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第63話 抗えない本能

◇


『続いて、行方不明となっている児童についてのニュースです』


朝のニュース番組から、聞き覚えのある名前が流れた。


『イスカティア上層に住むアレックス・ジクスト君、12歳』


画面の左側に、僕の写真が映し出される。


学校へ提出するため、少し前に撮影したものだ。


青い髪を整えられ、慣れない制服を着ている。


写真の中の僕は、今よりずっと幼く見えた。


いや、今の僕はもっと小さい。


青い仔獅子になってしまった僕が画面の前に座っても、ニュースの中の少年と同一人物だと気づく人はいないだろう。


『そして聖マギナ学園に通う、ソフィア・コシュキナちゃん、90歳の行方は、現在も分かっていません』


今度はソフィーの写真が映った。


腰まで伸びた白銀の髪。


淡い青色の瞳。


頭の左右へ伸びたエルフ耳。


少し緊張しながらも、カメラへ笑いかけている。


画面の右上には、赤い文字で《行方不明》と表示されていた。


『2人は同じ日の夜から行方が分からなくなっています。治安維持局は、近頃上層で相次いでいる児童の失踪事件との関連も視野に入れ、情報提供を呼びかけています』


僕たちはニュースになっていた。


突然いなくなって、もう2週間以上が経っているのだから仕方ない。


お母さんも心配しているだろう。


仕事を放り出して、イスカティアへ戻ってきているかもしれない。


キュナも、毎日僕を捜しているのかな。


夕食ができましたよ。


そう言って、誰もいない食卓へ僕のハンバーグを並べていたらどうしよう。


帰りが遅くなっただけでも、あんなに怒っていた。


今度こそ、1時間のお説教では済まないかもしれない。


怒られてもいい。


もう一度、キュナの声を聞きたい。


僕は画面に映る自分の写真を見上げながら、前脚を床へ伏せた。


「くぅ……」


口から出たのは、情けない鳴き声だけだった。


ソフィーも家族が心配しているよね?


隣へ顔を向ける。


白い子猫になったソフィーは、大きなペットベッドの中央で丸まっていた。


昨日ジャンヌが注文したものが、もう朝には届いていた。


仔獅子の僕とソフィーが一緒に寝ても、まだ余裕がある。


ふかふかの縁へ顎を乗せ、ソフィーはぼんやりとニュースを見ていた。


「くぅ?」


声をかけながら、鼻先で白い頬を軽く押す。


ソフィーの家族も、きっと心配している。


そう伝えたかった。


これまでなら耳や尾の動き、喉の鳴らし方で返事があった。


家族に会いたい。


早く元へ戻りたい。


そんな気持ちが伝わってくるはずだった。


「うにゃ?」


ソフィーは首を傾げた。


何を聞かれたのか分かっていないような顔だった。


「にゃぉん」


甘えるように鳴き、僕の胸元へ擦り寄ってくる。


頬を鬣へ何度も押しつけ、身体へ自分の匂いを移している。


そのまま前脚を舐め、顔を丁寧に擦り始めた。


右側を毛繕いする。


次は左側。


耳の後ろまで念入りに擦る。


終わると今度は僕の前脚を舐め始めた。


ざらついた舌が青い毛の上を何度も往復する。


「くぅ……」


ソフィー?


僕が前脚を引くと、ソフィーは不満そうに猫耳を伏せた。


しばらく僕を見つめたあと、ペットベッドの上で仰向けになる。


白いお腹を見せ、身体を左右へくねらせながらゴロゴロと喉を鳴らす。


長い尾が楽しそうに揺れていた。


まるで、本当の猫みたいだ。


昨日までは、鳴き声しか出せなくてもソフィーの気持ちが分かった。


仕草の奥に、人間だった頃のソフィーがいた。


今はそれが薄くなっている。


ソフィー本人ではなく、白い子猫と向き合っているような感覚がした。


僕はソフィーの肩へ前脚を置く。


「がう! ぐるる!」


ソフィー、動物になっちゃ駄目だよ!


自分が誰なのか思い出して。


君はソフィア・コシュキナ。


エルフの女の子で、僕の友達だ。


一緒に学校へ通って、オレンジソーダを飲んだ。


僕たちはスターハーツの仲間なんだ。


必死に訴えても、人間の言葉にはならない。


「がう! がう!」


ソフィーは僕の声に驚き、白い身体を起こした。


背中を丸め、猫耳を後ろへ伏せる。


「ふしゃあ!」


威嚇された。


淡い青色の瞳が、知らない動物を見るように僕を警戒している。


胸が締めつけられた。


「くぅ……」


僕が耳を伏せると、ソフィーの警戒もすぐに解けた。


何事もなかったように近づき、僕の鼻先を舐める。


怒っていたことさえ忘れてしまったようだった。


『小さな情報でも構いません。2人を見かけた方は、治安維持局までご連絡ください』


ニュースが次の話題へ移る。


僕とソフィーはここにいる。


画面のすぐ前にいる。


でも、そのことを伝える手段がなかった。


「ほれ、食いなよ」


背後からジャンヌの声がした。


緑のジャージ姿のジャンヌが、床へ2つの皿を置く。


片方には水。


もう片方には、小さな茶色い粒が山盛りになっていた。


鼻を近づける。


肉や魚に似た匂いはするけれど、少し乾いている。


「何食うか分からんから、とりま猫用。高いやつなら食うっしょ」


キャットフードだ。


ソフィーは匂いを嗅いだ途端、皿へ駆け寄った。


「にゃぁ!」


顔を皿へ突っ込み、夢中でキャットフードを食べ始める。


カリカリ。


カリカリ。


小さな牙で粒を砕く音が響く。


前脚を皿の縁へ乗せ、ほかのことには目もくれない。


食べる速度が速すぎて、時々喉へ詰まりそうになっている。


僕もお腹が空いていた。


研究所を逃げ出してから、まともな食事をしていない。


皿へ鼻先を近づけ、茶色い粒を1つ口へ入れる。


噛む。


魚と肉の味が口の中へ広がった。


食べられないわけではない。


人間だった時なら、お菓子のような感覚で食べられたかもしれない。


でも、飲み込もうとすると身体の奥から拒絶する感覚が湧いた。


違う。


これは僕の食べ物じゃない。


そう本能が訴えている。


僕は粒を口から吐き出した。


「ぐるる……」


「蒼いの……食わんか……」


ジャンヌの肩が落ちる。


眠そうな緑色の瞳が、さらに力なく伏せられた。


動物が苦手なのに、朝から僕たちのために食事を用意してくれたのだろう。


「高級キャットフードなのに。あーしの朝飯より高いんですけど……」


しょんぼりとするジャンヌを見て、申し訳なくなる。


無理をしてもう一度食べようか。


そんなことを考えていると、羽音が近づいてきた。


「ジェード、ライオンちゃんにはお肉よ!」


ショットちゃんが、自分の身体ほどもある皿を抱えて飛んでくる。


皿の上には、赤い生肉が賽の目に切られて並んでいた。


肉の匂いが鼻へ届く。


身体が勝手に反応した。


丸い獅子耳が立つ。


銀色の瞳が肉へ釘づけになる。


口の中に唾液が溢れ、尾が大きく持ち上がった。


「がう!」


皿が床へ置かれるより先に飛びついた。


肉の塊を口へ入れる。


噛む。


柔らかな肉から血と脂の味が染み出した。


美味しい。


今まで食べたどんな料理よりも、身体が喜んでいる。


もう一口。


さらにもう一口。


僕は鼻先を皿へ押し込み、生肉を貪った。


人間だった時なら、生の肉なんて絶対に口へ入れなかった。


お腹を壊すとか、焼いた方が美味しいとか考えたはずだ。


今は何も考えられない。


肉を噛み、飲み込み、次のひと切れへ牙を立てる。


「うわぁ……ガチの肉食獣じゃん」


ジャンヌが少し引いている。


その声で、ようやく我に返った。


皿は空になっていた。


口元には赤い肉汁がつき、前脚にも飛び散っている。


僕はそれを見下ろした。


さっきまでソフィーのことを、動物になってはいけないと必死に止めていた。


その僕が、生肉を前にしただけで何も考えられなくなった。


「くぅ……」


ソフィーが僕の隣へ来る。


口の周りにキャットフードの欠片をつけたまま、満足そうに喉を鳴らしていた。


「あと、これも1回試してみたかったんだよねー」


ジャンヌが買い物袋を探る。


取り出したのは、細長い筒状のパッケージだった。


袋には、目を輝かせた猫の絵が描かれている。


「猫が夢中になる『チューニュ』。ライオンに効くか知らんけど」


ジャンヌがパッケージの端を切る。


わずかな隙間から、ペースト状の餌が押し出された。


匂いが広がる。


鼻から入り込んだ濃い香りが、そのまま脳へ届いた。


肉。


魚。


脂。


さっき食べた生肉よりも強く、甘く、抗いがたい匂い。


頭の奥で何かが弾けた。


そこから先は、あまり覚えていない。


気がついた時には、ジャンヌが床へ仰向けに倒れていた。


僕はジャンヌの胸の上へ前脚を乗せている。


ソフィーはジャンヌの腕へしがみついていた。


2匹で筒状のパッケージへ顔を押しつけ、夢中で中身を舐め取っている。


「がう! がう!」


「にゃぉん! にゃぁ!」


もっと。


まだ残っている。


それしか考えられない。


ペーストを押し出そうとするジャンヌの手へ、僕とソフィーが同時に飛びつく。


爪を立てないようにする余裕もない。


口元も鼻先も茶色いペーストで汚れていた。


ソフィーは僕の顔を押し退け、自分の舌をパッケージの口へ伸ばす。


僕も負けじと頭を押し込む。


「ちょっ……待っ……重い! 爪! 爪しまって!」


ジャンヌの抗議も耳に入らない。


最後のひと欠片まで舐め終わり、空になった袋を何度も噛む。


ようやく匂いが薄れた時、頭の中へ人間の意識が戻ってきた。


僕とソフィーはジャンヌを押し倒したまま、動きを止める。


「……チューニュ、つよすんぎ……」


ジャンヌが床へ倒れたまま呟いた。


僕は汚れた口元を前脚で拭う。


その動きも、考えるより先に身体が行っていた。


隣ではソフィーが満足そうに仰向けになり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。


僕も舌に残った味を思い出しただけで、尾が勝手に揺れた。


怖い。


そう思っているはずなのに、身体は次の餌を期待していた。


抗えない欲求が、少しずつ僕たちを本当の動物へ変えていった。

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