第43話 古い自分を脱ぎ捨てて
◇
ロングロングドッグの営業が終わった後だった。
店内の明かりを落とし、ジムおじさんが厨房の片付けをしている。
治療室では、ソフィーが静かに眠っていた。
僕は扉の前に座り、彼女の呼吸を聞いていた。
アメリアはカウンターで資料を読み返している。
シオは、今日は来ていなかった。
「明日には、また来るかな」
そんなことを話していた時だった。
窓ガラスが、突然砕け散った。
ガシャァン!
外から投げ込まれた魔導弾が床へ転がり、白い煙を噴き出す。
「全員、伏せろ!」
ジムおじさんの声が響いた。
煙の向こうから、戦闘服の集団が次々と店内へ入ってくる。
腰には拳銃と警棒。
胸元には、ドレッドの紋章。
キャンセラーだ。
「D因子適合者、ソフィア・コシュキナを確保せよ!」
その言葉に、背中が冷たくなった。
ソフィーの名前を知っている。
彼女がここにいることも知っている。
この場所を教えたのは、誰なのか。
「治療室へ向かわせちゃだめだ!」
アメリアが立ち上がる。
「分かってる!」
僕たちは厨房の奥へ駆け込んだ。
背後から銃声が響き、棚や食器が次々と破壊されていく。
胸の奥でプロテウスが光った。
蒼白い光が身体を包み、肉体が魔導器へ置き換わっていく。
白銀の装甲。
蒼い魔導回路。
視界が鮮明になり、音の一つひとつがはっきりと聞こえた。
隣では、アメリアの身体も紅い光に包まれていく。
紅の装甲。
手に現れた魔導パイプ。
「行くわよ、アレクサンダー!」
「うん、イアハート!」
店内へ戻ると、目の前のキャンセラーが警棒を振り下ろしてきた。
腕で受け止める。
ガキン!
強い衝撃が装甲を震わせた。
そのまま相手の腕を払い、床へ叩きつける。
別の男が銃を向けた。
アメリアが横から飛び込み、パイプで銃身を弾き飛ばす。
「店の中で銃を撃つんじゃないわよ!」
紅い残光が走り、男の身体がテーブルへ吹き飛んだ。
次々と敵が押し寄せてくる。
窓から。
裏口から。
屋根を破って。
店内はあっという間にキャンセラーで埋め尽くされた。
僕は飛んできた弾丸を装甲で受け止め、腕を伸ばして相手の警棒を掴む。
魔導回路が警棒へ伝わり、先端が大きく膨らんだ。
それを横薙ぎに振ると、複数のキャンセラーがまとめて吹き飛んでいく。
アメリアは一歩も退かず、パイプを振り回して敵を倒していた。
「ソフィーに近づくな!」
治療室の扉の前へ立ち、通路を塞ぐ。
敵が何人来ても、そこから先へは通さない。
銃弾が装甲へ弾かれ、魔導弾の爆風が店内の壁を揺らす。
それでも、僕とアメリアは戦い続けた。
やがて最後のキャンセラーが床へ倒れた。
荒れ果てた店内に、金属の転がる音だけが残る。
「ソフィーは?」
「無事よ!」
アメリアが治療室の扉を確認する。
僕も扉へ手を触れた。
中から、ソフィーの呼吸が聞こえる。
よかった。
そう思った瞬間、店の外から風が吹き込んできた。
砕けた窓から、白い羽根が舞い込んでくる。
1枚。
また1枚。
羽根は夜空へ吸い上げられるように舞い上がり、店の外へ集まっていった。
「何……?」
アメリアが空を見上げる。
夜の闇を背景に、白い影が浮かんでいた。
白鳥を思わせる美しいドレス。
背中から広がる、大きな白い翼。
月明かりを受けた羽根が淡く輝き、女性の姿をした影がゆっくりと降りてくる。
風にドレスの裾を揺らしながら、その女性は店の前へ舞い降りた。
美しい。
それが、最初に浮かんだ感想だった。
敵だと分かっているはずなのに、目を離せない。
長い髪。
白い肌。
細くしなやかな身体。
その姿は、どこか現実から浮いているようだった。
「誰なの……?」
僕が呟く。
女性は微笑み、アメリアへ視線を向けた。
「アメリア、生まれ変わった私はどう? 美しいでしょう?」
その声を聞いた瞬間、アメリアの身体が固まった。
金色の瞳が見開かれる。
「アンタ……シオなの?」
女性は翼をゆっくりと広げた。
「シオじゃないわ。私はオデット」
その名前を聞いても、すぐには理解できなかった。
目の前にいる女性が、あのシオだなんて信じられない。
ソフィーへ肉を運び、怯えさせないように距離を取っていたシオ。
大きな前足でカップを持てないソフィーのために、僕と一緒にストローを支えてくれたシオ。
オレンジソーダを飲めた時、誰よりも嬉しそうに笑っていたシオ。
そんな姿が頭の中へ浮かんでは消えていく。
「だってシオは、ソフィーのために……」
言葉が続かなかった。
オデットは、優雅に首を傾ける。
「ええ。ソフィーのために、あの子の居場所も、身体の状態も、全部ドレッドへ伝えたわ」
「どうして……」
「ドレッドなら、ソフィーを救えるもの」
「違う!」
僕は叫んだ。
「ドレッドがソフィーをこんな身体にしたんだ!」
「それでも、ドレッドは私を救ってくれた」
オデットは、自分の胸へ手を当てる。
「私は生まれ変わったの。忠誠を誓ったわ。もう、昔の私には戻らない」
アメリアが一歩前へ出た。
「シオ、何でよ……」
声には怒りが込められていた。
けれど、その奥には明らかな動揺がある。
「何であたしたちを裏切ったの? ソフィーに優しくしてたのも、資料を探してたのも、全部嘘だったの?」
オデットの笑顔が崩れる。
「私は生まれ変わったの! 醜いシオはもう死んだのよ!」
「醜いですって……?」
アメリアの拳が震えた。
「シオは、そんなことを言わなかった。あたしの隣にいて、いつも笑ってた。自分のことを嫌いだって言っても、それでもシオのままでいたじゃない!」
「男に戻る必要なんてないわ!」
オデットは翼を広げ、アメリアへ手を差し伸べる。
「アメリア、一緒に来て? 貴女もD因子を受け入れて私と番になりましょう!」
その言葉に、アメリアの表情から怒りが消えた。
代わりに、深い絶望が浮かぶ。
「……あたしは、シオのままがいいって言った」
小さな声だった。
「何度も言った。アンタはアンタのままでいいって。男でも女でも関係ないって」
「もう、そんな言葉はいらないの」
「いるわよ!」
アメリアが叫ぶ。
「アンタがいらないって言っても、あたしには必要だったのよ!」
紅い装甲を纏った拳が、行き場を失ったまま震えている。
攻撃すれば倒せるかもしれない。
けれど、目の前にいるのは、かつて自分を支えてくれた友達だ。
アメリアは怒っていた。
それでも、シオを完全な敵として扱うことができずにいた。
「……どうしてよ」
アメリアの声が掠れる。
「どうして、あたしに何も言わずに消えたの……」
オデットは答えなかった。
ただ、白い翼を広げる。
その姿は美しく、夜空へ溶けていくようだった。
治療室の奥から、ソフィーの唸り声が聞こえる。
オデットは扉へ視線を向けた。
「また迎えに来るわ。ソフィーも、アメリアも」
「待て!」
「せめてもの情けで貴女達の正体は黙っていてあげるわ!」
僕が駆け出す。
しかし、オデットの翼が大きく羽ばたいた。
白い羽根が視界を覆い、強い風が店内へ吹き込む。
次に羽根が舞い上がった時、彼女の姿は夜空の向こうへ消えていた。
アメリアは、しばらく動かなかった。
やがて、握りしめた拳から力が抜けていく。
怒りと絶望に震えながら、彼女は呟いた。
「シオは……シオのままがよかったのに……」




