第80話 一夜明けて
◇
翌朝、目を覚ますと身体が軽くなっていた。
ベッドの上で、恐る恐る両手を見る。
昨日まで蒼い毛に覆われていた手は、人間の小さな手へ戻っている。
黒い爪も、大きな肉球もない。
腕や脚を動かしても、獣の関節とは違う、慣れ親しんだ感覚が返ってきた。
身体を覆っていた毛皮も消え、吸収されていたパーカーやショートパンツが元の形へ戻っている。
「戻ってる……」
胸を撫で下ろしかけた時、頭の上で何かが動いた。
ぴくっ。
鏡の前へ駆け寄る。
そこに映っていたのは、ほとんど元の僕だった。
けれど、髪の間から丸い獅子の耳が生えている。
腰の後ろには、先端に濃い蒼色の房毛を持つ尾も残っていた。
銀色の瞳孔も、獣のように縦へ細く裂けたままだ。
人間だった頃の耳は戻っていない。
試しに頭の獅子耳を指で触れる。
柔らかい毛の下に、触れられた感覚がはっきりとあった。
意識すると、左右の耳が別々に動く。
尻尾も僕の気持ちへ反応するように、落ち着きなく揺れていた。
「完全には戻ってないんだ……」
それでも、昨日の全身が獣になった姿よりは人間に近い。
自分の手を見つめ、少しだけ安堵した。
リビングへ下りると、お母さんとキュナがテレビを見ていた。
画面へ映っているのは、昨日の戦いだった。
炎に包まれた大通り。
マッチガールへ向かって駆ける蒼銀の騎士。
そして、変身が解けた僕たちが獣人へ変わっていく瞬間。
『正体不明のヒーローチームとして活動を続けてきたスターハーツ。その正体が、未成年の少年少女であったことが判明しました』
映像の下には、僕たちの名前と年齢が並べられていた。
アレックス・ジクスト、12歳。
アメリア・ヴェイル、14歳。
ソフィア・コシュキナ、人間換算12歳。
番組は、僕たちが学校へ通う姿まで映していた。
どこから手に入れたのか、聖マギナ学園へ登校する僕の写真もある。
『治安維持局は、3人を公式に保護することを発表しています。しかし、これまで子供たちが危険な戦闘へ参加していた事実について、今後責任を問う声が強まるものと予想されます』
画面が切り替わり、評論家たちが並ぶスタジオへ移った。
『ヒーローが子供の集まりとは。こんな子供たちに治安維持を委ねるなんて、国も落ちたものですね』
眼鏡をかけた評論家が、呆れたように首を振る。
『彼らは正規の訓練を受けた治安維持部隊員ではありません。今回の被害も、未熟な子供が現場へ介入したことで拡大した可能性があるのでは?』
違う。
僕たちが行かなければ、もっと多くの人が傷ついていた。
そう言い返したかった。
けれど、テレビの中にいる人へ僕の声は届かない。
キュナがテレビを消した。
急に静かになったリビングへ、紙の擦れる音が響く。
テーブルの上には、朝刊が置かれていた。
一面に大きな文字が並んでいる。
『衝撃! スターハーツが獣の姿に! 元に戻れるのか!?』
その下には、獣人となった僕たち3人の写真が掲載されていた。
僕の蒼い毛並みも、アメリアの赤狼の姿も、ソフィーの白虎の姿も、はっきりと写っている。
別の記事では、僕たちの家族構成や学校生活まで書かれていた。
マナリンクを開けば、もっと酷かった。
配信者たちが昨日の映像を繰り返し流しながら、好き勝手なことを口にしている。
『スターハーツの正体、全部調べてみた!』
『獣人化はドレッドの自作自演?』
『アレクサンダーことアレックス君の自宅前から生配信!』
『子供を戦わせていた両親にも責任があるのでは?』
中には僕たちを応援する声もあった。
命を救ってもらったと話す人もいる。
それでも、僕たちを責める声や、面白がって騒ぐ声ばかりが目に入った。
尻尾が脚へ巻きつく。
「もう見なくていいわ」
お母さんが僕のマナリンクを伏せた。
「しばらく外へ出ない方がいい。学校も休みなさい」
「でも……」
「でも、じゃないわ」
お母さんの声が強くなる。
「昨日、あなたが炎の中へ飛び込んでいく映像を見たのよ。その後は、苦しみながら獣へ変わって……」
言葉が止まる。
お母さんの手が微かに震えていた。
「もし、あなたが死んでいたらどうするの?」
「死なないように戦ったよ」
「子供が命懸けで戦う必要なんてないでしょう!」
大きな声に、獅子耳が伏せられた。
「街のことは治安維持部隊に任せればいい。あなたはもう、スターハーツを辞めなさい」
「嫌だ」
自分でも驚くくらい、はっきりと言葉が出た。
お母さんが目を見開く。
「僕は、これからも活動を続けたい」
「アレックス」
「ドレッドは止まらないよ。治安維持部隊が来るまで待っていたら、助からない人だっている」
ラクーンの姿が頭に浮かぶ。
マッドハッターに命を握られ、悪いことをさせられていた。
ソフィーも、ドレッドの治療を受けなければ生きられなかった。
アメリアも、心の隙につけ込まれてD因子を飲まされた。
「僕たちと同じように、D因子で苦しんでいる人がいるんだ」
「それでも、あなたが戦う理由にはならないわ」
「僕にしかできないことがある!」
思わず声を張り上げた。
獅子の唸り声が混じり、自分でも少し驚く。
それでも、引き下がれなかった。
「プロテウスで変身を使えるのは僕たちだけだ。D因子のことも、身体に入れられた僕たちだから分かることがある」
尻尾が大きく揺れる。
「僕は、僕にしかできないことをしたい」
お母さんの目を真っすぐに見た。
「ドレッドを止める。でないと、みんなが苦しむ」
お母さんは、しばらく何も言わなかった。
やがて困ったように眉を下げ、深く息を吐く。
「……お父さんみたいなことを言うのね」
父さんは、今も外国で働いている。
魔導技術で水のない土地へ井戸を掘り、荒れた大地へ木を植えている。
災害で壊れた町へ赴き、生活に必要な設備を復旧することもある。
仕事ばかりで、家へ帰ってくることは少ない。
口数も少なく、何を考えているのか分からない時もある。
それでも、人のために世界中で活動する父さんは、僕の誇りだった。
「お父さんにも聞いてみましょう」
お母さんがマナリンクを操作する。
数回の呼び出し音の後、空中へ通信画面が開いた。
作業服を着た父さんが映る。
背後には乾いた大地と、大きな掘削用の魔導器が見えた。
額には汗がにじみ、作業の途中だったことが分かる。
『……アレックス』
低く、落ち着いた声。
「父さん……」
『ニュースは見たぞ』
父さんの視線が、僕の頭へ向けられる。
青い獅子耳が無意識に動いた。
その次に、腰から伸びた尻尾へも視線が落ちる。
何か言われると思ったけれど、父さんは表情を変えなかった。
『無事でよかった』
その一言で、胸の奥が熱くなった。
「父さん、僕は……」
言葉を選びながら、両手を握る。
「危なくても、戦いたい」
お母さんが何かを言いかけたけれど、父さんは黙ったまま僕を見ている。
「戦わないと守れないんだ」
僕はこれまでに起きたことを話した。
治安維持部隊が間に合わなかった事件。
ドレッドに利用されている人たち。
これからもD因子で苦しむ人が増えるかもしれないこと。
そして、僕にしか使えないプロテウスの力があること。
父さんは途中で遮らず、最後まで聞いてくれた。
『そうか』
短い返事の後、しばらく沈黙が続いた。
映像の向こうから魔導器の作動音と、風の音が聞こえてくる。
『アレックス』
「うん」
『絶対に、命を投げ出すようなことはするな』
父さんの声が、いつもより強くなった。
『危険になったら逃げろ。自分たちで解決できないと思ったら、必ず大人を頼れ。それを忘れるな』
ジムおじさんにも、同じことを言われた。
困った時や辛い時は、大人を頼れ。
あの時より、その言葉の重さが分かる。
「……うん」
『お前は俺の子供だ。お前が選んだ生き方を、否定するつもりはない』
画面の中で、父さんが真っすぐ僕を見る。
『だが、無謀なことをさせる気もない』
「無謀なことなんて……」
『昨日のお前たちは、敵の力を把握しないまま戦い続け、結果としてそのD因子とか言う奴へ頼らざるを得なくなった』
何も言い返せなかった。
生き残るために必要だった。
それでも、マッドハッターの思惑どおりだったことは否定できない。
『まずは、今のお前に何ができるのかを考えろ』
父さんは静かに続ける。
『力が伴わないまま誰かを救おうとするのは、犠牲者を増やすだけだ。守ろうとした相手だけでなく、お前自身や、一緒に戦う仲間まで傷つける』
アメリアとソフィーの姿が浮かぶ。
2人とも、今は僕と同じように完全な人間へ戻れていないはずだ。
もし、昨日よりもD因子が強く刻み込まれていたら。
また獣の姿から戻れなくなっていたら。
「……分かった」
戦うことだけを考えてはいけない。
自分たちの身体を調べること。
D因子への対策を見つけること。
治安維持局やジムおじさんと連携すること。
できることを増やさなければ、次も生き残れるとは限らない。
父さんは小さく頷いた。
それから、お母さんへ視線を向ける。
『サリッサ』
「何?」
『俺からも頼む。アレックスに、今のこいつができることをやらせてやってくれ』
「あなたまで、そんなことを……」
『家へ閉じ込めても、こいつは勝手に飛び出す』
「そんなことしないよ!」
反射的に否定したけれど、父さんとお母さんが同時に僕を見る。
尻尾が気まずそうに脚へ巻きついた。
……絶対にしないとは言い切れない。
父さんがわずかに口元を緩めた。
『なら、隠れて動かれるより、条件を決めた方がいい』
お母さんは両腕を組み、長い間考え込んだ。
やがて深くため息をつく。
「……分かったわ」
「お母さん!」
「ただし、お父さんとの約束は絶対に守ること」
僕の前へ屈み、両肩へ手を置く。
「危なくなったら逃げる。自分たちだけで判断しない。必ず治安維持局や信頼できる大人へ連絡する」
「うん」
「今の身体に何が起きているのか分からないまま、無茶な力を使わない」
「分かった」
「家族に黙って出ていかない。帰る時間も、行き先も伝える」
「……はい」
条件がどんどん増えていく。
それでも、止められるよりずっといい。
お母さんは僕の獅子耳へ視線を向けた後、少しだけ寂しそうに笑った。
「あなたが選んだことなら、できる限り支えるわ」
「ありがとう、お母さん」
尾が嬉しさを隠せず、大きく左右へ揺れた。
お母さんはそれを見て、僕の頭へ手を伸ばす。
「でも、本当に危険だと思ったら、すぐに止めますからね」
「うん。約束する」
お母さんは最後に、もう一度僕の獅子耳を撫でた。




