第63話 抗えない本能
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『続いて、行方不明となっている児童についてのニュースです』
朝のニュース番組から、聞き覚えのある名前が流れた。
『イスカティア上層に住むアレックス・ジクスト君、12歳』
画面の左側に、僕の写真が映し出される。
学校へ提出するため、少し前に撮影したものだ。
青い髪を整えられ、慣れない制服を着ている。
写真の中の僕は、今よりずっと幼く見えた。
いや、今の僕はもっと小さい。
青い仔獅子になってしまった僕が画面の前に座っても、ニュースの中の少年と同一人物だと気づく人はいないだろう。
『そして聖マギナ学園に通う、ソフィア・コシュキナちゃん、90歳の行方は、現在も分かっていません』
今度はソフィーの写真が映った。
腰まで伸びた白銀の髪。
淡い青色の瞳。
頭の左右へ伸びたエルフ耳。
少し緊張しながらも、カメラへ笑いかけている。
画面の右上には、赤い文字で《行方不明》と表示されていた。
『2人は同じ日の夜から行方が分からなくなっています。治安維持局は、近頃上層で相次いでいる児童の失踪事件との関連も視野に入れ、情報提供を呼びかけています』
僕たちはニュースになっていた。
突然いなくなって、もう2週間以上が経っているのだから仕方ない。
お母さんも心配しているだろう。
仕事を放り出して、イスカティアへ戻ってきているかもしれない。
キュナも、毎日僕を捜しているのかな。
夕食ができましたよ。
そう言って、誰もいない食卓へ僕のハンバーグを並べていたらどうしよう。
帰りが遅くなっただけでも、あんなに怒っていた。
今度こそ、1時間のお説教では済まないかもしれない。
怒られてもいい。
もう一度、キュナの声を聞きたい。
僕は画面に映る自分の写真を見上げながら、前脚を床へ伏せた。
「くぅ……」
口から出たのは、情けない鳴き声だけだった。
ソフィーも家族が心配しているよね?
隣へ顔を向ける。
白い子猫になったソフィーは、大きなペットベッドの中央で丸まっていた。
昨日ジャンヌが注文したものが、もう朝には届いていた。
仔獅子の僕とソフィーが一緒に寝ても、まだ余裕がある。
ふかふかの縁へ顎を乗せ、ソフィーはぼんやりとニュースを見ていた。
「くぅ?」
声をかけながら、鼻先で白い頬を軽く押す。
ソフィーの家族も、きっと心配している。
そう伝えたかった。
これまでなら耳や尾の動き、喉の鳴らし方で返事があった。
家族に会いたい。
早く元へ戻りたい。
そんな気持ちが伝わってくるはずだった。
「うにゃ?」
ソフィーは首を傾げた。
何を聞かれたのか分かっていないような顔だった。
「にゃぉん」
甘えるように鳴き、僕の胸元へ擦り寄ってくる。
頬を鬣へ何度も押しつけ、身体へ自分の匂いを移している。
そのまま前脚を舐め、顔を丁寧に擦り始めた。
右側を毛繕いする。
次は左側。
耳の後ろまで念入りに擦る。
終わると今度は僕の前脚を舐め始めた。
ざらついた舌が青い毛の上を何度も往復する。
「くぅ……」
ソフィー?
僕が前脚を引くと、ソフィーは不満そうに猫耳を伏せた。
しばらく僕を見つめたあと、ペットベッドの上で仰向けになる。
白いお腹を見せ、身体を左右へくねらせながらゴロゴロと喉を鳴らす。
長い尾が楽しそうに揺れていた。
まるで、本当の猫みたいだ。
昨日までは、鳴き声しか出せなくてもソフィーの気持ちが分かった。
仕草の奥に、人間だった頃のソフィーがいた。
今はそれが薄くなっている。
ソフィー本人ではなく、白い子猫と向き合っているような感覚がした。
僕はソフィーの肩へ前脚を置く。
「がう! ぐるる!」
ソフィー、動物になっちゃ駄目だよ!
自分が誰なのか思い出して。
君はソフィア・コシュキナ。
エルフの女の子で、僕の友達だ。
一緒に学校へ通って、オレンジソーダを飲んだ。
僕たちはスターハーツの仲間なんだ。
必死に訴えても、人間の言葉にはならない。
「がう! がう!」
ソフィーは僕の声に驚き、白い身体を起こした。
背中を丸め、猫耳を後ろへ伏せる。
「ふしゃあ!」
威嚇された。
淡い青色の瞳が、知らない動物を見るように僕を警戒している。
胸が締めつけられた。
「くぅ……」
僕が耳を伏せると、ソフィーの警戒もすぐに解けた。
何事もなかったように近づき、僕の鼻先を舐める。
怒っていたことさえ忘れてしまったようだった。
『小さな情報でも構いません。2人を見かけた方は、治安維持局までご連絡ください』
ニュースが次の話題へ移る。
僕とソフィーはここにいる。
画面のすぐ前にいる。
でも、そのことを伝える手段がなかった。
「ほれ、食いなよ」
背後からジャンヌの声がした。
緑のジャージ姿のジャンヌが、床へ2つの皿を置く。
片方には水。
もう片方には、小さな茶色い粒が山盛りになっていた。
鼻を近づける。
肉や魚に似た匂いはするけれど、少し乾いている。
「何食うか分からんから、とりま猫用。高いやつなら食うっしょ」
キャットフードだ。
ソフィーは匂いを嗅いだ途端、皿へ駆け寄った。
「にゃぁ!」
顔を皿へ突っ込み、夢中でキャットフードを食べ始める。
カリカリ。
カリカリ。
小さな牙で粒を砕く音が響く。
前脚を皿の縁へ乗せ、ほかのことには目もくれない。
食べる速度が速すぎて、時々喉へ詰まりそうになっている。
僕もお腹が空いていた。
研究所を逃げ出してから、まともな食事をしていない。
皿へ鼻先を近づけ、茶色い粒を1つ口へ入れる。
噛む。
魚と肉の味が口の中へ広がった。
食べられないわけではない。
人間だった時なら、お菓子のような感覚で食べられたかもしれない。
でも、飲み込もうとすると身体の奥から拒絶する感覚が湧いた。
違う。
これは僕の食べ物じゃない。
そう本能が訴えている。
僕は粒を口から吐き出した。
「ぐるる……」
「蒼いの……食わんか……」
ジャンヌの肩が落ちる。
眠そうな緑色の瞳が、さらに力なく伏せられた。
動物が苦手なのに、朝から僕たちのために食事を用意してくれたのだろう。
「高級キャットフードなのに。あーしの朝飯より高いんですけど……」
しょんぼりとするジャンヌを見て、申し訳なくなる。
無理をしてもう一度食べようか。
そんなことを考えていると、羽音が近づいてきた。
「ジェード、ライオンちゃんにはお肉よ!」
ショットちゃんが、自分の身体ほどもある皿を抱えて飛んでくる。
皿の上には、赤い生肉が賽の目に切られて並んでいた。
肉の匂いが鼻へ届く。
身体が勝手に反応した。
丸い獅子耳が立つ。
銀色の瞳が肉へ釘づけになる。
口の中に唾液が溢れ、尾が大きく持ち上がった。
「がう!」
皿が床へ置かれるより先に飛びついた。
肉の塊を口へ入れる。
噛む。
柔らかな肉から血と脂の味が染み出した。
美味しい。
今まで食べたどんな料理よりも、身体が喜んでいる。
もう一口。
さらにもう一口。
僕は鼻先を皿へ押し込み、生肉を貪った。
人間だった時なら、生の肉なんて絶対に口へ入れなかった。
お腹を壊すとか、焼いた方が美味しいとか考えたはずだ。
今は何も考えられない。
肉を噛み、飲み込み、次のひと切れへ牙を立てる。
「うわぁ……ガチの肉食獣じゃん」
ジャンヌが少し引いている。
その声で、ようやく我に返った。
皿は空になっていた。
口元には赤い肉汁がつき、前脚にも飛び散っている。
僕はそれを見下ろした。
さっきまでソフィーのことを、動物になってはいけないと必死に止めていた。
その僕が、生肉を前にしただけで何も考えられなくなった。
「くぅ……」
ソフィーが僕の隣へ来る。
口の周りにキャットフードの欠片をつけたまま、満足そうに喉を鳴らしていた。
「あと、これも1回試してみたかったんだよねー」
ジャンヌが買い物袋を探る。
取り出したのは、細長い筒状のパッケージだった。
袋には、目を輝かせた猫の絵が描かれている。
「猫が夢中になる『チューニュ』。ライオンに効くか知らんけど」
ジャンヌがパッケージの端を切る。
わずかな隙間から、ペースト状の餌が押し出された。
匂いが広がる。
鼻から入り込んだ濃い香りが、そのまま脳へ届いた。
肉。
魚。
脂。
さっき食べた生肉よりも強く、甘く、抗いがたい匂い。
頭の奥で何かが弾けた。
そこから先は、あまり覚えていない。
気がついた時には、ジャンヌが床へ仰向けに倒れていた。
僕はジャンヌの胸の上へ前脚を乗せている。
ソフィーはジャンヌの腕へしがみついていた。
2匹で筒状のパッケージへ顔を押しつけ、夢中で中身を舐め取っている。
「がう! がう!」
「にゃぉん! にゃぁ!」
もっと。
まだ残っている。
それしか考えられない。
ペーストを押し出そうとするジャンヌの手へ、僕とソフィーが同時に飛びつく。
爪を立てないようにする余裕もない。
口元も鼻先も茶色いペーストで汚れていた。
ソフィーは僕の顔を押し退け、自分の舌をパッケージの口へ伸ばす。
僕も負けじと頭を押し込む。
「ちょっ……待っ……重い! 爪! 爪しまって!」
ジャンヌの抗議も耳に入らない。
最後のひと欠片まで舐め終わり、空になった袋を何度も噛む。
ようやく匂いが薄れた時、頭の中へ人間の意識が戻ってきた。
僕とソフィーはジャンヌを押し倒したまま、動きを止める。
「……チューニュ、つよすんぎ……」
ジャンヌが床へ倒れたまま呟いた。
僕は汚れた口元を前脚で拭う。
その動きも、考えるより先に身体が行っていた。
隣ではソフィーが満足そうに仰向けになり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
僕も舌に残った味を思い出しただけで、尾が勝手に揺れた。
怖い。
そう思っているはずなのに、身体は次の餌を期待していた。
抗えない欲求が、少しずつ僕たちを本当の動物へ変えていった。




