第77話 望まぬ力
マッドハッターは僕の決意を聞いても、楽しそうに笑っていた。
「威勢だけは立派だ。しかし、今のキミたちに何ができる?」
白い手袋に包まれた指が、僕たちへ向けられる。
「マッチガール、燃やしていいぞ」
その一言で、マッチガールの周囲に浮かんでいた火球が大きく脈打った。
「待ってましたぁ!」
赤黒い鱗の隙間から炎が噴き上がる。
左右に浮かぶ火球は、次々と重なり合っていった。
炎が炎を吞み込み、1つの巨大な塊へ変わる。
その大きさは、もう僕たちだけではなく、背後の建物までまとめて焼き尽くせそうだった。
「低レベルなまま死ぬのなら、それまでだ」
マッドハッターの声が、炎の音を縫って届く。
「身体を焼き尽くし、焼け残ったプロテウスを回収する。そして、次の被験者の心臓へ埋め込む」
「そんなこと……!」
僕たちが死んだ後も、プロテウスだけは残る。
また誰かの心臓へ突き刺し、実験を繰り返すつもりなんだ。
僕の代わりに、何も知らない誰かが同じ苦しみを味わう。
「キミたち、死にたくないだろう?」
マッドハッターが問いかける。
……当たり前だった。
死にたくない。
まだ遊びたいゲームがある。
学校でリアムたちと話したい。
お母さんやキュナのいる家へ帰りたい。
ジャンヌとも、またくだらないアニメの話がしたい。
ソフィーやアメリアと一緒に、普通の時間を過ごしたい。
「生きたいと願え」
マッドハッターの声が、頭の中へ入り込んでくる。
「強くなりたいと渇望しろ」
巨大な火球の表面が波打ち、周囲の窓ガラスが熱だけで割れていく。
「そうすればD因子は応える」
マッチガールが両腕を頭上へ掲げた。
「否定するなら死ぬ」
腕が振り下ろされる。
巨大な炎が、燃え盛る壁となって迫ってきた。
逃げ場はない。
背後には崩れかけた建物。
左右の道も炎に塞がれている。
空気すら焼き尽くす炎が、大通りを埋めながら近づいてくる。
「アレックス!」
イアハートが僕の名前を呼ぶ。
「アレク!」
スノーホワイトも僕へ手を伸ばす。
2人の声が、轟音の中でもはっきりと聞こえた。
死にたくない。
マッチガールを倒さなければ死ぬ。
僕だけじゃない。
アメリアも、ソフィーも焼き尽くされる。
「2人とも……」
僕は2人の手を取った。
紅い機械の手。
白い機械の手。
その指が、僕の手を強く握り返す。
「今だけは、D因子に縋ろう」
イアハートの金色の瞳が揺れる。
「でも……!」
「分かってる。ドレッドの力に頼るなんて、間違ってるかもしれない」
迫る炎の熱で、白銀の装甲が赤く染まり始める。
もう迷っている時間はない。
「それでも、ここで死んだら何もできない」
ソフィーの手を握る力を強める。
「生き残って、必ず対策を考えるんだ」
イアハートが炎を睨みつけた。
迷いを振り払うように、僕の手を強く握る。
「……分かったわ」
「わたしも……生きたい」
ソフィーが途切れながら答える。
僕たちは迫る炎へ向き直った。
頭の中で想いを掻き立てる。
強くなりたい。
もっと強く。
この炎を止められる力が欲しい。
アメリアとソフィーを守りたい。
3人で生きて帰りたい。
強くなりたい。
強くなりたい。
強くなりたい!
ドクンッ!
胸の奥で、プロテウスとは違う何かが脈打った。
「ぐっ……!」
全身を内側から引き裂かれるような痛みが走る。
蒼銀の装甲の隙間から、熱い光が溢れ出した。
「うぁぁぁっ!」
隣でイアハートが胸を押さえ、膝をつく。
紅い魔導回路が激しく明滅し、装甲の奥から紅蓮の炎が染み出していく。
「くっ……あぁ……!」
スノーホワイトの白い機械尾が大きく跳ねた。
全身を走る白い回路が、凍りついたように強く輝く。
痛い。
心臓を直接握り潰され、無理矢理動かされているようだった。
身体の奥に残っていたD因子が、僕たちの願いを聞いている。
強くなりたいという欲望へ応えようとしている。
「これが……D因子……!」
指先が震える。
その手甲を、蒼い電流が走った。
バチッ!
蒼銀の爪から放たれた電流が腕を上り、肩を通って胸のコアへ集まっていく。
青い菱形のコアが、目を開けたように眩しく輝いた。
バチバチバチッ!
蒼い雷が全身を包む。
尻尾の先端にある金属の房まで電流が走り、周囲の瓦礫が細かく震え始めた。
ソフィーの身体からは、白い冷気が溢れていた。
足元から氷が広がる。
先ほどまで炎に触れるだけで溶けていた氷とは違う。
燃えている路面を白く覆い、炎を内側へ閉じ込めていく。
「わたしが……止める!」
スノーホワイトが両手を前へ突き出した。
白い魔導回路とD因子の力が重なり、眩い光となって放たれる。
ゴォォォォォッ!
純白の冷気が大通りを駆け抜けた。
迫っていた炎の壁と正面からぶつかる。
白と赤。
2つの力が激突し、街全体が揺れた。
先ほどのように押し戻されない。
スノーホワイトの冷気が炎へ食い込み、次々と白く凍らせていく。
「消えて!」
ソフィーの叫びに応え、白い光が爆発した。
迫っていた炎の半分が、音を立ててかき消される。
「何だと!?」
マッチガールの縦長の瞳孔が大きく開いた。
残った炎が、僕たちを焼き尽くそうと押し寄せる。
その前へイアハートが立った。
「もう、誰も焼かせない!」
胸元から紅い炎が流れ出す。
肩を通り、腕へ。
腕から握り締めた拳へ。
炎は次第に色を深め、マッチガールの炎よりも鮮やかな紅蓮へ変わっていった。
見た目は燃え盛る炎そのものなのに、周囲の空気は熱くならない。
熱を持たない炎だ。
物を焼く熱はなくても、渦巻く勢いは普通の炎とは比べものにならない。
イアハートが拳を引く。
足元の路面が踏み込みだけで砕けた。
「はぁぁぁぁっ!」
紅蓮の拳が、炎の壁へ叩き込まれる。
ドォン!
拳から放たれた紅蓮が激流のように押し寄せ、赤い炎と正面から衝突した。
2つの炎が絡み合う。
けれど、マッチガールの炎は紅蓮の勢いに耐えられない。
紅蓮の炎が普通の炎を次々に吞み込み、内側からかき消しながら道をこじ開けていく。
「炎が、炎を消してる!?」
イアハートの拳は止まらない。
「この程度で……私たちを止められると思わないで!」
もう一撃。
さらにもう一撃。
紅蓮の拳が振るわれるたびに、マッチガールの炎が吞み込まれ、跡形もなく消えていく。
スノーホワイトの氷と、イアハートの紅蓮。
2人の力が重なり、炎の壁に道ができた。
その先にマッチガールがいる。
「アレクサンダー!」
イアハートの声が響く。
僕は地面を蹴った。
バヂィッ!
蒼い雷が爆ぜる。
次の瞬間、周囲の景色が消えた。
何も見えない。
そう思った時には、マッチガールの目の前にいた。
「なっ――」
自分でも、どう動いたのか分からない。
一歩踏み込んだだけだった。
けれど、雷が僕の身体を引っ張り、瞬間移動するような速度まで加速させた。
マッチガールが炎を噴き上げる。
遅い。
炎が広がる前に、その懐へ潜り込む。
蒼い電流をまとった両手の爪を交差させた。
「そこだぁぁっ!」
雷を帯びた蒼い爪が、マッチガールの胴を引き裂く。
ザシュッ!
赤黒い鱗が砕ける。
傷口から大量の青い血が噴き出した。
僕の身体へかかる前に、血が炎へ変わる。
ゴォッ!
マッチガールを中心に、新たな炎が爆発した。
「アレク!」
スノーホワイトが両手を向ける。
白い光が僕の脇を通り抜け、噴き出した青い血を凍らせた。
炎へ変わりかけていた血が、空中で青い氷の粒になる。
それでも、マッチガールの身体は燃え続けている。
「まだ……終わってねぇぞ!」
マッチガールが鉤爪を振り上げた。
その腕へ、紅蓮の炎が横から叩き込まれる。
「終わりよ!」
イアハートの拳だった。
紅蓮をまとった一撃が、マッチガールの炎と衝突する。
赤い炎が激しく渦を巻く。
けれど、紅蓮の勢いには敵わない。
イアハートが歯を食いしばり、さらに拳を押し込んだ。
「私の炎は……アンタの炎より強い!」
紅蓮が大きく膨れ上がる。
熱を持たない紅蓮の炎がマッチガールの炎を吞み込み、内側からかき消していく。
ドォォォォン!
最後に残った紅蓮の奔流が衝撃となって弾け、夜の街を鮮やかな赤に染めた。
マッチガールの身体が宙を舞った。
太い尾を引きずりながら路面へ落下し、何度も転がっていく。
最後に横転した車へ激突し、動きを止めた。
全身を覆っていた炎が、急速に小さくなる。
赤黒い鱗の隙間から白い煙が立ち上った。
「はぁ……はぁ……」
僕は肩で息をする。
全身を走っていた蒼い雷も、少しずつ弱くなっていく。
スノーホワイトの周囲に広がっていた冷気が収まる。
イアハートの拳を包んでいた紅蓮の炎も消えた。
マッチガールは倒れたまま動かない。
勝った。
3人で、生き残った。
「ブラボー!」
頭上から、場違いなほど明るい声が降ってきた。
パチパチパチパチ!
マッドハッターが立ち上がり、大袈裟に拍手している。
「やはりD因子の力は素晴らしい!」
その声で、胸の奥に湧き上がりかけた喜びが消えた。
僕は自分の手を見る。
爪の間を、まだ蒼い電流が微かに走っている。
スノーホワイトが炎を消した氷も。
イアハートがマッチガールの炎を吞み込んだ紅蓮も。
僕が一瞬で距離を詰めた雷も。
僕たちが強くなりたいと願い、D因子が応えた力だった。
死にたくなかった。
2人を助けたかった。
他に方法はなかった。
そう自分へ言い聞かせても、胸に残った重さは消えない。
結果として、僕たちはマッドハッターの言う通りD因子に頼ってしまった。




