第42話 醜いアヒルの子
◇
目が覚めた。
けれど、世界がひどく遠く感じる。
視界はぼんやりと霞み、耳へ届く音も薄い膜を隔てたように聞こえた。
白い天井。
消毒液の匂い。
身体を包む患者衣。
ゆっくりと起き上がろうとした時、胸元に違和感を覚えた。
患者衣の内側で、何かが身体に触れている。
今までとは違う感触だった。
恐る恐る腕を動かす。
柔らかい。
腕も指も、以前よりしなやかに動いた。
関節が軽く、指先まで自分の意思がきれいに伝わってくる。
胸が少し苦しい。
息が詰まるような感覚に戸惑いながら、患者衣の隙間から胸元を覗いた。
そこには、ずっと欲しかった谷間があった。
「……」
そっと触れる。
柔らかい。
指先が沈み、触れられている感覚もしっかりと返ってくる。
夢ではない。
幻でもない。
僕の身体は、本当に変わっていた。
視線を上げると、髪が肩まで伸びていることに気づく。
艶のある髪が首筋を滑り、白い肌へかかっていた。
「すごい……」
呟いた声に、自分で驚く。
高く、透き通った声。
もう、以前の僕の声ではなかった。
その時、白衣を着た科学者が部屋へ入ってきた。
手には大きな鏡を抱えている。
「目が覚めたようだね」
科学者は鏡をベッドの前へ置いた。
僕は、いや、私はすぐに見ることができなかった。
怖かったわけではない。
見てしまえば、もう後戻りできない気がした。
それでも、ゆっくりと顔を上げる。
鏡の中に映った自分を、足元から確かめていく。
内股の足。
細く伸びた脚。
くびれのある腰。
患者衣の下で膨らんだ胸。
細い肩。
そして、どこからどう見ても完全に女性になった顔。
目元も、唇も、輪郭も、以前の僕とは違っている。
けれど、鏡の中の瞳だけは、ずっと自分が見てきたものだった。
「僕は……本当に……」
声が震える。
涙が頬を伝った。
女性になったから涙もろくなったのだろうか。
一瞬、そう思った。
けれど、すぐに違うと分かる。
心が喜んでいる。
やっと、本当の自分になれた。
古い自分の殻を脱ぎ捨てて、新しい自分になった。
男のくせに女みたいだと笑われた。
自分でもどうしていいか分からず、鏡を見るたびに目を逸らしていた。
醜いアヒルのようだった僕は、もういない。
今の私は、こんなにも美しい。
ようやく白鳥になれたのだ。
科学者が、穏やかな声で告げる。
「おめでとう。君はD因子に完全に適応した」
私は鏡から目を離せなかった。
「変身は自由に行える。追加のD因子投与も必要ない」
完全に適応した。
その言葉が、胸の奥へ染み込んでいく。
失敗しなかった。
死ななかった。
この身体を、失わずに済んだ。
科学者は続けた。
「オデット。今日から貴女の名前だ」
その名前を、心の中で何度も繰り返す。
オデット。
新しい私の名前。
「はい。ありがとうございます!」
声が弾んだ。
私は自分の身体を両腕で抱きしめる。
細い肩も、柔らかな胸も、長い髪も、全部が私のものだった。
ソフィー、アレックス。
そして私の愛しいアメリア。
待っててね、今この幸せを貴女にも分けてあげるわ!
身体の奥から、震えが込み上げてくる。
私の身体は、歓喜に打ち震えていた。




