第81話 押しかけた紅
◇
お母さんとの話を終えて自分の部屋へ戻ると、マナリンクが鳴った。
表示された名前はソフィーだ。
すぐに通信を繋ぐ。
空中に開いた画面へ、ソフィーの顔が映し出された。
白銀の髪の間から、白虎の耳がのぞいている。
淡い青色の瞳には、僕と同じように縦長の獣の瞳孔が残っていた。
画面の端では、白と灰色の縞模様を持つ尾がゆっくり揺れている。
『アレク、おはよう』
「おはよう、ソフィー」
昨日まで途切れがちだった声が、かなり滑らかになっている。
わずかに猫の鳴き声が混じる時はあるけれど、言葉へ詰まることは減っていた。
「ちゃんと話せるようになったんだね」
『うん。朝はまだ、にゃあって声しか出なかったけど、何度も練習したら戻ってきたよ』
「よかった」
ソフィーが嬉しそうに笑う。
その瞬間、白虎の耳がぴんと立った。
表情だけでなく耳まで動くので、以前より気持ちが分かりやすい。
僕も同じなのだろう。
意識して獅子耳を動かさないようにしたら、今度は尻尾が落ち着きなくベッドを叩いた。
『アレクも、かなり戻ったんだね』
「見た目はね。でも、耳と尻尾、それから瞳孔は獣のまま」
画面へ顔を近づけ、銀色の瞳を見せる。
ソフィーも自分の目元を指差した。
『わたしも同じ。お父さんとお母さん、最初はすごく驚いてた』
「ちゃんと話せた?」
『うん。獣になっていたこと。プロテウスのおかげで元へ戻れたこと。ドレッドに捕まって、またD因子を入れられたことも、全部話したよ』
ソフィーの耳が少し伏せられる。
『今の姿については、分かってもらえたの。わたしがわたしのままだってことも』
「それならよかった」
『でも、またスターハーツとして戦うことは、許してもらえなかった』
白い尾の動きが止まる。
『せっかく助かったのに、どうしてまた危険なことをするんだって。何度説明しても、そこだけは説得できなかった』
「僕も似たような感じだよ」
『アレクも反対されたの?』
「うん。でも、条件つきで続けてもいいって」
『ほんとに?』
「当分は戦わないで、まずはトレーニングだってさ」
父さんとの会話を思い出す。
「父さんから最後に、身体を鍛えろって言われた」
『ふふっ、いいお父さんね』
「トレーニングは嫌だけどね……」
『わたしも一緒にやるよ。1人より3人で練習した方が、きっと楽しいから』
「そうだね。アメリアにも後で連絡しよう」
昨日からずっと張りつめていた気持ちが、少しだけ和らいだ。
正体が知られたこと。
獣の特徴が身体へ残ったこと。
これからどうやって暮らせばいいのか分からないこと。
考えなければならないことは、たくさんある。
それでも、ソフィーといつものように話している間だけは、少し前の日常へ戻れたような気がした。
その時だった。
家の外から聞こえていた騒ぎが、一段と大きくなった。
「誰か来ました!」
「今のお気持ちを聞かせてください!」
「スターハーツは今後も活動を続けるんですか!」
何人もの声が重なり、窓ガラス越しにも響いてくる。
ぴくっ。
頭の獅子耳が勝手に声の方向を向いた。
『どうしたの?』
「外が急に騒がしくなった。ちょっと見てくる」
『気をつけてね』
通信を繋いだまま、マナリンクの画面を小さくする。
部屋を出て階段を下り、玄関へ向かった。
外から聞こえる声は、ますます大きくなっている。
誰かを取り囲み、次々と質問を浴びせているようだ。
玄関横の窓から、そっと外をのぞく。
大勢の報道陣や配信者に囲まれながら、こちらへ歩いてくる少女がいた。
「アメリア!?」
赤いショートボブの上には、大きな赤狼の耳。
腰からは、先端だけ白い、ふさふさとした赤い尾が伸びている。
金色の瞳には獣の縦長の瞳孔が残っていた。
アメリアは片手に大きな旅行鞄を持ち、もう片方の手で重そうな荷物を引いている。
「アメリアさん、ご家族とは話し合ったんですか!」
「獣人になった今のお気持ちは!」
「こちらはアレックス・ジクスト君の家ですよね!」
「2人は交際しているんですか!」
周囲の人々は、彼女の獣耳や尾を好奇の目で見つめていた。
撮影用ドローンも、頭上を飛びながらアメリアを映している。
けれど、本人はまったく気にしていないようだった。
背筋を伸ばし、いつもの堂々とした足取りで人混みを突き進んでくる。
「そこ、邪魔よ! 通しなさい!」
赤い尾が苛立ったように大きく揺れた。
報道陣が一瞬怯んだ隙に、玄関の扉を開ける。
「アメリア、早く入って!」
「遅い!」
なんで僕が怒られるんだろう。
アメリアが大量の荷物を抱えたまま家へ飛び込む。
僕はすぐに扉を閉め、鍵をかけた。
扉の向こうから質問する声や、何度もシャッターを切る音が聞こえてくる。
「まったく、しつこいったらありゃしないわ!」
アメリアは大きな旅行鞄を床へ置いた。
ドンッ!
玄関が揺れそうな重い音が響く。
「アメリア様、いらっしゃいませ」
騒ぎを聞きつけたキュナが、リビングから顔を出した。
その後ろから、お母さんもやってくる。
「アメリアちゃん? その荷物は……」
アメリアは姿勢を正した。
そして、お母さんの前で深く頭を下げる。
「アレックスのお母さん!」
赤い狼耳まで前へ倒れた。
「私をここに置いてもらえませんか!」
「え?」
お母さんが目を瞬かせる。
「と、泊まるのは全然いいけど……ご両親には連絡しているの?」
「アメリア、どういうこと!?」
僕も2人の間へ割って入った。
どう見ても、数日の宿泊に必要な量ではない。
大きな旅行鞄に、着替えの入っていそうな鞄。
勉強道具らしき荷物まである。
引っ越してきたと言われた方が納得できる。
アメリアは頭を上げた。
金色の獣の瞳には、迷いがなかった。
「絶縁してきました」
「ええっ!?」
僕とお母さんの声が重なる。
小さく表示していた通信画面からも、ソフィーの驚く声が聞こえた。
『アメリア、絶縁って……!』
「どうしてそんなことになったの?」
お母さんが慎重に尋ねる。
「どうしても、スターハーツとしての活動を認めないと言われたので」
「だからって、絶縁することないでしょ!」
「私が何を言っても聞いてくれなかったのよ!」
アメリアが僕を睨む。
狼耳が鋭く立ち、赤い尾が床を打った。
「外へ出るな。もう戦うな。治安維持部隊の護衛をつける。学校は通信教育って言われたの!」
「心配してるからじゃないの?」
「分かってるわよ!」
アメリアの声が響く。
その後、少しだけ声を落とした。
「でも、何もできないまま家に閉じ込められるなんて、私は絶対に嫌」
金色の瞳は真っすぐだった。
「ドレッドを止めるまで、私はスターハーツを辞めないわ」
その意思は、少しも揺らいでいない。
お母さんはアメリアの顔と、玄関へ積まれた荷物を交互に見る。
「アメリアちゃん、ここで暮らすつもりなの?」
「はい」
アメリアは再び頭を下げた。
「生活費は自分で払います。食費も、必要なお金も、全て私が負担します」
「そういう問題じゃ……」
「自分のことは自分でします。一切ご迷惑はかけません」
赤い耳を伏せ、深く頭を下げ続ける。
「お部屋だけ貸してください」
お母さんは、すぐには答えなかった。
外からは、今も報道陣の声が聞こえている。
アメリアを今から追い返したところで、あの人混みの中へ放り出すことになる。
それに、絶縁したという言葉が本当なら、帰る場所もない。
お母さんは長く息を吐いた。
「……アメリアちゃん。顔を上げて」
アメリアがゆっくり顔を上げる。
「分かったわ」
「本当ですか!?」
「しばらく、うちにいなさい」
アメリアの赤い尾が勢いよく持ち上がった。
「ありがとうございます!」
「ただし――」
お母さんは、浮かれかけたアメリアの肩へ両手を置いた。
「ご両親とは、いずれ必ず和解するのよ?」
アメリアの耳が、わずかに伏せられる。
それまで真っすぐだった視線が揺れた。
「……はい」
小さな返事。
初めて、アメリアの金色の獣の瞳孔が曇った。




