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第45話 一筋の願いと答えた身体

追加のD因子を投与できなければ、命が危ない。


そのための方法を探す時間すら、残されていない。


僕が俯いていると、店の裏口が開いた。


アメリアが、両手で厳重な箱を抱えて入ってくる。


箱は黒い金属でできており、蓋の周囲にはいくつもの封印術式が刻まれていた。


「最後の手段があるわ」


アメリアは箱をテーブルへ置き、固定具を外していく。


カチャリ。


いくつものロックが外れた。


蓋が開く。


中に収められていたのは、白い光を帯びたV字の魔導器だった。


見覚えがある。


僕の胸に突き刺さり、身体を変えたもの。


「プロテウス……」


ジムおじさんが息を呑んだ。


アメリアは、慎重に魔導器を取り出す。


まだ誰の身体にも取りついていないのに、内部の光がゆっくりと明滅していた。


それをソフィーの近くへ運んだ瞬間だった。


光の明滅が変わった。


ソフィーの呼吸に合わせるように、白い光が強くなったり弱くなったりしている。


息を吸う。


光が強くなる。


息を吐く。


光が弱くなる。


まるで、プロテウスとソフィーの心臓が引き合っているようだった。


「反応している……」


僕が呟く。


アメリアは魔導器を見つめながら、慎重に答えた。


「ソフィーの心臓へ引かれている。適合する可能性があるかもしれない」


「絶対じゃないけどね」


「プロテウスには適合する者と、適合しない者がいるわ。不適合なら、心臓が魔導器を拒絶する」


「その場合は?」


「死んでしまうわ」


治療室の空気が凍りつく。


「使えば助かるわけじゃない」


アメリアの言葉が止まる。


ソフィーは、このまま衰弱していく。


プロテウスを使えば、助かるかもしれない。


けれど、拒絶されればその場で命を失うかもしれない。


僕は、ソフィーの顔を見た。


白と黒の毛並み。


力なく伏せられた耳。


薄く開いた瞳。


彼女は、今までだって十分に苦しんできた。


自分の身体を怪物へ変えられ、誰かを傷つけてしまい、元に戻れないまま生きている。


そんなソフィーに、また危険な選択をさせる。


助かるかもしれない。


死ぬかもしれない。


僕たちは、その判断を彼女へ押しつけようとしている。


「ソフィー」


僕は前足を握ったまま、ゆっくりと話しかけた。


「これを使えば、今の身体が変わるかもしれない」


ソフィーの耳がわずかに動く。


「プロテウスっていう魔導器を、心臓へ取りつけるんだ。D因子に変えられた身体を、魔導器の身体へ置き換える」


言葉が喉につかえる。


「でも、必ず助かるとは言えない。身体が受け入れられなかったら、心臓が止まるかもしれない」


アメリアが息を呑む。


ジムおじさんも、何も言わずに僕を見ている。


「怖いなら、やらなくていい。僕たちが別の方法を探す」


本当は、別の方法など見つかっていない。


それでも、ソフィーへ選ばせなければならなかった。


「僕が勝手に決めたくないんだ。ソフィーがどうしたいのか、教えてほしい」


ソフィーはじっと僕を見つめた。


淡い青色の瞳が、僕の顔から手元へ移る。


そして、今までになく強く、前足へ力を込めた。


肉球が僕の手へ食い込む。


「ソフィー……?」


喉の奥から、低い声が漏れた。


「ぐる……や……っ……て……」


聞き取りづらい。


それでも、意味は分かった。


やって。


ソフィーは、そう言っている。


「本当に?」


もう一度尋ねる。


ソフィーは僕の手を握り続けた。


今度は迷わなかった。


「分かった。必ずそばにいる」


アメリアがプロテウスを持ち上げる。


魔導器の光が、ソフィーの呼吸と重なるように明滅していた。


「始めるわ」


プロテウスが、ソフィーの胸へ近づく。


触れた瞬間、白い光が爆発した。


魔導器の先端が、胸へ食い込んでいく。


ソフィーの身体が跳ねた。


「ぐるぁぁぁぁぁっ!」


苦しげな咆哮が治療室を揺らす。


爪が床を引き裂き、近くの棚が倒れた。


器具が床へ落ち、ガラスの容器が次々に割れていく。


「ソフィー!」


僕は握った手を離さなかった。


身体を押さえることはできない。


暴れる爪を避けるだけで精一杯だった。


それでも、手だけは離さない。


「僕はここにいる!」


ソフィーの身体を、白い光が包んでいく。


心臓へ食い込んだプロテウスが、魔導器の回路を伸ばしていく。


胸から肩へ。


肩から腕へ。


背中から脚へ。


光の線が全身を走った。


白虎の毛並みが光の中へ溶けていく。


黒い縞模様も、鋭い爪も、獣の身体も、すべてが魔導回路へ変換されていった。


「ソフィー、頑張って!」


アメリアが叫ぶ。


ソフィーの咆哮が、次第に苦しげな声へ変わる。


「ぁぁぁあ!」


身体の輪郭が変わった。


腰まで流れていた白銀の髪が光の中で広がる。


淡い青色の瞳が、強い光を宿す。


頭の左右には尖ったエルフ耳が残り、その上に白い機械式の猫耳が現れた。


青く光る魔導機構が、耳の内部で明滅している。


白い装甲が胸元から広がった。


ワンピースのような形をした装甲が胴と肩を包み、裾には淡い水色の縁取りと結晶状の飾りが浮かぶ。


両手の指は細い機械の指へ変わり、関節の隙間から白い光が漏れた。


脚には黒いタイツのような装甲が伸び、白いブーツが足元を覆う。


腰からは、白い外殻に暗い縞模様が入った機械式の尾が伸びた。


節のある尾が床を叩き、最後にゆっくりと弧を描く。


D因子の獣の姿ではない。


白虎の毛並みに覆われた怪人でもない。


白銀の髪と白い装甲を持つ、小柄な機械の少女。


機械化されたソフィーが、そこに立っていた。


光が消える。


治療室が静まり返った。


僕は、すぐに喜ぶことができなかった。


ソフィーの胸へ視線を向ける。


プロテウスは、心臓と融合して体内に入っていった。


呼吸はある。


けれど、目を閉じたままだ。


「……ソフィー?」


返事はない。


僕の手が震える。


やがて、白い機械の指がわずかに動いた。


淡い青色の瞳が開く。


まっすぐに、僕を見た。


「……ア…レク」


はっきりとした声だった。


廃工場で、かろうじて名前を呼んだ時とは違う。


今度は、確かな意思が声になって届いた。


胸の奥に詰まっていた息が、ようやく抜けていく。


「ソフィー……!」


アメリアも胸を撫で下ろした。


「よかった……本当に、よかった」


ソフィーは自分の機械の手を見つめる。


白い光が灯る指。


白い装甲。


動くたびに響く小さな機械音。


自分の身体が変わったことに戸惑っているようだった。


それでも、次の瞬間。


ソフィーは僕へ両腕を伸ばした。


細い機械の腕が、僕の身体を抱きしめる。


装甲同士が触れ、硬い音がした。


けれど、その抱擁はソフィーのものだった。


僕は彼女の背中へ腕を回す。


「戻ってきてくれて、ありがとう」


白い機械の尾が、僕たちのそばで静かに揺れる。


ソフィーの身体は氷の様に冷たかったが僕の心は暖かかった。


「またアレクとお話し出来る!」


ソフィーの機械の指が、僕の腕をぎゅっと掴む。


「また学校に行ける!」


ソフィーの声は弾んでいた。


さっきまで命の危機にあったとは思えないほど、嬉しそうな声だった。


「うん。ソフィーはもう大丈夫だよ」


僕は彼女の白い装甲を見上げる。


「でも、これ戻れるの?」


ソフィーは自分の身体を見下ろした。


白い装甲。


青く光る魔導回路。


腰から伸びた縞模様の機械の尾。


「うん、戻りたいと思えば戻れるよ」


プロテウスは、変身も解除も本人の意思で行える。


僕がそう説明すると、ソフィーはしばらく自分の手を見つめた。


「わかった」


ソフィーが小さく頷く。


次の瞬間、身体を覆っていた魔導回路が淡い光を放った。


白い装甲が胸元から折りたたまれていく。


腕の機械が細くなり、白く光る指が人間の指へ戻っていく。


腰から伸びていた機械の尾が光の粒となって消え、頭の上にあった機械式の猫耳もゆっくりと収まっていった。


装甲の下から、白い素肌が少しずつ現れていく。


「えっ……」


僕は、そこで初めて気づいた。


変身した時に身についた装甲は、服として残っていたわけではない。


ソフィーが人間の姿へ戻ると、それらもすべて消えてしまう。


光が消える。


そこに立っていたのは、元の姿へ戻ったソフィーだった。


ただし、何も身につけていなかった。


「きゃぁ!」


ソフィーが両手で身体を隠す。


僕も慌てて視線を逸らした。


「ち、違う! 僕は見ようとしたわけじゃ!」


「アレックスの変態!」


パァン!


頬へ強い衝撃が走った。


「痛っ!」


アメリアに思いきりビンタされた。


「僕だって分からなかったのに……酷い」


「分からなかったなら、なおさら最初に目を逸らしなさいよ!」


「逸らしたよ! 今!」


「遅いのよ!」


ソフィーは恥ずかしそうにしゃがみ込み、両腕で身体を隠している。


「アレク……見た?」


「見てない!」


反射的に答えた。


「本当に?」


「本当に!」


僕は顔を背けたまま、手近にあった毛布をソフィーへ差し出した。


「これ、使って」


「…ありがと」


ソフィーが毛布を受け取り、身体へ巻きつける。


その声は、さっきまでの獣の唸り声ではなかった。


学校で聞いた、いつものソフィーの声だ。


また話せる。


また学校へ行ける。


その事実が嬉しくて、頬の痛みも少しだけ我慢できた。


……でも、僕だってわからなかったのに。


本当に、酷い。

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