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第76話 ドレッドの野望

「さて、なぜ私がこんなに秘密を話したと思う?」


マッドハッターは巨大なシルクハットの上で脚を組み直した。


炎をまとったマッチガールは、いくつもの火球を浮かべたまま動きを止めている。


僕たちを逃がさないためか。


それとも、ゆっくり話を聞かせるためなのか。


どちらにしても、完全に余裕を見せつけられていた。


「それは、キミたちにもD因子の素晴らしさを感じてほしくてね」


「こんな力の、どこが素晴らしいんだ!」


僕の叫びに、マッドハッターは肩をすくめた。


「病を治し、失った身体を取り戻し、心から望んだ姿に生まれ変われる。素晴らしくないはずがないだろう?」


「その代わりに、望んでもいない怪物に変わった人もいる!」


ソフィーが僕の腕を掴む。


「アレク……」


以前のように滑らかには話せなくても、その声に込められた恐怖は分かった。


彼女はD因子によって白虎の怪人に変えられた。


ラクーンを傷つけ、言葉も人の姿も失いかけた。


そんな力を、素晴らしいなんて認められるはずがない。


マッドハッターは僕たち3人を順番に見下ろした。


「……ところで、なぜここまで都合よく、自分たちの正体を隠せていると思ったのかな?」


「え……?」


その言葉に、嫌な予感がした。


マッドハッターの笑みが深くなる。


「アレックス・ジクスト」


心臓を直接掴まれたような気がした。


「アメリア・ヴェイル」


イアハートの紅い機械耳が大きく動く。


「そして、ソフィア・コシュキナ」


スノーホワイトが息を呑み、僕の腕を握る力を強めた。


「僕の名前を知ってる!?」


変身している間は、僕はアレクサンダーだ。


本当の名前は一度も敵へ教えていない。


それなのに、マッドハッターは知っている。


アメリアも、ソフィーも。


「企業を舐めるなよ?」


芝居がかった口調から、ほんの一瞬だけ冷たい声へ変わった。


「子供の隠し事など、お見通しだ」


僕の頭に、お母さんとキュナの顔が浮かぶ。


家も、学校も知られている?


リアムやクラスのみんな。


ジムおじさん。


ジャンヌやマグナムちゃん。


僕たちと関わった人まで調べられているとしたら。


「家族に手を出したら許さない!」


「安心したまえ。今のところ、彼らに用はない」


今のところ。


その言葉が、余計に恐ろしかった。


イアハートが一歩前へ出る。


「アンタたち、最初から私たちの正体を知っていたの?」


「当然だとも」


マッドハッターはシルクハットのつばに指を添えた。


「オデットの欲望もあったが、キミたち3人にOF型を投与するという目的は果たした」


「目的……?」


僕たちがドレッドに捕まった時の光景が脳裏に蘇る。


注射器を持ったアメリア。


身体へ入ってくる熱。


獣へ変わり、言葉まで失っていく恐怖。


あれは、オデットが僕たちを仲間にするためだけにしたことではなかった。


最初からドレッドの計画だったんだ。


「一体、何のために!」


マッドハッターは白い手袋をはめた指で、僕の胸を示した。


正確には、その奥に埋め込まれたプロテウスを。


「D因子の力で、プロテウスの機能を完全に停止させるためだよ」


「プロテウスを……?」


「キミたちは一度、ただの獣になった。言葉を失い、指を失い、人間としての生活すら送れなくなった」


思い出したくない記憶を、淡々と並べられる。


研究所で採血され続けた日々。


街を彷徨い、雨の中で動けなくなった夜。


キャットフードを食べるソフィー。


自分の心まで獣へ変わっていく恐怖。


「キミたちがD因子を拒み続けた結果だ」


「違う……」


僕は拳を握る。


「僕たちは戻ってきた」


「不完全に、だろう?」


言い返せなかった。


僕たちの身体には、獣の特徴が残っている。


プロテウスで変身しても、以前と同じ姿にはならなかった。


マッドハッターは、そんな僕の反応を楽しむように笑う。


「私は見たいのだよ。世界最先端の魔導インプラントであるプロテウスが、Desire因子に敗北する瞬間を」


巨大なシルクハットが、ゆっくりと高度を下げた。


マッドハッターの顔が、炎越しにはっきりと見える。


「キミたちが再び獣へ落ち、今度こそプロテウスが完全に沈黙する。その姿を全世界へ見せしめとして公開する」


「見せしめ……?」


「インプラントに頼った者の末路としてね」


マッドハッターは燃え上がる街を見渡した。


「人間は、自分の肉体を機械へ置き換え、便利になったと喜んでいる。だが、それはまやかしの進化だ。外から部品を足し、自分ではない何かへ身体を明け渡しているにすぎない」


「D因子だって、身体を変えるじゃない!」


イアハートが叫ぶ。


「全く違うよ、アメリア」


本名で呼ばれ、イアハートの表情が強張る。


「D因子は、本人の内側にある欲望へ応える。機械を継ぎ足すのではなく、本人が望む生命そのものへ生まれ変わらせるのだ」


「気持ちまで勝手に変える力のどこが、本人の望みなのよ!」


「心の表面では何を否定していても、身体は正直だ。D因子は最も深い場所にある欲望を見つけ出す」


「そんなの、ただのこじつけよ!」


イアハートの叫びを、マッドハッターは笑って受け流した。


「ドレッドはD因子を全人類へ広める」


炎の中で、男が両腕を広げる。


まるで世界中の人間を抱き締めようとしているようだった。


「病も、障害も、肉体への悩みもない世界。誰もが自分の望む姿となり、欲しい力を手に入れられる世界だ」


「そんな危険なものを、全員に……?」


「キミたちがプロテウスを失い、無力な獣へ変わる姿を見れば、人々も理解するだろう。機械などD因子の前では時代遅れだとね」


マッドハッターの声が、燃える大通りへ響き渡る。


「人々は喜んでD因子を受け入れるだろう」


そして、笑みを浮かべたまま続けた。


「我々はD因子に関わる全ての権利を掌握する。治療も、変身も、進化も、誰に与えるかはドレッドが決める」


自由に望みを叶えられる世界。


そう言いながら、結局はドレッドが全てを選ぶ。


D因子がなければ生きられない身体にして、薬を与えるかどうかで従わせる。


ラクーンたちにしたことを、世界中の人へするつもりなんだ。


「それがアンタたちの目的……」


イアハートが低い声で呟く。


「D因子を世界中に広めて、全員を支配するつもりなのね」


「支配とは聞こえが悪い」


マッドハッターは首を傾けた。


「正しい進化へ導くのだよ」


「D因子に適合できなかった人はどうなる!」


僕の問いかけに、マッドハッターは僅かに目を細めた。


その顔から笑みは消えない。


「……キャンセラーとして使い潰すだけだ」


あまりにも簡単に言った。


まるで壊れた道具の使い道を説明するように。


「適合できぬ者にも役目を与える。戦い、働き、最後には次の進化の礎となる。無駄にはならない」


キャンセラーたちの姿が浮かぶ。


具体的な命令がなければ動けず、それでもドレッドへ忠誠を誓っていた。


あの人たちも、最初は病気や怪我を治したくてドレッドを頼ったのかもしれない。


適合できなかった。


たったそれだけの理由で人格を奪われ、兵士として使い潰される。


そんなものが、理想の世界であるはずがない。


「そんな人を選定するようなことはさせない!」


僕は炎の向こうにいるマッドハッターを真っ直ぐに睨み、拳を構えた。

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