第83話 賑やかな家
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アメリアとの暮らしが始まって、最初の朝。
食卓にはキュナが焼いたパンと目玉焼き、それから山盛りのサラダが並んでいた。
僕の向かいにはお母さん。その隣にはアメリアが座っている。
空いていた席が埋まっただけなのに、いつもの食卓が少し狭く感じた。
「アレクお坊ちゃま、野菜も残さず食べてくださいねー」
キュナに言われ、僕はフォークで葉っぱをつついた。
「食べるよ。今から食べようと思ってたんだ」
「さっきから全然減ってないじゃない。先に野菜を食べた方がいいわよ」
今度はアメリアだ。
「分かってるってば」
「それと、パンくずが服に落ちてるわ」
「後で払うよ」
「食べている最中に払いなさいよ。毛についたら取りにくいでしょ?」
僕は頭に残った丸い獅子耳を両手で塞いだ。
人間の耳は戻っていないから、本当にこれで聞こえづらくなる。
「アメリア、キュナよりうるさい」
「なによ! 同じ家で暮らすんだから、だらしない生活をされたら私まで困るでしょ!」
「キュナよりうるさいとは聞き捨てなりません! キュナは必要なことしか言ってませんよ?」
左右から声が飛んでくる。
耳を塞いでいるのに、獣になってから鋭くなった聴覚は容赦なく2人の小言を拾ってしまう。
逃げるように顔を上げると、お母さんが楽しそうに笑っていた。
「朝から賑やかね。アレックスも寂しくならなそうで安心したわ」
「寂しく?」
「お母さん、そろそろ仕事に戻らないといけないの」
持ち上げかけたフォークが止まった。
「もう行っちゃうの?」
「ええ。急いで片づけなきゃいけない仕事が残ってるから、明日の朝には出るわ」
帰ってきたばかりなのに。
言葉にすると余計に寂しくなりそうで、僕は目玉焼きへ視線を落とした。
頭の獅子耳も伏せてしまう。
自分では隠しているつもりなのに、尻尾まで椅子の横で力なく垂れていた。
「その顔をされると、お母さんも行きづらくなるじゃない」
お母さんの手が伸び、青い髪ごと獅子耳の間を撫でる。
子供扱いしないでよと言いたかったけれど、その手を振り払う気にはなれなかった。
「なるべく早く帰ってくるわ。毎日連絡もするから」
「……うん」
「もう、そんなに落ち込まなくてもいいでしょ」
アメリアがパンを置き、僕をまっすぐ見た。
「お母様が留守の間は、私が一緒にいるんだから」
「アメリアが?」
「なによ、その不満そうな顔は!」
「不満じゃないけど……」
「私がいれば寂しくないでしょって言ってるの!」
そこまで言ってから、アメリアの狼耳がぴくりと揺れた。
自分の言葉が恥ずかしくなったのか、頬が赤くなっていく。
「もちろん、スターハーツの仲間としてよ! アンタが勝手なことをしないように監視する必要もあるし!」
「やっぱり小言を言うためじゃないか」
「違うわよ!」
お母さんの笑い声がますます大きくなった。
朝食を終えると、アメリアは荷ほどきを始めた。
キュナと僕も手伝い、玄関に積まれていた荷物を空き部屋へ運んでいく。
服の入った箱。
勉強道具。
トレーニング用品。
それに、見たことのない高そうな化粧品まである。
「アメリア、これ全部使うの?」
「女の子なら普通よ」
「こんなに顔へ塗ったら、別人になりそう」
「アンタも少しは身だしなみに気を使いなさい!」
アメリアは箱の底から小さなブラシを取り出すと、いきなり僕の後ろへ回った。
「尻尾、ぼさぼさじゃない」
「自分でやるよ」
「ちゃんと見えないでしょ。じっとしてなさい」
青い尻尾をつかまれ、背筋が伸びた。
ブラシが毛先を通るたび、くすぐったさが腰まで伝わってくる。
「ちょっと、優しくしてよ」
「暴れるから引っかかるの。昨日きちんと手入れしなかったでしょ?」
「尻尾なんて最近までなかったんだから仕方ないじゃん」
「私だって同じよ。でも毎朝とかしてるわ」
そう言って、アメリアは自慢するように大きな赤い尾を揺らした。
確かに、白い毛先まで綺麗に整っている。
悔しいけれど、僕の尻尾よりずっと触り心地がよさそうだ。
「触りたいなら触ってもいいわよ?」
「なっ、なんでそんな話になるのさ!」
「さっきから見てるからでしょ」
「見てない!」
慌てて否定した拍子に僕の尻尾が跳ね、アメリアの赤い尾へ絡みついた。
2本の尻尾が、まるで握手するように重なる。
「ちょっと……」
「ご、ごめん!」
すぐに離そうとしたのに、焦るほど毛が絡んでうまくいかない。
僕とアメリアは背中合わせになり、お互いの尻尾を引っ張らないよう少しずつ身体を寄せた。
「動かないで。余計に絡まるわ」
「アメリアが尻尾を振るからだよ」
「最初に絡めたのはアンタでしょ!」
「仲がよろしいのですね」
声に振り返ると、部屋の前にエラが立っていた。
いつも通り表情は薄いけれど、灰色の瞳は僕たちの尻尾へ向けられている。
「違う!」
「違うわよ!」
声だけは綺麗に重なった。
どうにか尻尾をほどいた後、アメリアはキュナの家事を手伝うと言い出した。
居候だから何もしないわけにはいかないらしい。
けれど、キュナが洗濯物をたたみ始めると、アメリアは僕の服を手にして眉をひそめた。
「また同じパーカー。アンタ、本当にこればっかり着てるのね」
「同じのが何着かあるんだよ」
「余計にどうかと思うわ」
「似合ってるんだからいいでしょ?」
「まあ、似合ってはいるけど……」
小さく呟き、アメリアは蒼いパーカーを丁寧にたたんだ。
「今、似合ってるって言った?」
「言ってない」
「言ったよね?」
「聞き間違いよ。獣耳になってから聞こえすぎるんじゃない?」
狼耳を赤くしながら、アメリアは次の服へ手を伸ばした。
午後は、それぞれ自分の課題をすることになった。
僕が部屋でゲームを始めると、開けたままの扉からアメリアが顔を出す。
「アレックス、座り方が悪いわよ」
「今度は何?」
「背中が丸まってる。それと画面へ近づきすぎ」
「これぐらい普通だよ」
「目が悪くなるでしょ」
「マナリンクで調整できるし」
「そういう問題じゃないわ!」
僕はコントローラーを置き、また獅子耳を両手で塞いだ。
「うるさいなぁ」
「子供のうちから姿勢が悪いと、背が伸びなくなるわよ」
その一言で手が止まる。
僕は12歳にしては特別大きくない。しかも今は獅子耳がある分、頭の高さをごまかしているだけだ。
「……本当に?」
「さあ?」
「適当に言ったの!?」
アメリアは笑いながら部屋へ入り、僕の隣へ座った。
「それ、どうやるの?」
「ゲームしたことないの?」
「全然ないわけじゃないけど、得意ではないわ」
僕は予備のコントローラーを渡した。
簡単な対戦ゲームを選び、操作を説明する。
最初こそ壁へぶつかってばかりだったアメリアは、数回遊ぶうちに動きを覚え始めた。
「ちょっと待って、なんで急に強くなるの?」
「相手の動きを見れば分かるわ。アンタ、攻撃する前に必ず右へ避けるじゃない」
「そこまで見る?」
「戦いと同じよ。癖を読めばいいの」
あっという間に負けた。
画面の中で、アメリアの使うキャラクターが勝ち誇っている。
本人まで同じ顔をしていた。
「もう1回」
「あら、負けず嫌いね」
「次は本気だから」
結局、キュナが夕食を呼びに来るまで勝負は続いた。
夕食後、お母さんは明日の出発準備を始めた。
開いた旅行鞄へ服や仕事道具が詰められていく。
僕は廊下からそれを見ていたけれど、胸の奥がまた重くなってきて、自分の部屋へ戻った。
ベッドへ座ると、尻尾が力なく床へ落ちる。
しばらくして、扉が2回叩かれた。
「入るわよ」
「返事を待ってから入ってよ」
アメリアは構わず入ってきた。
けれど、今度は部屋を見回したり小言を言ったりせず、僕の隣へ腰を下ろす。
「寂しいの?」
「……少しだけ」
「そう」
笑われると思ったのに、アメリアは何も言わなかった。
赤い尾だけがベッドの上を静かに動き、その白い毛先が僕の青い尻尾へ軽く触れる。
「明日から朝のトレーニングを始めるわよ」
「いきなりそれ?」
「身体の一部だけを獣へ変えて、確実に戻す練習。学校の課題もあるし、ヒーロー活動の方針も考え直さないといけないわね。それから部屋の片づけと、ゲームの時間も決めるわ」
「やっぱり小言を言いに来たんじゃん」
「忙しくしていれば、寂しがってる暇なんてなくなるでしょ?」
アメリアは得意そうに笑った。
僕は少しだけ呆れて、それから同じように笑う。
「それにしたって、キュナよりうるさすぎるよ」
「なら明日からはもっと厳しくするわ」
「勘弁してよ……」
伏せていた獅子耳が、いつの間にか元へ戻っていた。
部屋の外から、お母さんとキュナが荷造りをする音が聞こえる。
明日になれば、また少し寂しくなると思う。
それでも、この家が静かになることはなさそうだった。




