第39話 頼れる協力者
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アメリアがシオを連れてきたのは、ソフィーを治療室へ匿ってから数日後の夕方だった。
ロングロングドッグの裏口が開く。
「連れてきたわ」
その後ろから、制服姿のシオが顔を出した。
以前会った時と変わらない、少女のようにも見える整った顔立ち。けれど、ソフィーのことを聞いたのか、いつもの軽い表情は少し硬かった。
「こんにちは、アレックス君。ソフィーさんの様子は?」
「今は落ち着いてるよ。ジムおじさんが検査をしてくれてる」
「それならよかった」
シオは抱えていた袋をテーブルへ置いた。
中から取り出したのは、数本のオレンジソーダと、持ち手のついた大きめのカップ、それから柔らかい素材の長いストローだった。
「ソフィーさん、前にオレンジソーダが好きだって聞いたから」
「ありがとう。でも、どうしてこれを?」
「普通のコップだと、今のソフィーさんは持ちにくいと思って。これなら、誰かが支えてあげれば飲めるかもしれない」
シオは続けて、薄いファイルを取り出した。
「それと、D因子について調べた資料。公開されている医療記事と、過去の治験記録を集めてみた。ほとんどは肝心な部分が削除されていたけど、D因子の投与後に獣化した症例について、いくつか記録が残っていたよ」
ジムおじさんがファイルを受け取り、ページをめくる。
「よく集めたな。普通に調べたら、ここまで見つからんぞ」
「学校の図書室と、公開されている医療データベースを使っただけです。ドレッドについては、名前が消されている記事も多かったけど、治療を受けた施設の所在地がいくつか重なっていました」
「手がかりになるかもしれん」
ジムおじさんの声に、わずかな期待が混じった。
その間、僕はオレンジソーダのボトルを開けた。
シュッ、と小さな音がする。
扉の向こうでソフィーの耳が動いた。
「飲ませてみよう」
僕が治療室へ入ると、ソフィーは身体を起こした。
獣の姿になった彼女は、以前より少し落ち着いている。それでも、知らない人の気配には敏感だった。
僕の後ろにいるシオへ視線を向け、喉の奥で低く唸る。
シオは足を止めた。
「ごめん。急に近づくつもりはないよ」
ソフィーの目を見たまま、ゆっくりと袋からカップを取り出す。
「ここに置いておくね」
シオは床へカップを置き、少し離れた場所まで下がった。
「アレックス君、まずは君から飲ませてあげて」
「うん」
カップへオレンジソーダを注ぎ、長いストローを差し込む。
けれど、ソフィーが前足を伸ばしてカップに触れた瞬間、肉球が滑って中身が揺れた。
「危ない!」
僕が慌ててカップを押さえる。
ソフィーは驚いたように前足を引き、耳を伏せた。
「大丈夫だよ。こぼれてないから」
「カップを固定するものが必要だね」
シオはすぐに店内を見回し、ジムおじさんが使っていた布を見つけた。
それをカップの周りへ巻き、床の上で動かないように押さえる。
「これならソフィーさんが触っても倒れにくいと思う」
僕はソフィーの前へしゃがみ込み、ストローを口元へ近づけた。
「ソフィー、飲める?」
ソフィーは鼻先を動かした。
オレンジの甘い香りに気づいたのか、少しだけ顔を近づける。
けれど、うまくストローを咥えられない。
「もう少し右……そう、そこ」
僕が位置を調整し、シオがカップを押さえる。
ソフィーの唇がストローに触れた。
一瞬、誰も動かなかった。
次の瞬間、ちゅ、と小さな音がした。
オレンジソーダが少しずつ減っていく。
「飲めた」
思わず声が出た。
ソフィーは何度か喉を動かし、ほんの少しだけ顔を上げた。
獣の姿でも、嬉しいのかどうかは分かる。
淡い青色の瞳が、僕とシオの間をゆっくり動いた。
「よかったね、ソフィーさん」
シオが微笑む。
ソフィーはまだ警戒しているようだったが、唸り声はもう出していなかった。
その様子を見ていたアメリアが、治療室の入口から声をかける。
「……あたしも、触っていい?」
ソフィーの耳が再び動いた。
アメリアはいつものように強気な顔をしていたけれど、手は少し緊張している。
「無理に触らなくてもいいわ。嫌なら避けて」
「ソフィー、どうする?」
僕が尋ねると、ソフィーは僕の手に前足を重ねた。
それからアメリアへ顔を向ける。
拒絶している様子はなかった。
アメリアはゆっくりと近づき、頭の上へ手を伸ばす。
指先が毛並みに触れた。
「……柔らかい」
驚いたように呟き、何度か毛を撫でる。
ソフィーは目を細め、アメリアの手へ頭を預けた。
「触らせてくれたわ」
「ソフィーは、アメリアのことも分かってるんだよ」
「そうみたいね」
アメリアは少し照れたように笑った。
シオはそんな2人を見つめ、ほっとしたように息を吐く。
「アメリアが誰かにこんな顔をするの、久しぶりに見た」
「なによ、それ」
「昔から、困っている人を見ると放っておけなかった。でも、助け方が乱暴だったから」
「シオに言われたくないわ」
アメリアが頬を膨らませる。
「昔、私が何をしても空回りしてた時、何も言わずに隣にいてくれたのは誰よ?」
「それは……」
「私が失敗しても、誰かに笑われても、シオは秘密を話さなかった。だから、シオのことは信頼してるの」
アメリアの言葉に、シオは少し目を伏せた。
「友達なら、当たり前だよ」
「その当たり前ができる人は、そう多くないのよ」
その会話を聞きながら、僕はシオを見た。
戦う力があるわけではない。
D因子に関する専門知識があるわけでもない。
それでも、ソフィーのために必要なものを探し、怖がらせない方法を考えて、ここまで来てくれた。
「シオ、これからも協力してくれる?」
僕が尋ねると、彼はすぐに頷いた。
「もちろん。僕にできることなら何でもするよ」
ソフィーがゆっくりと前足を伸ばした。
爪を立てないようにしながら、シオの手の甲へ肉球を触れさせる。
シオは驚いた顔をした。
けれど、すぐに笑った。
「よろしくね、ソフィーさん」
ソフィーは返事の代わりに、小さく喉を鳴らした。
治療室の中に、オレンジソーダの甘い香りと、穏やかな空気が広がっていく。
まだ、元に戻る方法は見つかっていない。
D因子の正体も、ドレッドの目的も分からない。
それでもこの時だけは、ソフィーが怪物ではなく、僕たちの友達としてここにいることを、全員が感じていた。




