第78話 代償と報復
「主演の賞は間違いなしだね、ヒーロー諸君」
マッドハッターは僕たちの戦いを見下ろし、まだ余韻に浸るように拍手を続けていた。
「次はお前だ、マッドハッター!」
僕は蒼銀の爪を構えた。
全身を走る雷は弱まっている。
それでも、ここで逃がすわけにはいかない。
「私が相手をしてもいいが――」
マッドハッターは大きなシルクハットの縁に指を添えた。
「周りの2人は、まだやれるのかね?」
振り返る。
イアハートもスノーホワイトも、膝へ手をついて肩で息をしていた。
紅蓮の炎は消え、白い冷気も途切れている。
「だ、大丈夫よ……これくらい……」
イアハートは強がるように顔を上げたけれど、足元がふらついている。
「わたしも……まだ……」
スノーホワイトの白い機械尾が力なく垂れ下がった。
少し遅れて、僕の身体にも激しい脱力感が押し寄せた。
「ぐっ……」
肺が空気を求めている。
心臓が速すぎるくらいに脈打ち、蒼銀の装甲が急に重くなった。
立っているだけなのに、全身から力が抜けていく。
「大いなる力には、大いなる代償が伴うものだよ」
マッドハッターが倒れているマッチガールを指差した。
「見たまえ」
「ぐっ……がぁぁぁっ!」
マッチガールの身体が跳ねた。
赤黒い鱗に覆われた手が路面を掻き、長い爪が深い傷を刻む。
一度は小さくなった炎が、鱗の隙間から再び噴き上がった。
けれど、それは攻撃のための炎ではない。
彼女自身を内側から焼くように、身体へまとわりついている。
「熱い……熱いっ! 身体が……!」
背中が大きく盛り上がる。
手足の骨が軋み、身体を支えきれなくなったマッチガールが四つん這いになった。
人間らしい腕と脚が太く短く変わり、赤黒い鱗が全身を覆っていく。
首が前へ伸び、口元が裂けるように突き出した。
衣服も装備も鱗の中へ吞み込まれ、人の輪郭が急速に失われていく。
最後に残った燃えるような赤髪も短く縮み、頭から背中へ続く炎のようなたてがみへ変わった。
そこにいたのは、もう女性の姿をした幹部ではない。
赤黒い鱗に覆われた、大きなサラマンダーだった。
太い尾が路面を叩く。
口の端から炎が漏れ、金色の縦長の瞳だけが、マッチガールだった頃の面影をわずかに残している。
「何が……起きてるの……?」
イアハートの声が震えた。
「D因子は、働いた分をきっちり請求するタイプでね」
マッドハッターは楽しそうに説明する。
「強い力を振るえば、それだけ深く身体へ刻み込まれる。欲望に応えてくれる代わりに、使った者をD因子に相応しい姿へ作り替えていくのさ」
「そんな……」
スノーホワイトが自分の白い機械の手を見つめた。
カチッ。
小さな音とともに、その指先から光が消えた。
「え……?」
白い装甲の接合部が一斉に開く。
胸や肩を包んでいた装甲が光の粒となり、スノーホワイトの身体へ吸い込まれていった。
機械猫耳が消え、節のある尾も腰へ収縮する。
「ソフィー!」
プロテウスの変身が解けた。
白銀の髪と淡い青色の瞳。
水色のカーディガンと紺色のスカート。
一瞬だけ、いつもの小柄なソフィーへ戻る。
けれど、変化は止まらなかった。
「うっ……くるっ……ぁあっ!」
白い毛が両手の指先から噴き出した。
細い指が獣のものへ変わり、掌が大きく広がる。
黒い爪が伸び、柔らかな肉球が盛り上がった。
白い毛は手首から腕へ、肩から胸元へ一気に広がっていく。
カーディガンもブラウスも毛並みの中へ沈み、身体と一体化するように消えていった。
「にゃぁぁぁっ!」
ソフィーの背中が反り返る。
腰を覆った白い毛へ灰色の縞模様が走り、脚の形が変わっていく。
踵が浮き、足先が前へ伸びる。
小さな靴もタイツも体毛へ吸収され、脚全体が白虎の後脚へ変わった。
大きな足裏には肉球が生まれ、床へ触れた黒い爪が硬い音を立てる。
腰から太く長い尾が伸びた。
白い毛に灰色の縞が重なった尾は、ソフィーの苦しみに合わせて激しく波打つ。
頭には白虎の耳が生え、白銀の髪の間からぴんと立ち上がった。
長い髪の奥の尖ったエルフ耳も身体に飲み込まれている。
顔も白い毛に覆われていく。
頬から鼻先が少し突き出し、口元が小さな猫の形へ変わった。
それでも腰まで流れる白銀の髪と、淡い青色の瞳にはソフィーの面影が残っている。
瞳孔が細く縦へ裂けた。
白い毛に覆われた胸元や太腿には、雪の結晶を思わせる青い模様が浮かび上がる。
「ふしゃっ……くるる……!」
ソフィーは獣の声を漏らしながらも、両脚で立っていた。
小柄な体格は変わらない。
けれど、その全身は白と灰色の縞模様を持つ白虎の獣人へ変わっていた。
「ソフィー!」
イアハートが手を伸ばそうとする。
その瞬間、紅い装甲にも亀裂のような光が走った。
「ま、待って……私も……!」
紅と白の装甲が分解され、次々と身体へ吸い込まれていく。
赤い機械の手も、ドレスのような装甲も消えた。
いつもの赤い髪と金色の瞳。
白いブラウスと深紅のベストを身につけた、14歳のアメリアへ戻る。
それも一瞬だけだった。
「ぁあああっ!」
アメリアが背中を反らした。
赤い毛が指先から広がり、両手を包み込む。
指が太く変わり、黒く鋭い爪が伸びる。
掌には濃い色の大きな肉球が浮かび上がった。
「ぐっ……がぁっ!」
赤い体毛は腕から肩へ、首から胸元へと広がっていく。
白いブラウスと深紅のベストが毛皮へ吞み込まれ、形を失った。
胸から腹へかけては白い毛が伸び、周囲の赤い毛と鮮やかな境目を作る。
腕や脇腹、脚を覆う赤い毛の表面には、炎を思わせる金色の模様が浮かび上がった。
キュロットもレギンスも毛並みの中へ消える。
脚が大きく形を変え、赤狼の後脚へ変わっていく。
足先には白い毛が広がり、黒い爪が路面を引っ掻いた。
赤髪の上から、先端の尖った狼の耳が伸びる。
腰からは、身体と同じくらい大きな赤い尾が生まれた。
尾の先を覆う白い毛が大きく膨らみ、荒々しく宙を払う。
顔にも赤と白の毛が広がった。
頬が獣らしく張り出し、鼻先が伸びる。
口元から鋭い牙がのぞいた。
それでも、軽く跳ねた赤髪と金色の瞳にはアメリアの面影がはっきりと残っている。
縦長に変わった瞳孔が、苦痛に揺れた。
「ガルルッ……何よ……これ……!」
声には狼の唸りが混じっている。
身体は完全な獣に近づいているのに、アメリアは2本の脚で立ち、人の言葉を話していた。
そこにいるのは、赤と白の毛並みと金色の炎模様を持つ、赤狼の獣人だった。
「アメリア……ソフィー……!」
2人へ駆け寄ろうとした瞬間、胸のコアが激しく明滅した。
バチッ!
全身を包んでいた蒼い雷が弾ける。
装甲が次々と光へ変わり、身体の中へ戻っていった。
「うわっ……!」
僕は一瞬だけ、元のアレックスへ戻った。
蒼いパーカー。
膝丈のカーゴショートパンツ。
小さな手と細い脚。
12歳の僕の身体だ。
だけど、胸の奥ではD因子がまだ激しく脈打っていた。
ドクンッ!
「ぐっ……がぁぁっ!」
両手が熱い。
爪が黒く伸び、指の形が大きく変わる。
掌に濃い蒼色の肉球が盛り上がり、その周囲を蒼い毛が埋め尽くした。
毛は手首から腕へ、肩から胸へ広がっていく。
パーカーが蒼い毛の中へ沈み、白いインナーも一緒に吸収されていった。
「がうっ……ぐるるるっ!」
胸元から腹にかけて、白く柔らかな毛が伸びる。
蒼い毛に覆われた肩や腰には、白い菱形の模様がいくつも浮かび上がった。
ショートパンツも毛皮へ溶け込むように消えていく。
脚の骨が軋み、踵が持ち上がった。
膝から下が獣の形へ変わり、足先が大きく広がる。
靴と靴下も体毛へ吸収され、白い毛に覆われた足先から黒い爪が伸びた。
背骨の奥が強く引っ張られる。
「うぐっ!」
腰から細長い蒼色の尾が伸びた。
尾の先には濃い蒼色の房毛が生まれ、痛みに合わせて激しく揺れる。
頭頂では青髪を押し分けるように、丸い獅子の耳が生えた。
同時に、人間の耳が身体へ沈んで消えていく。
首の周りには蒼と白の鬣が伸び、肩から胸を囲むように膨らんだ。
顔にも毛が広がる。
頬は白い毛に覆われ、鼻先が獅子らしく前へ伸びた。
口の中では犬歯が太く鋭い牙へ変わっていく。
顔つきは仔獅子に近づいている。
それでも乱れた青髪と、銀色の瞳には僕の面影が残っていた。
銀色の瞳孔が縦へ細く裂ける。
「ぐるっ……あぁ……!」
喉の奥から獣の唸りが漏れた。
自分の声なのに、自分のものではないみたいだった。
身体の大きさは変わっていない。
背も伸びていない。
12歳の小さな身体のまま、全身を蒼と白の毛で覆われた獅子の獣人へ変わっていた。
苦しんでいる間に、マッドハッターは巨大なシルクハットを持ち上げていた。
「さて、マッチガールを回収しなくてはね」
帽子がサラマンダーへ覆いかぶさる。
巨体が黒い影へ沈み込み、回転するシルクハットとともに消えていった。
「さらばだよ、ヒーロー諸君」
「ま……待て……!」
唸り声が混じり、言葉がうまく出てこない。
それでも両脚へ力を込める。
けれど、肉球が路面を滑った。
身体は軽くなっているはずなのに、立っているだけで精一杯だった。
マッドハッターは宙に浮かぶ帽子の上へ立ち、僕たちを見下ろす。
「次に会った時も、人でいられるかな?」
「逃がさ……ない……ぐるるっ……!」
「マッチガールもドレッドの同志なのでね。貧乏くじを引かせたうえ、やられっぱなしでは、後で私の帽子を燃やされてしまう」
マッドハッターが肩をすくめる。
「キミたちにも、相応の報復は受けてもらうよ」
巨大なシルクハットが落ちてくる。
その姿を覆い隠し、地面へ触れる直前に小さく縮んだ。
帽子もマッドハッターも、跡形もなく消える。
「報復……?」
パシャ!
突然、強い光が目に刺さった。
パシャパシャパシャ!
周囲から幾つものシャッター音が鳴る。
空を見上げる。
建物の陰や街灯の上に、小型の撮影用ドローンが浮かんでいた。
幾つものレンズが、僕たちへ向けられている。
パシャ!
また光が瞬いた。
蒼い獅子の獣人となった僕。
赤狼の姿へ変わったアメリア。
白虎の獣人になったソフィー。
全部、撮られている。
「うそ……」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
物陰でカメラを構えていたペニーさんが、震えながら僕を見ていた。
「見ちゃった……」
カメラがゆっくりと下がる。
その顔から血の気が引いていた。
「アレクサンダー様が……ファン2号君だったなんて……」
ペニーさんの視線が、僕の全身を覆う蒼い毛へ落ちる。
黒い爪。
大きな肉球。
丸い獅子の耳。
房毛のついた尾。
そして、獣の瞳孔が刻まれた銀色の目。
「しかも……獣の姿に……」
「ペ、ペニーさん!?」
撮影用ドローンのレンズが、一斉に僕を捉えた。
僕たちがマッチガールと戦ったところも。
D因子の力を使ったところも。
プロテウスの変身が解け、獣人の姿へ変わったところも。
アレクサンダーの正体が、アレックス・ジクストだということも。
その全てが、イスカティア中に放送されていた。




