを一つ口へ運んだ。
衣がさくりと割れ、中から柔らかな肉と熱い肉汁が出てくる。
甘酸っぱいソースの後から、オレンジのわずかな苦みが広がった。
醤油の塩気。
ニンニクとショウガ。
舌が少し熱くなるような香辛料。
今まで食べた時よりも、一つ一つの味がはっきりしている。
「どうですか?」
キュナに聞かれ、僕はもう一口食べた。
「すごく美味しい。なんて言えばいいのか分からないけど……味が深くなった感じ」
「キュナはいつも同じように作ってますよ?」
「料理が変わったんじゃなくて、僕の方が変わったんだと思う」
素材の旨み、というのだろうか。
肉にも衣にもソースにも、それぞれ違う味がある。
白い米を噛めば、今まで気にしたこともなかった甘みまで分かった。
聴覚が鋭くなったことには、獣耳へ変わった時からすぐ気づいた。
今まで聞こえなかった遠くの音まで拾い、大きな音には耳が勝手に伏せてしまう。
けれど、よくなったのは耳だけではないらしい。
嗅覚も味覚も、人間だった頃よりずっと鋭くなっている。
その分野菜は苦く感じるけど。
◇
夕食を終え、自分の食器をキッチンへ運んでいた時だった。
「キュナ、お風呂上がったわ」
アメリアが廊下から食堂へ入ってきた。
赤い髪はまだ少し濡れていて、普段よりも大人しく下りている。
頭の狼耳についた水滴をタオルで拭きながら、冷蔵庫へ向かっていく。
その瞬間、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
花。
それに蜂蜜と、少しだけ果物のような匂い。
僕の鼻が勝手にひくつく。
「アメリア、シャンプー変えた?」
冷蔵庫へ伸びていた手が止まった。
「……え?」
「甘い匂いが強くなったよね。前はもっと花っぽい匂いだけだったけど、今日は蜂蜜みたいな匂いもする」
アメリアがゆっくりとこちらを振り返った。
狼耳がぴんと立っている。
「……ええ。変えたけど」
「やっぱり」
「普通、女の子が使ってるシャンプーの匂いなんて聞く?」
「分かったから、ちょっと気になって」
「しかも、そこまで嗅ぎ分ける!?」
アメリアは濡れた髪を胸元へ寄せ、僕から隠すようにタオルで包んだ。
頬が髪と同じくらい赤くなっている。
僕は別に変な意味で聞いたわけじゃない。
嗅いだだけでシャンプーを変えたと当てられたことが面白かったのだ。
「いい匂いだと思うよ」
「感想まで言わなくていい!」
投げつけられたタオルが顔を覆った。
甘い香りが一気に強くなり、思わず鼻がまた動く。
「ちょっと、返してよ!」
「投げたのアメリアじゃん!」
どうやら鋭くなったのは感覚だけではない。
今までなら気にもしなかったことへ、すぐ意識が向いてしまう。
獣のような好奇心まで、少し強くなっているのかもしれなかった。




