第56話 灰被り
部屋の中には、誰もいなかった。
そう思った次の瞬間、窓際に置かれた椅子の陰から、小さな女の子が顔を覗かせた。
金色の髪は肩の辺りで揺れ、淡い金色の瞳がこちらを見つめている。
黒いゴシックロリータ風のドレスは、エラがいつも着ているものと同じだった。
けれど、服に着られてしまいそうなほど身体が小さい。
見た目は、ソフィーやキュナよりも幼い。
「……え?」
アメリアが目を丸くする。
「この子、誰?」
ソフィーも戸惑ったように首を傾げた。
「エラさんのお部屋なのに、知らない子がいるよ?」
僕も言葉が出なかった。
部屋の主であるエラは、14歳の女の子だ。
こんな小さな子が、どうしてここにいるんだろう。
女の子は、僕たちの視線を浴びて身を縮めた。
両手でドレスの裾を握りしめ、震えながら後ずさる。
「……みないで」
「え?」
僕が聞き返すと、女の子の瞳に涙が浮かんだ。
「みないで……」
声が震えている。
アメリアが一歩近づこうとした。
「大丈夫よ。私たちは――」
「いやぁ!」
女の子は叫び、両手で顔を覆った。
「みられちゃった……みられちゃったよぉ……!」
涙が次々に頬を伝っていく。
「どうして……どうしてぇ……」
幼い子供のように泣きじゃくり、床にしゃがみ込む。
ソフィーが慌てて僕の袖を掴んだ。
「アレク、この子すごく泣いてるよ……」
「う、うん……」
「ごめんね、驚かせちゃったけどキミは?」
僕が謝ると、女の子は顔を上げた。
泣き濡れた金色の瞳が、怯えるように揺れている。
「おねえちゃんたち……いなくなって……」
「え?」
「エラのへや、みないでぇ……!」
その名前を口にした瞬間、女の子はさらに大きな声で泣き出した。
「どうしてはいってくるの…!」
アメリアとソフィーが顔を見合わせる。
僕も、どうしていいのか分からなかった。
女の子は、見られてしまったことが怖くてたまらないように、身体を丸めて泣き続けていた。
◇
ようやく泣き止んだ女の子は、床に座ったまま俯いていた。
目元は赤く腫れ、時々しゃくり上げている。
僕は驚かせないように、その場へしゃがみ込んだ。
「キミ、名前は?」
女の子はドレスの裾を握りしめ、小さな声で答えた。
「……エラ」
「エラ?」
思わず聞き返してしまう。
「でも、エラは僕より大人で、髪も灰色だよ?」
「……私がエラだもん」
女の子は涙の残る金色の瞳で僕を見つめた。
嘘をついているようには見えない。
けれど、僕の知っているエラとは姿も年齢も違いすぎる。
「困ったなぁ……」
「エラの妹さんじゃないの?」
アメリアが女の子の顔を覗き込む。
「確かに、よく見るとエラに似ている気はするけど」
その時、街の時計塔から13時を知らせる鐘の音が響いた。
ゴーン。
ゴーン。
重い鐘の音が、窓ガラスをわずかに震わせる。
ぐぐっ!
僕たちが見守る前で、座っていたエラの身体が少しずつ大きくなっていく。
細い手足が伸び、幼かった顔立ちもわずかに変化した。
身体が成長したことで、ドレスの袖やスカートの裾から白い素肌が少しだけ覗く。
ほんの数秒で、成長した。
あまりにも突然の出来事に、誰も開いた口が塞がらなかった。
「……私がエラ」
成長した女の子が、震える声で繰り返す。
「午後だから、ここからどんどん大きくなるの」
「……大きく?」
「夕方の6時には、アレックスも知ってる身体に成長する」
「ど、どういうことなの?」
アメリアが困惑した声を上げる。
僕にも、まるで意味が分からない。
たった数時間で成長するなんて、普通の人間に起こるはずがない。
エラは膝を抱え、ぽつぽつと話し始めた。
「昔、事故で死にそうになって、手術を受けたの」
「命は助かったけど、こんな身体になっちゃった」
エラは、自分の小さな手を見つめる。
「お昼の12時は8歳」
「そこから、どんどん身体が成長して、夜の12時には20歳になるの」
「そうしたら、今度は少しずつ若返って、また8歳まで戻る……」
「毎日、それの繰り返し……」
朝と夕方しか部屋から出ようとしなかった理由が、ようやく分かった。
僕たちの前に姿を見せていたのは、年齢が14歳になる時間だけだったんだ。
エラは顔を伏せたまま、自分を笑うように呟いた。
「……気持ち悪いでしょ?」
「この身体のせいで、継母から追い出されたの……」
9歳のエラは、子供らしくない乾いた笑いを浮かべた。
「そんなことないよ!」
思わず大きな声が出る。
エラが驚いたように顔を上げた。
「どんなに姿が変わっても、辛いものが好きで、一緒に暮らしている家族のエラであることは変わらないよ」
薄く灰色がかかった金の瞳が、まっすぐ僕へ向けられる。
「知られたくなかったのは分かる」
「僕にだって秘密はあるし、家族だからって、何でも話せるわけじゃない」
胸に埋め込まれたプロテウスのことは、母さんにもキュナにも話していない。
僕も、エラと同じように秘密を抱えている。
「でも、秘密があるから仲良くなれないなんて、そんなのありっこないよ!」
「アレックス……」
「そうですよ!」
キュナが勢いよく僕たちの間へ割って入った。
「エラちゃんが大人でも子供でも、キュナが美味しいご飯を作ってあげますから!」
エラは戸惑いながら、僕とキュナを交互に見つめる。
「……ここにいていいの?」
「もちろん!」
僕は迷わず答えた。
「僕が誰にも文句は言わせないよ!」
「……ありがとう」
幼いエラの顔に、少しだけ安心したような表情が浮かんだ。
「もしかして、エラが手術を受けたのって……」
嫌な予感が胸をよぎる。
僕が問いかけると、エラは小さく頷いた。
「……ドレッド……」
「やっぱり……」
病気や怪我を治す代わりに、肉体を異形へ変えてしまうD因子。
エラの身体に起きている異常も、ドレッドの仕業だったんだ。
僕とアメリア、ソフィーは、言葉を失ったまま顔を見合わせた。




