第38話 元に戻すためには
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ソフィーをロングロングドッグの治療室へ匿った後、僕はマナリンクからアメリアへ連絡を入れた。
できるだけ急いで来てほしい。
それだけ送って、治療室の扉へ視線を戻す。
扉の向こうには、獣の姿になってしまったソフィーがいる。
白と黒の毛並みに覆われた身体。
鋭い爪。
人間だった頃の面影を残しているのは、長い髪と淡い青色の瞳だけだった。
僕がそばにいる間は落ち着いている。
でも、僕がいなくなったらどうなるのかは分からない。
もし、また誰かを襲ったら。
そんな考えが浮かぶたび、胸の奥が冷たくなった。
「アレックス!」
裏口の扉が開き、アメリアが駆け込んできた。
制服の上に簡素な上着を羽織っている。急いで来たのか、赤い髪が少し乱れていた。
「ソフィーは?」
「治療室にいる。今は落ち着いてるよ」
「無事なの?」
「僕が呼びかけたら、爪を止めてくれた」
アメリアの表情がわずかに緩む。
けれど、安心したというより、まだ判断を保留しているような顔だった。
僕とアメリアは、店の奥にある小さなテーブルを挟んで向かい合った。
ジムおじさんも手を止め、僕たちの話を聞くために椅子へ腰を下ろす。
「廃工場で、ソフィーに襲われた」
僕は、あの時のことを順番に話した。
2階から飛びかかってきたこと。
押し倒され、喉元へ爪を振り下ろされたこと。
僕が名前を呼ぶと、ソフィーの爪が止まったこと。
その後、蒼銀騎士の姿を解いて、僕の正体を見せたこと。
「僕のこと、分かってくれたんだ」
話しながら、あの時のソフィーの瞳を思い出す。
獣の顔をしていても、そこには確かに彼女の心が残っていた。
「だから、きっと元に戻れる」
僕がそう言うと、アメリアはすぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……分かってくれた可能性はあるわ。でも、それだけで安心するのは早いと思う」
「どうして?」
「ラクーンのことを忘れたの? ソフィーは自分の意思でやったわけじゃない。でも、実際に傷つけたのは事実よ」
「ソフィーはやりたくてやったわけじゃ…」
「分かってるわよ」
アメリアの声が少し強くなる。
「でも、次に誰かを襲わないって保証はない。アンタが近くにいても、状況によっては止められないかもしれない」
「ソフィーを危険な怪人みたいに言わないで!」
思わず声が荒くなった。
「彼女は怪人じゃない。病気を治すために、ドレッドの治療を受けただけなんだ。元に戻れないまま苦しんでる。そんなソフィーを、危険だからって見捨てるの?」
「見捨てるなんて言ってないでしょ!」
アメリアが立ち上がり、椅子の脚が床を擦った。
「助けたいから言ってるのよ。もしアンタが無茶して、ソフィーに襲われたらどうするの? もし店の人や他の誰かが巻き込まれたら?」
「じゃあ、どうすればいいの…」
喉の奥が熱くなった。
ソフィーをここへ連れてきたのは僕だ。
助けると決めたのも僕だ。
それなのに、何もできないまま危険性だけを並べられると、逃げ道を塞がれていくような気がした。
「落ち着け、2人とも」
低い声が間に入った。
ジムおじさんは、僕たちを交互に見ていた。
「ソフィーを危険な怪人として扱う必要はない。だが、何も考えずに匿い続けるのも危険だ」
アメリアが椅子へ座り直す。
僕も拳を握ったまま、黙っておじさんを見る。
「助ける方法を探す。そのためにも、まずはあの子の身体を調べなきゃならん」
「調べれば、元に戻せるの?」
「分からん」
ジムおじさんは、迷いなく答えた。
「身体の状態を診ることはできる。D因子がどこまで変化を引き起こしているかも、ある程度は確認できるだろう」
「じゃあ……」
「だが、D因子を元に戻す方法を知っているわけじゃない。俺が扱ってきたのは、普通の病気や怪我だ。あんなものを人間の身体に移植した連中とは、専門が違う」
その言葉に、期待が少しだけ沈んだ。
それでも、完全に消えたわけではない。
「手がかりはある」
おじさんは続けた。
「ソフィーは治療を受ける前、重い心臓病だった。D因子によって病気は治ったが、完全には適合しなかった。そのために定期的な接種が必要になったんだろう?」
「D因子を止める薬があれば?」
アメリアが尋ねる。
「可能性はある。だが、それがソフィーに安全かどうかは分からん。薬の成分も、投与量も、どんな副作用があるかも不明だ」
「ドレッドに聞くしかないってこと?」
「それが一番早いだろうな」
ジムおじさんは苦い顔をした。
「だが、奴らが素直に教えるとは思えん。記録や治療施設を探す必要がある。ドレッドがどこでD因子を作り、誰に投与しているのか。そこから調べるしかない」
「僕も手伝う」
「分かってる」
おじさんは僕を見て、少しだけ表情を和らげた。
「だが、ソフィーのそばにいる時は、絶対に無理をするな。友達だからこそ、冷静に見てやるんだ」
「……うん」
アメリアも黙って頷いた。
話が一段落すると、彼女は治療室の扉へ目を向けた。
「ソフィーに会ってくる」
「大丈夫かな」
「大丈夫にするのよ」
アメリアはそう言って扉を開けた。
治療室の奥で、ソフィーが身体を起こす。
大きな耳が動き、淡い青色の瞳がアメリアへ向いた。
次の瞬間、喉の奥から低い唸り声が響いた。
「……っ」
アメリアが足を止める。
ソフィーの背中の毛が逆立ち、前足の爪が床を引っ掻いた。
僕は急いでソフィーの隣へしゃがみ込む。
「大丈夫だよ。アメリアは敵じゃない」
肉球のついた前足へ手を添える。
ソフィーは僕を見て、それからアメリアへ視線を戻した。
唸り声は消えない。
けれど、飛びかかろうとはしなかった。
アメリアは武器を持っていなかった。
ゆっくりと両手を見せ、ソフィーから距離を取ったまま話しかける。
「ソフィー。あたしはアメリア」
ソフィーの耳がわずかに動く。
「アンタのことを怖がってるわけじゃないわ。……正直に言うと、少し怖いけど」
アメリアは、僕の方を一度見た。
「それでも、アレックスが助けるって決めたなら、あたしも手伝う」
ソフィーの呼吸が少しずつゆっくりになる。
大きな身体から力が抜け、前足が床に落ちた。
「分かってくれたのかな」
「たぶんね」
アメリアは小さく息を吐いた。
それから、ソフィーへ向けて静かに続ける。
「だから、もう誰かを傷つけないで。あたしも、アンタを傷つけたくない」
ソフィーは答えなかった。
ただ、僕の手を握るように前足へ力を込めた。
その様子を見たアメリアの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「……ちゃんと聞いてるみたいね」
「うん。ソフィーは、ソフィーだよ」
まだ元には戻っていない。
治す方法も見つかっていない。
それでも、ここにいるソフィーを誰も見捨てない。
そのことだけは、はっきりしていた。




