第52話 エラとイタズラ
◇
エラがこの家に来てから、数日が過ぎた。
けれど、まだ彼女のことをほとんど知らない。
「エラちゃん、今日の夕食は何が食べたいですか?」
キュナが尋ねても、返ってくる答えはいつも同じだった。
「何でも大丈夫です」
「好きなものはありませんか?」
「特にありません」
僕が話しかけても、会話はすぐに途切れてしまう。
「学校の勉強はどう?」
「問題ありません」
「この家、分からない場所とかない?」
「大丈夫です」
それ以上、話が続かない。
エラは必要なことだけを答えると、すぐに自分の部屋へ戻ってしまう。
ある日の昼過ぎ。
キュナが、珍しく困ったような顔で僕のところへやって来た。
「アレク坊ちゃま、少しご相談があるのですが……」
「どうしたの?」
「エラちゃんのことです」
キュナは両手を胸の前で組み、心配そうに眉を下げた。
「お昼ご飯も、部屋に置いておいて下さいって言って、リビングに来てくれないんですよ」
「エラが?」
「はい。食事はきちんと召し上がっているのですが、いつも1人で済ませています」
「それは……ちょっと寂しいね」
「キュナ、嫌われているのでしょうか?」
「そんなことないと思うよ」
「でも、話しかけてもすぐに会話が終わってしまいます」
キュナの声が少し沈む。
家事をするために作られたオートマタのキュナにとって、誰かと一緒に食卓を囲むことは大切なことなのだろう。
「エラの好きなものを探ろう」
「好きなもの、ですか?」
「うん。何でも大丈夫って言われても、何か1つくらいあるはずだよ」
僕たちは、エラの好みを探す作戦を立てた。
◇
夕方。
食事の時間になると、エラがリビングへ降りてきた。
灰色の髪。
いつもの黒いゴシックドレス。
金色の文字盤や時計の針を思わせる刺繍。
レースとフリルで飾られた裾。
足元には透明なガラスの靴。
何度見ても、普通の少女とは違う雰囲気がある。
エラが席につくと、キュナがすぐに料理を並べた。
「エラちゃん、今日はアレク坊ちゃまと一緒に、色々お話ししましょうね」
「はい」
返事はする。
けれど、表情はほとんど変わらない。
僕はできるだけ自然な声で尋ねた。
「エラは、何でも食べるの?」
「はい。好き嫌いはありません」
「本当に?」
「はい」
「甘いものも?」
「大丈夫です」
「辛いものは?」
「問題ありません」
「好きな料理とか、ないの?」
「特にありません」
キュナも負けずに質問を重ねる。
「趣味はありますか?」
「読書ぐらいです」
「どんな本がお好きですか?」
「特に決まっていません」
「やってみたいことは?」
「特にありません」
「休日は何をして過ごしているのですか?」
「部屋にいます」
会話が、次々と壁にぶつかっていく。
僕は思わず、心の中で呟いた。
……だめだこりゃ。
何を聞いても、「大丈夫です」「特にありません」で終わってしまう。
エラは食事を続けながら、僕たちの質問へ淡々と答えていた。
まるで、会話そのものを早く終わらせたいみたいだ。
ふと、僕はエラの服へ目を向けた。
「そういえば、そのドレスみたいな服、すごく似合ってるよね」
エラの手が、ほんの少しだけ止まった。
「いつもその服だけど、他の服は着ないの?」
「これが1番都合がいいので」
「都合?」
僕が聞き返すと、エラは自分の袖口へ目を落とした。
「はい。これで問題ありません」
理由になっているような、なっていないような答えだった。
その時、壁の時計が音を立てた。
午後7時。
短い鐘の音が、リビングに響く。
エラは食事の手を止め、時計へ視線を向けた。
「……もう、部屋に戻ってもいいですか?」
「え? うん……」
エラは席を立った。
「ごちそうさまでした」
「エラちゃん、まだデザートがありますよ?」
「お気持ちだけ、いただきます」
それだけ言うと、エラは静かにリビングを出ていった。
「なんで、そんなに部屋へ戻りたがるんだろう」
僕は閉じた扉を見つめる。
「見たいアニメでもやるのかな?」
「アニメ……エラちゃんも、そういうものを見るのでしょうか?」
キュナが首を傾げた。
エラの足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。
黒いドレスの裾が階段の向こうへ消える姿は、来たばかりの少女というより、少しだけ遠くにいる大人のように見えた。
「ガラスの靴、綺麗だよね」
僕は、階段を上っていくエラの足元へ目を向けた。
透明な靴は、廊下の照明を受けて淡く輝いている。
「魔法のガラスで、サイズが私用にぴったりと合うので」
エラは足元を見下ろしながら答えた。
「魔法のガラス?」
「はい、いつも履いています」
「へぇ……便利だね」
「そうですね」
エラはそれだけ言うと、また階段を上っていった。
◇
「アレックス、そういう時はイタズラだぜ?」
次の日の学校で、リアムがとんでもないことを言い出した。
「料理にチリパウダーを入れて、激辛にするんだよ!」
「だ、ダメだよ、そんなの!」
「違う表情が見たいんだろ?」
「……そうだけど」
エラは、何をしても表情がほとんど変わらない。
いつも淡々としている。
そんな彼女の、少し違う表情を見てみたい。
「アレク、自分が好きなものをおすすめしてみたら?」
ソフィーが、隣から提案した。
「確かに。ゲームを一緒にやろうって誘ってみようかな…でもやらなそう…」
「一緒に空を飛べば仲良しだよ!」
サパタが翼を広げる。
「僕もエラも飛べないよ」
「泳ぐのはどう? 水の中は気持ちいいよ?」
「マヒナ、エラはプールにも行ってくれなさそうなんだ……」
「フリスビーだよ!」
イヌイットが尻尾を振りながら叫ぶ。
「どっちが取ってくる側なの……?」
結局、僕はリアムの案を試すことになった。
◇
放課後。
リアムに押し切られ、僕はチリパウダーを買って帰った。
キュナが夕食の準備をしている間、僕はこっそり瓶を握りしめる。
「本当にやるの?」
「入れすぎるなよ。俺でもむせるからな」
マナリンク越しにリアムが念を押してくる。
どうして通信で見張っているんだろう。
キュナが別の部屋へ向かった隙に、僕はテーブルの上に置かれていたスープへチリパウダーを振り入れた。
赤い粉が、湯気の中へ消えていく。
「よし……」
その時、廊下からキュナの声が響いた。
「ご飯ができましたよー!」
「……あ」
今入れたら、僕も飲まないとじゃん。
自分だけ避けるわけにはいかない。
やがて、キュナがスープをテーブルへ運んできた。
「今日は特製スープです。冷めないうちにどうぞ」
僕とエラの前へ、それぞれ器が置かれる。
赤い油が表面に浮き、湯気と一緒に刺激的な香りが漂っていた。
「どうしました?」
キュナは何も知らず、にこにことスープを差し出している。
僕は覚悟を決め、スプーンを口へ運んだ。
「……ごく」
次の瞬間、喉の奥が焼けた。
「ゲホッ!」
舌が痛い。
喉が熱い。
息を吸うだけで、辛さがさらに広がっていく。
「み、水! 水!」
僕は立ち上がり、コップを掴んだ。
勢いよく水を飲む。
けれど、辛さは簡単には消えてくれない。
「アレク坊ちゃま、どうしたのですか!?」
キュナが慌てて駆け寄る。
「スープが……!」
僕が涙目になっている隣で、エラは静かにスプーンを動かしていた。
赤く染まったスープを、何事もなかったように口へ運ぶ。
「……美味しい」
「え?」
エラはもう一口飲み、ほんの少しだけ目を細めた。
「辛さの後に、野菜の甘みがあります。好きです」
僕は、まだ燃えている舌を押さえながら思った。
僕の舌を犠牲にして、エラの好きなものが1つ分かった。




