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第38話 元に戻すためには

◇


ソフィーをロングロングドッグの治療室へ匿った後、僕はマナリンクからアメリアへ連絡を入れた。


できるだけ急いで来てほしい。


それだけ送って、治療室の扉へ視線を戻す。


扉の向こうには、獣の姿になってしまったソフィーがいる。


白と黒の毛並みに覆われた身体。


鋭い爪。


人間だった頃の面影を残しているのは、長い髪と淡い青色の瞳だけだった。


僕がそばにいる間は落ち着いている。


でも、僕がいなくなったらどうなるのかは分からない。


もし、また誰かを襲ったら。


そんな考えが浮かぶたび、胸の奥が冷たくなった。


「アレックス!」


裏口の扉が開き、アメリアが駆け込んできた。


制服の上に簡素な上着を羽織っている。急いで来たのか、赤い髪が少し乱れていた。


「ソフィーは?」


「治療室にいる。今は落ち着いてるよ」


「無事なの?」


「僕が呼びかけたら、爪を止めてくれた」


アメリアの表情がわずかに緩む。


けれど、安心したというより、まだ判断を保留しているような顔だった。


僕とアメリアは、店の奥にある小さなテーブルを挟んで向かい合った。


ジムおじさんも手を止め、僕たちの話を聞くために椅子へ腰を下ろす。


「廃工場で、ソフィーに襲われた」


僕は、あの時のことを順番に話した。


2階から飛びかかってきたこと。


押し倒され、喉元へ爪を振り下ろされたこと。


僕が名前を呼ぶと、ソフィーの爪が止まったこと。


その後、蒼銀騎士の姿を解いて、僕の正体を見せたこと。


「僕のこと、分かってくれたんだ」


話しながら、あの時のソフィーの瞳を思い出す。


獣の顔をしていても、そこには確かに彼女の心が残っていた。


「だから、きっと元に戻れる」


僕がそう言うと、アメリアはすぐには答えなかった。


やがて、静かに口を開く。


「……分かってくれた可能性はあるわ。でも、それだけで安心するのは早いと思う」


「どうして?」


「ラクーンのことを忘れたの? ソフィーは自分の意思でやったわけじゃない。でも、実際に傷つけたのは事実よ」


「ソフィーはやりたくてやったわけじゃ…」


「分かってるわよ」


アメリアの声が少し強くなる。


「でも、次に誰かを襲わないって保証はない。アンタが近くにいても、状況によっては止められないかもしれない」


「ソフィーを危険な怪人みたいに言わないで!」


思わず声が荒くなった。


「彼女は怪人じゃない。病気を治すために、ドレッドの治療を受けただけなんだ。元に戻れないまま苦しんでる。そんなソフィーを、危険だからって見捨てるの?」


「見捨てるなんて言ってないでしょ!」


アメリアが立ち上がり、椅子の脚が床を擦った。


「助けたいから言ってるのよ。もしアンタが無茶して、ソフィーに襲われたらどうするの? もし店の人や他の誰かが巻き込まれたら?」


「じゃあ、どうすればいいの…」


喉の奥が熱くなった。


ソフィーをここへ連れてきたのは僕だ。


助けると決めたのも僕だ。


それなのに、何もできないまま危険性だけを並べられると、逃げ道を塞がれていくような気がした。


「落ち着け、2人とも」


低い声が間に入った。


ジムおじさんは、僕たちを交互に見ていた。


「ソフィーを危険な怪人として扱う必要はない。だが、何も考えずに匿い続けるのも危険だ」


アメリアが椅子へ座り直す。


僕も拳を握ったまま、黙っておじさんを見る。


「助ける方法を探す。そのためにも、まずはあの子の身体を調べなきゃならん」


「調べれば、元に戻せるの?」


「分からん」


ジムおじさんは、迷いなく答えた。


「身体の状態を診ることはできる。D因子がどこまで変化を引き起こしているかも、ある程度は確認できるだろう」


「じゃあ……」


「だが、D因子を元に戻す方法を知っているわけじゃない。俺が扱ってきたのは、普通の病気や怪我だ。あんなものを人間の身体に移植した連中とは、専門が違う」


その言葉に、期待が少しだけ沈んだ。


それでも、完全に消えたわけではない。


「手がかりはある」


おじさんは続けた。


「ソフィーは治療を受ける前、重い心臓病だった。D因子によって病気は治ったが、完全には適合しなかった。そのために定期的な接種が必要になったんだろう?」


「D因子を止める薬があれば?」


アメリアが尋ねる。


「可能性はある。だが、それがソフィーに安全かどうかは分からん。薬の成分も、投与量も、どんな副作用があるかも不明だ」


「ドレッドに聞くしかないってこと?」


「それが一番早いだろうな」


ジムおじさんは苦い顔をした。


「だが、奴らが素直に教えるとは思えん。記録や治療施設を探す必要がある。ドレッドがどこでD因子を作り、誰に投与しているのか。そこから調べるしかない」


「僕も手伝う」


「分かってる」


おじさんは僕を見て、少しだけ表情を和らげた。


「だが、ソフィーのそばにいる時は、絶対に無理をするな。友達だからこそ、冷静に見てやるんだ」


「……うん」


アメリアも黙って頷いた。


話が一段落すると、彼女は治療室の扉へ目を向けた。


「ソフィーに会ってくる」


「大丈夫かな」


「大丈夫にするのよ」


アメリアはそう言って扉を開けた。


治療室の奥で、ソフィーが身体を起こす。


大きな耳が動き、淡い青色の瞳がアメリアへ向いた。


次の瞬間、喉の奥から低い唸り声が響いた。


「……っ」


アメリアが足を止める。


ソフィーの背中の毛が逆立ち、前足の爪が床を引っ掻いた。


僕は急いでソフィーの隣へしゃがみ込む。


「大丈夫だよ。アメリアは敵じゃない」


肉球のついた前足へ手を添える。


ソフィーは僕を見て、それからアメリアへ視線を戻した。


唸り声は消えない。


けれど、飛びかかろうとはしなかった。


アメリアは武器を持っていなかった。


ゆっくりと両手を見せ、ソフィーから距離を取ったまま話しかける。


「ソフィー。あたしはアメリア」


ソフィーの耳がわずかに動く。


「アンタのことを怖がってるわけじゃないわ。……正直に言うと、少し怖いけど」


アメリアは、僕の方を一度見た。


「それでも、アレックスが助けるって決めたなら、あたしも手伝う」


ソフィーの呼吸が少しずつゆっくりになる。


大きな身体から力が抜け、前足が床に落ちた。


「分かってくれたのかな」


「たぶんね」


アメリアは小さく息を吐いた。


それから、ソフィーへ向けて静かに続ける。


「だから、もう誰かを傷つけないで。あたしも、アンタを傷つけたくない」


ソフィーは答えなかった。


ただ、僕の手を握るように前足へ力を込めた。


その様子を見たアメリアの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「……ちゃんと聞いてるみたいね」


「うん。ソフィーは、ソフィーだよ」


まだ元には戻っていない。


治す方法も見つかっていない。


それでも、ここにいるソフィーを誰も見捨てない。


そのことだけは、はっきりしていた。

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