第74話 機械と獣の相乗効果
◇
現場へ近づくにつれて、夜空が赤く染まっていった。
建物の隙間から黒煙が立ち昇り、焦げた油と焼けた金属の臭いが鼻を刺す。
大通りへ飛び出す。
横転した車が炎に包まれ、割れた窓から火の粉を吐き出していた。
街路樹は半ばから焼け落ち、路面には火のついた破片が散乱している。
治安維持部隊の車両も何台か停まっていたが、隊員たちは負傷者を抱えて後退していた。
その中心に、巨大な黒いシルクハットが浮かんでいる。
つばの上に腰掛けていたのは、見間違えるはずもない男だった。
黒を基調とした派手なステージ衣装。
金色の刺繍が施された長いコート。
頭には深紅の帯を巻いた黒いシルクハット。
余裕の笑みを浮かべ、燃え上がる街を舞台でも眺めるように見下ろしている。
「マッドハッター……!」
その隣には、見知らぬ女性が立っていた。
燃えるように鮮やかな赤い長髪を、高い位置で無造作にまとめている。
顔の周りには跳ねた毛束が残り、鋭い目と挑発的な笑みが、炎の光に照らされていた。
黒いジャケットには金具や鋲が打たれ、その下には丈の短い黒いトップスが見える。
ゆったりとした黒いパンツには、いくつものベルトや鎖、赤い布が垂れ下がっていた。
厚底の編み上げブーツでシルクハットのつばを踏み、棒付きキャンディーを口の中で転がしている。
両手には、太い燃料管のついた魔導火炎放射器が1丁ずつ握られていた。
「マッチガール!」
イアハートが叫んだ。
「イアハート、知ってるの?」
「ドレッドの幹部よ。放火や爆破を専門にしてる危険人物だわ」
「幹部が2人も……」
僕は腰を落とし、拳を構えた。
マッドハッターだけでも、以前は何もできなかった。
その隣に同格の相手がいる。
怖くないわけがない。
それでも、後ろでは治安維持部隊が負傷者を避難させている。
僕たちが退けば、あの人たちが狙われる。
マッドハッターがこちらへ顔を向け、芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「ようこそ、スターハーツ。そして、裏切り者の狼」
「くっ……」
イアハートが奥歯を噛み締める。
紅い機械耳が伏せられ、装甲の尾がわずかに下がった。
「イアハートは裏切ってなんかいない!」
気がつけば、僕はマッドハッターへ叫び返していた。
「ただ一瞬だけ迷ったんだ! そこにつけ込んだのはドレッドだ!」
マッドハッターが目を細める。
それから僕の頭から足元までを品定めするように眺めた。
「……ヒーロー君。OF型が効いて、だいぶ縮んでしまったようだね」
「縮んだんじゃない!」
思わず言い返す。
「今の僕は、元の背のままなんだ!」
「それは失礼。以前より随分と可愛らしくなったものだからね」
マッチガールがキャンディーの棒を揺らし、楽しそうに笑った。
「確かにちっせぇな。こんなのがリーダーで大丈夫か?」
「大きさは関係ない!」
言いながらも、少しだけ胸に刺さる。
マッドハッターとマッチガールは、巨大なシルクハットの上から僕たちを見下ろしていた。
以前なら、変身した僕もあの2人に近い目線だった。
今は完全に子供扱いだ。
けれど、身体の奥から湧き上がる力は以前よりも強い。
「マッチガール」
マッドハッターが指揮者のように片手を上げた。
「D因子とプロテウス。その相乗効果の戦闘データを取れ」
「了解」
「不出来なら殺しても構わない」
その言葉を聞いても、マッチガールの笑みは崩れなかった。
「そんじゃ、ちょっくら遊んでくるぜぃ」
巨大なシルクハットの縁を蹴る。
赤い髪と黒い服が、炎の中へ飛び込んだ。
マッチガールは数メートルの高さから路面へ着地する。
ドンッ!
厚底のブーツが焼けた舗装を砕き、周囲の火の粉が一斉に舞い上がった。
ゆっくりと顔を上げ、両手の火炎放射器を僕たちへ向ける。
「少しは楽しませろよ?」
「散って!」
イアハートの声と同時に、僕たちは3方向へ跳んだ。
ゴォォォォォッ!
2本の火柱が、直前まで僕たちの立っていた場所を吞み込んだ。
炎が交差し、路面を赤く焼き上げる。
僕は壁を蹴り、建物のひさしへ飛び移った。
身体が軽い。
以前よりも、ずっと高く跳べる。
着地と同時に脚を曲げ、もう一度壁を蹴る。
視界の端で火炎が迫った。
考えるより先に身体が反応する。
空中で身をひねると、火炎が装甲のすぐ下を通り過ぎた。
熱気が腹部を撫でる。
怖い。
でも、見える。
炎の動きも、銃口が向く方向も、マッチガールの指が引き金を絞る瞬間さえも。
獣の耳が燃料の流れる音を拾い、銀色の縦長の瞳孔が、揺れる炎の向こうにいる相手を捉えていた。
「そこ!」
落下の勢いを乗せて拳を振り下ろす。
マッチガールは火炎放射器を交差させ、僕の拳を受け止めた。
ガキィン!
金属同士がぶつかり、蒼い火花が飛び散る。
「おっ?」
僕の拳に押され、マッチガールのブーツが路面を滑った。
僕自身が一番驚いた。
身体の大きさは変わっていないのに、力は以前より強くなっている。
「見た目より重てぇじゃん!」
マッチガールが片方の火炎放射器を振り上げる。
咄嗟に腕で受ける。
ゴンッ!
白銀の装甲に衝撃が走った。
痛い。
けれど、吹き飛ばされない。
足先へ力を込めると、獅子の脚力が僕の身体を地面へ縫い止めてくれた。
反対の火炎放射器が、僕の顔へ向く。
「アレクサンダー!」
紅い影が横から飛び込んだ。
イアハートの蹴りが火炎放射器の銃身を跳ね上げる。
放たれた炎が夜空を焼いた。
「させないわ!」
イアハートは着地すると同時に身体を回転させる。
装甲の尾が弧を描き、続けて紅い手甲の爪がマッチガールの脇腹を狙った。
マッチガールが身を引く。
鋭い爪が黒いジャケットを切り裂き、金具を弾き飛ばした。
「チッ!」
マッチガールは後ろへ跳びながら、腰のベルトから瓶を引き抜いた。
中では赤い液体が揺れている。
「火炎瓶!」
瓶の口に火をつけ、僕たちの間へ放り投げた。
パリン!
割れた瓶から燃料が飛び散り、一瞬で炎の壁が広がった。
逃げ道を塞ぐように、次々と火炎瓶が投げ込まれる。
右。
左。
後ろ。
ガラスの割れる音が続くたびに火の手が増し、僕たちは燃え盛る円の中へ閉じ込められた。
「今回は戦闘アクションシーンだ!」
頭上からマッドハッターの楽しそうな声が降ってくる。
巨大なシルクハットの上で脚を組み、こちらの戦いを眺めていた。
「NGなんて出してくれるなよ?」
相変わらず、自分は見ているだけのようだ。
「スノーホワイト!」
「うん……!」
スノーホワイトが両手を地面へ向けた。
白い魔導回路が腕を走り、爪の意匠が刻まれた手甲へ集まる。
「凍って!」
白い光が路面を駆け抜けた。
燃え広がっていた油が、炎ごと白く凍りついていく。
氷の筋はマッチガールの足元へ伸び、厚底のブーツを地面へ縫い止めた。
「うおっ!?」
マッチガールの体勢が崩れる。
「今よ!」
イアハートが凍った炎の上を駆けた。
以前より速い。
踏み込んだ場所へ紅い光を残し、一瞬でマッチガールの懐へ入る。
「はぁぁっ!」
手甲の爪が、火炎放射器の燃料管を切り裂いた。
ブシュッ!
噴き出した燃料が空中で凍り、細かな氷の粒になって散る。
もう片方の爪が、マッチガールの肩へ叩き込まれた。
ガギィン!
黒いジャケットの下に隠れていた金属装甲がへこむ。
マッチガールの身体が大きく傾いた。
「アレクサンダー!」
「分かってる!」
僕は炎の消えた路面を蹴った。
脚へ力を込めた瞬間、地面がひび割れる。
身体が蒼い弾丸のように飛び出した。
速い。
自分の動きなのに、景色が後ろへ流れていく。
獣の力が、プロテウスの基礎能力をさらに底上げしている。
瞬発力。
筋力。
跳躍力。
反射神経。
全てが以前とは比べものにならない。
氷へ足を取られたマッチガールへ、一気に距離を詰める。
「うおぉぉっ!」
握り締めた拳を、イアハートがへこませた装甲へ叩き込んだ。
ドゴォン!
蒼い魔導光が弾ける。
マッチガールの身体が宙へ浮き、燃えていた車の脇まで吹き飛んだ。
背中から路面へ叩きつけられ、何度も転がる。
手から離れた火炎放射器が地面を滑り、燃え残った瓦礫へぶつかった。
「やった……!」
3人で戦えている。
スノーホワイトが相手の動きを止める。
イアハートが装甲を崩す。
そこへ僕が追撃する。
以前よりも身体が小さくなったはずなのに、3人の動きは前より速く、強く繋がっていた。
僕たちは並んで構え直す。
マッチガールは倒れたまま動かない。
「不出来どころか、やりすぎたかしら?」
イアハートが爪を構えながら呟く。
「まだだよ」
獣の耳が、小さな音を拾っていた。
ゴホッ。
マッチガールの肩が動く。
「……っは」
ゆっくりと上半身を起こした。
切れた唇から、青い血が垂れる。
その血が顎を伝い、路面へ落ちた。
ジュッ。
青い血から、赤い炎が上がった。
「え……?」
もう一滴。
さらに一滴。
路面へ落ちた血が次々と燃え上がる。
マッチガールが口元を拭う。
手の甲に付着した青い血まで炎を噴き上げた。
燃えているのに、本人は熱がる様子もない。
むしろ、その笑みは先ほどよりも深くなっていた。
赤い髪が熱風に巻き上げられる。
瞳の奥で、火の粉のような光が揺れた。
「燃えてきたぜ」
マッチガールは炎をまといながら立ち上がる。
「予熱は終わりだ」




