第8話 ヒーローショーになっちゃった
「ボクのショーは最高だぁ!」
まるで自分に言い聞かせるように、クラウンは叫んだ。
客席は空になりつつあった。倒れた椅子を避けながら、みんな出口へ押し寄せている。
その流れから外れたところに、小さな女の子がいた。
「ママぁ! どこぉ!」
泣きながら辺りを見回している。近くに親らしい人はいない。
声が届いていないのか、呼ばれる相手も人波の向こうだった。
クラウンの顔が、そちらへ向く。
「ああ! 次のお客様だ!」
6本の腕のうち、1本が伸びた。
「さぁ! 次はもう1度、人体切断マジック!」
女の子が逃げようとする。
けれど、大きな手に服の襟首を掴まれた。
「今度はタネも仕掛けもございません!」
靴底が床を擦る。
クラウンは構わず女の子をステージへ引き摺っていく。小さな両手が首元の服を握り、必死に引っ張り返していた。
「本当に真っ2つにして、拍手喝采だぁ!」
「いやぁぁぁ!」
泣き声が、悲鳴に変わった。
さっきまで箱を使っていたステージが見える。
離れた箱から足が動いたときは、どうなっているんだろうと思った。
でも、今度は違う。
あいつは本当にやるつもりだ。
逃げなきゃと思っていた足が、止まる。
誰か。
誰か、あの子を助けて。
出口の方を見る。みんな我先に逃げようとして、押し合っていた。自分の子供を抱き上げた人も、転んだ連れを起こしている人もいる。
誰も、こっちを見ていない。
クラウンは完全に狂ってしまっている。
泣いている子を引き摺りながら、笑顔の化粧を客席へ向けていた。残った手のナイフが、日差しを弾く。
このままじゃ、本当にあの子が切断されてしまうかもしれない。
助けに行ったら、僕もあれを向けられる。
昨日は針に当たっても平気だった。でも、ナイフも平気かどうかなんて分からない。
胸の中が、嫌な速さで鳴っている。
それでも、女の子の靴がステージの縁に引っかかったとき、身体が前へ動いた。
もし、僕が助けられるなら。
もし、僕に力があったら。
そう思った頃には、胸から蒼白い光が溢れていた。
服越しに光が走り、腕へ広がる。
指先が硬い機械に置き換わり、肘から肩へ白銀の装甲が重なっていった。脚が伸び、目線が持ち上がる。
腕のマナリンクが装甲に取り込まれ、額には硬い感触が広がった。
変わっていく。
今度は、その変化が止まってほしくなかった。
早く。
あの子が、まだ泣いている。
倒れた椅子を越え、ステージへ向かう。
クラウンがこちらを見た。
その手には、女の子の襟首がまだ握られている。
「や、やめろ! その手を離せ!」
最初の声は、少しつかえた。
それでも、今度は逃げずに立っていた。
風船と色鮮やかな旗に飾られたモールの屋上。
そこで白銀の騎士が道化師に立ち向かう光景は、まるでヒーローショーのようだった。
「なんだ、お前は!」
クラウンが目を見開いた。
無理もない。目の前にいた少年が、突然こんな騎士の姿になったんだから。
女の子は、まだその手に捕まっている。
近づきたい。
でも、僕が動いたら、あの子にナイフを向けるかもしれない。
「ボクのショーを邪魔するなぁ!」
クラウンの腕が振り上がった。
ナイフの刃が光る。
何か、防ぐもの。
足元に倒れた椅子があった。その背もたれには、飾りの風船が括りつけられている。
咄嗟に手を伸ばし、結び目のすぐ上を掴んだ。
ナイフを防いで!
腕から青白い光が走る。
指先に触れた風船へと光が伝わり、丸い表面を細かな回路が覆った。
それを胸の前へ持ち上げた瞬間、ナイフが飛んできた。
間に合って。
切っ先が風船に突き刺さる。
表面が大きく窪んだ。
割れない。
刃を包むように深くめり込み、その勢いを受け止めている。風船を握った腕まで押し戻され、思わず足を踏ん張った。
次の瞬間、窪みが弾けるように戻った。
ナイフが跳ね返る。
ザクッ!
クラウンの肩に、刃が突き立った。
「グギャ!」
肩から伸びた腕が痙攣し、青い血が衣装を伝う。
あの血の色。
ヘッジホッグと一緒だ。
悲鳴に重なって、女の子の靴が床を叩いた。
掴まれていた手が離れている。
「今のうちに逃げて!」
「……うん!」
涙で濡れた顔がこちらを向き、それから出口へ走り出した。
クラウンが動くたびに、風船を握る手に力が入る。
あの子の方を向かないで。
こっちを見ていて。
小さな背中が屋上の出入口を抜けるまで、目の前の腕とナイフから目を離せなかった。
扉の向こうへ足音が遠ざかる。
残ったのは、僕とクラウンだけだった。
倒れた椅子の間を、割れた風船の破片が転がっていく。さっきまでの悲鳴がなくなると、流れ続ける陽気な音楽が妙にはっきり聞こえた。
「もう、こんな事はやめて!」
クラウンは肩に刺さったナイフを掴んだ。
それを引き抜き、青く濡れた刃を見つめる。
「お客さんは、過激なショーを望んでいる!」
声が裏返った。
「昔のボクのパフォーマンスなんて、誰も見てくれない!」
笑顔に描かれた口元が歪む。
笑っているのか、泣いているのか分からなかった。
さっきの欠伸を思い出す。
退屈させるつもりなんてなかった。最初に風船を全部割ったときは、本当にすごいと思った。
でも、それを伝えるには、目の前のナイフが怖すぎた。
「だからボクは、『変わるんだ』。古い自分を脱ぎ捨てて!」
メキメキッ!
クラウンの衣装が膨らんだ。
脇腹の辺りから、新しい手が突き出す。
指が開き、肘が曲がる。その隣からも腕が伸び、先に生えていた腕を押しのけた。
まだ増えるの?
風船を前に構えたまま、足が後ろへ下がる。
肩から、胸から、背中から。
裂けた衣装の隙間を埋めるように、何本もの腕が生えていく。互いの肘がぶつかり、指が絡み、それでも次々と伸びてくる。
どれが最初からあった腕なのか、もう分からない。
上半身は、顔以外のほとんどが腕に覆われていた。
その中央に、白塗りの顔だけが残っている。
「ァァァア!ヒャヒャヒャヒャ!」
開いた口から漏れたのは、言葉にならない叫びだった。
もう、ショーの説明もしない。
無数の手が宙を掴み、僕の方へ伸びてくる。
もう、人間じゃない……。




