第64話 言葉なき再会
◇
僕が行方不明になってから、ジャンヌは時折外へ出るようになっていた。
人混みの中に青い髪の少年がいないか。
ゲームショップや公園に、僕と似た子供がいないか。
部屋に引きこもってばかりだったジャンヌが、何時間もイスカティアの街を歩き回っている。
今日も朝から外を探してきたらしい。
くすんだ緑色のジャージには埃がつき、履き込んだスニーカーも薄く汚れていた。
「アレックス、大丈夫かな……」
フェアリーテールのカウンターへ突っ伏し、ジャンヌが呟く。
「がう!」
僕は反射的に返事をしていた。
ジャンヌがゆっくりと顔を上げる。
長い前髪の隙間から、眠そうな緑色の瞳がこちらへ向けられた。
「……なんでお前が反応するねん」
僕だからだよ。
僕がアレックスだから返事をしたんだ。
そう伝えたくても、口から出るのは鳴き声だけだった。
「くぅ……」
僕はカウンターの近くで伏せる。
ソフィーは大きなペットベッドの上で身体を丸め、前脚を舐めていた。
猫の仕草がすっかり自然になっている。
僕も人の言葉を聞けば意味は分かる。
頭の中では、今までと同じように考えられる。
それなのに、自分から気持ちを伝える方法だけがない。
ジャンヌは僕が目の前にいるとも知らず、街のどこかにいるアレックスを捜している。
もどかしくて、前脚の爪が床へ食い込んだ。
カラン。
フェアリーテールの入り口で、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー!」
ショットちゃんが、明るい声で入り口へ飛んでいく。
僕も獅子耳を動かした。
聞き覚えのある足音。
軽い機械音を伴う、正確な歩調。
忘れるはずがない。
立ち上がった僕の尾が、大きく揺れた。
店内へ入ってきたのはキュナだった。
金色の髪を左右で結び、いつもの給仕服を着ている。
外見は以前と変わっていない。
オートマタの顔は、人間のように酷くやつれたり目の下へ隈を作ったりはしない。
それでも、僕には分かった。
金色の瞳から普段の明るさが消えている。
肩はわずかに落ち、いつもなら弾むように動く足取りも重い。
表情へ現れないはずの深い憔悴が、全身から伝わってきた。
「坊ちゃまは、こちらにいらしていませんか?」
その声も、普段より小さい。
ショットちゃんの羽が力なく下がった。
「キュナちゃん、先週も来てもらったのに悪いけど、ショットちゃんもジェードも探してみてるのよ。でも、手がかりも何もないの」
「そうですか……」
キュナは俯いた。
胸の前で重ねた両手に、強く力が入っている。
僕を捜している。
キュナが僕を心配している。
すぐ目の前にいるのに、気づいてもらえない。
「がう!」
僕は床を蹴った。
キュナへ向かって駆け、身体ごと飛びつく。
お願い。
気づいて。
僕だよ!
「きゃっ!」
キュナが驚いて身を引いた。
僕の前脚が給仕服へかかり、床へ爪が滑る。
「何ですか!? ライオン!?」
「がう! がう!」
キュナ!
僕だよ!
僕は何度も身体を押しつける。
鼻先を給仕服へ擦り、必死に顔を見上げた。
キュナの匂い。
家の匂い。
料理の匂い。
ずっと帰りたかった場所の匂いがする。
胸が苦しくなり、銀色の瞳から涙がこぼれた。
「あー、すまぬ。そっち行ったか」
店の奥からジャンヌが顔を出した。
僕の脇へ両腕を入れ、その場から持ち上げる。
「ほら、蒼いの。お客さんに飛びつくなし」
「がう! ぐるる!」
離して!
キュナのところへ行かせて!
空中で前脚と後ろ脚を必死に動かす。
ジャンヌの腕から逃れようと身体を捻り、尾を激しく振った。
「ちょっ、暴れんな! 爪! 爪出てる!」
「がう! がう!」
「今まで大人しかったのに、急に暴れてどしたん?」
違う。
暴れたいんじゃない。
キュナに僕だと気づいてほしいだけなんだ。
ジャンヌに抱えられたまま、僕はキュナへ前脚を伸ばし続けた。
キュナは逃げなかった。
金色の瞳で、僕の姿をじっと見つめている。
「蒼い毛並み……」
キュナが小さく呟く。
「まるで、アレク坊ちゃまみたいですね」
「がう!」
そうだよ!
僕がアレックスだよ!
キュナの瞳がわずかに大きくなる。
「え? 今、答えました?」
「がう!」
気づいて。
お願いだから、僕を見つけて。
キュナが一歩近づく。
僕の銀色の瞳を覗き込むように、少し腰を曲げた。
「キュナの言っていること、分かるんですか?」
「がう! がう!」
分かるよ!
全部分かってる!
キュナの声も、ジャンヌの声も、ニュースでお母さんたちが僕を捜していることも。
伝えたいことがたくさんあるのに、鳴き声しか出てこない。
キュナは少し考え、慎重に質問を変えた。
「……もしかして、アレックス・ジクスト様をご存じですか?」
「がう!」
知ってる。
本人だよ!
僕がアレックス・ジクストだ!
前脚を何度も動かし、キュナを指そうとする。
けれど、獅子の脚では指を差すことすらできない。
「マジか……人の言葉分かるん?」
ジャンヌが僕を抱え直す。
僕は激しく頷いた。
「がう!」
ジャンヌとショットちゃんが顔を見合わせる。
キュナは僕から目を逸らさなかった。
「ジェード様」
「何?」
「この子に坊ちゃまと何らかの関係があると思えて仕方ないです」
キュナが僕へ両腕を伸ばす。
ジャンヌが迷いながらも、僕の身体を渡した。
キュナの腕へ収まる。
懐かしい感触だった。
金属でできた身体なのに、少しも冷たくない。
僕が幼い頃から何度も抱き上げてくれた腕だ。
「ジクスト家で面倒を見てもよろしいですか?」
「がう!」
帰りたい!
家に帰りたい!
「しょーじき、家では面倒見きれんと思ってたし。引き取ってくれるならありがたい」
ジャンヌはそう答えたあと、ペットベッドの方を見た。
そこで丸くなっていたソフィーが顔を上げる。
淡い青色の瞳が僕を見つめていた。
「くるる……」
その鳴き声を聞き、胸が痛む。
ソフィーを置いていくことになる。
それでも、まずは家へ戻らなければならない。
僕がアレックスだと証明できれば、ソフィーのことも助けられるかもしれない。
僕はキュナの腕の中から、ソフィーへ鼻先を向けた。
「くぅ……」
必ず迎えに来る。
ソフィーの白い尾が、ゆっくりと揺れた。
「……ライオンちゃん、坊ちゃまの匂いを覚えていたら、捜してくれるかもしれませんね」
キュナが僕の頭を撫でる。
その手つきは優しかった。
懐かしさに、喉の奥が震える。
「くぅ……」
違うよ、キュナ。
捜す必要なんてない。
僕はもう、ここにいるんだ。
◇
キュナに抱かれ、2週間ぶりに自宅へ帰った。
門を抜ける。
見慣れた庭。
僕が乗っていた自転車。
何度も出入りした玄関。
全部そのままなのに、僕だけが変わってしまった。
「ただいま戻りました」
キュナが玄関を開ける。
リビングには、エラだけでなくお母さんもいた。
お母さんはソファへ座り、マナリンクの画面を見つめている。
僕の捜索情報が表示されていた。
いつもは綺麗に整えられている髪が少し乱れている。
目元は赤く腫れ、泣いた跡がはっきりと残っていた。
お母さん。
本当に帰ってきてくれたんだ。
僕を捜すために。
「がう!」
キュナの腕から飛び降りる。
床を蹴り、お母さんへ駆け寄った。
「きゃっ! 何、この子!?」
お母さんが驚いて両腕を上げる。
僕はその身体へ飛びついた。
前脚を肩へかけ、全身を預ける。
離れたくない。
お母さんの匂いがする。
幼い頃、眠れない夜に抱きしめてもらった時と同じ匂い。
帰ってきた。
やっと家へ帰ってこられた。
「がう……くぅ……」
お母さん。
僕だよ。
怖かった。
ずっと会いたかった。
言葉にできない思いが、涙になって銀色の瞳からあふれた。
青い毛を濡らし、お母さんの服へ落ちていく。
「このライオン……泣いてるわ」
声のする方を見る。
いつもの14歳の姿をしたエラが、少し離れた場所から僕を覗き込んでいた。
無表情だったエラの瞳が、かすかに揺れる。
ゆっくりと近づき、僕の顔を見つめた。
そして、小さく呟く。
「……アレックス」
「ガウ?」
何?
呼んだ?
お母さんの腕の中で、僕はエラへ顔を向けた。
その反応を見たお母さんが息を呑む。
僕の身体を支えながら、真正面から銀色の瞳を覗き込んだ。
震える手が、青い頬へ触れる。
「……アレックスなのね?」
「ぐるる……」
そうだよ。
僕だよ、お母さん。
ただいま。
お母さんの顔が涙で歪んだ。
次の瞬間、僕は強く抱きしめられた。
青い毛へ顔を埋めるように、お母さんの腕へ力が込められる。
「アレックス……! アレックス……!」
何度も名前を呼ばれる。
僕はその胸へ顔を押しつけた。
もう鳴き声さえうまく出なかった。
お母さんの胸の中で抱かれながら、僕たちは2人で涙を流した。




