第37話 分かり合う事が出来る
廃工場の中へ、魔導二輪の音が響いた。
ブォォン……。
広い空間に反響したエンジン音が、錆びた鉄骨の間を何度も跳ね返っていく。
「誰か! 誰かいない!」
蒼銀騎士の姿のまま、魔導二輪を降りる。
返事はない。
聞こえるのは、どこかで水が落ちる音と、壊れた配管から漏れる蒸気の音だけだった。
床には割れた魔導器や、崩れた木箱が散らばっている。薄暗い工場の奥へ進みながら、ソフィーの姿を探した。
その時だった。
頭上で、金属が軋んだ。
「――え?」
2階の手すりから、白い影が飛び降りてくる。
避ける暇もなかった。
背中から床へ叩きつけられ、装甲がコンクリートを削る。次の瞬間には、巨大な身体に押さえつけられていた。
胸の上に乗られ、身動きが取れない。
白い毛に覆われた前脚が、僕の腕を押さえつけている。
顔を上げると、そこにいたのはソフィーだった。
けれど、僕が知っているソフィーとは、もう違っていた。
服はほとんど破れさり、身体の隅々まで白と黒の毛並みに覆われている。両腕は獣の前脚に変わり、黒い爪が月明かりを鈍く反射していた。
頭には白虎の耳。
頬には濃い縞模様。
口元からは鋭い牙が覗いている。
長く流れる白銀の髪と、淡い青色の瞳だけが、ソフィーの面影を残していた。
まるで人間の姿を捨てた、ウェアタイガー。
腕を上げる。
爪が、僕の喉元へ向かって振り下ろされた。
「や、やめてソフィー!」
ぐるるるる……。
低い唸り声が、工場の中に響く。
声が届いていない。
ソフィーの瞳は僕を見ているのに、その奥に理性の光はなかった。
爪先が喉に触れる。
冷たい。
あと少しでも動けば、装甲ごと首を切り裂かれる。
「ソフィー!」
叫び声が、瓦礫の積もった工場内へ響き渡った。
爪が、ぴたりと止まった。
獣の腕が小さく震えている。
「僕だよ」
怖かった。
でも、ここで目を逸らしたら、本当にソフィーを失ってしまう気がした。
「アレックスだ」
胸の中央で、蒼い魔導機関が明滅する。
装甲の隙間を走っていた魔導回路が、1本ずつ光を失っていった。
「こんなに変わっちゃったけど……」
僕の身体が内側へ折りたたまれていく。
白銀の装甲が音を立てて収縮し、肩や腕を覆っていた機械が胸の奥へ吸い込まれていく。長かった脚は縮み、重い装甲が消えるたびに身体の位置が低くなっていった。
視界が急に近くなる。
青年の顔立ちだった輪郭が、少しずつ元の幼い形へ戻っていく。青い魔導回路は胸の中心へ集まり、最後に小さな光を残して消えた。
気がついた時には、いつもの小さな身体に戻っていた。
そのまま、ソフィーに馬乗りにされている。
「ぐっ……重い……」
人間の身体に戻ったせいで、胸が押しつぶされるように苦しかった。
ソフィーの瞳が激しく動く。
僕の顔を見つめ、何かを思い出そうとしているみたいだった。
「……ソフィー、ごめん」
声が震えた。
「君の事、何もわかってあげられなかった」
ソフィーの爪が、僕の頬のすぐ横で震えている。
「それに、僕も隠し事をしてた」
自分が蒼銀騎士であること。
心臓に魔導インプラントが刺さっていること。
全部、話せなかった。
「たとえお互い、どんなに姿が変わっても……僕たちは分かりあえる」
アニメの言葉を借りた。
でも、今の僕には、それしか言えなかった。
「だから……だからまた一緒にオレンジソーダ飲もうよ」
ソフィーの瞳から、涙が落ちた。
僕の涙じゃない。
白い毛並みを伝って、頬へ落ちたソフィーの涙だった。
「ぐる……ア……レク……」
喉が潰れたような声。
それでも、僕の名前を呼んでくれた。
「……帰ろう」
ゆっくりと手を伸ばす。
「きっとソフィーを治せる方法を見つけてみせる」
返事はなかった。
けれど、ソフィーはもう爪を振り下ろさなかった。
僕は、柔らかな毛並みに包まれたソフィーを、ゆっくりと抱きしめた。
◇
ロングロングドッグの裏口が開いた。
ジムおじさんは、僕の隣にいるソフィーを見て、一瞬だけ言葉を失った。
白と黒の毛並み。
鋭い爪。
大きな獣の身体。
初めて見た人なら、彼女を怪物だと思ってしまうかもしれない。
でも、淡い青色の瞳には、ソフィーの面影が残っていた。
「……この子が、ソフィーか」
「うん」
喉の奥が詰まりそうになる。
「お願い、おじさん。ここで匿ってください」
ジムおじさんはソフィーを見つめ、それから店の奥へ視線を向けた。
「表から見られたら騒ぎになる。裏の治療室を使え」
「ありがとうございます」
ソフィーは警戒したように身体を低くした。
牙を見せ、喉の奥で小さく唸る。
ジムおじさんが近づこうとすると、反射的に前脚へ力が入った。
「無理に触るな。今はまだ怯えてる」
「でも……」
「お前がそばにいれば落ち着くんだろ?」
その言葉に、ソフィーの瞳が僕へ向いた。
僕は彼女の前にしゃがみ込む。
大きな身体。
獣の顔。
それでも、ソフィーだ。
「大丈夫だよ」
肉球のついた前足へ、そっと手を伸ばす。
一瞬だけ、爪がこちらを向いた。
けれど、ソフィーは動かなかった。
柔らかな毛の下にある前足を、両手で包む。
「必ず元に戻すから」
小さな肉球が、僕の手の中でかすかに震えた。
それから、ゆっくりと力が抜けていく。
荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていった。
唸り声も消え、ソフィーは僕の手を握り返すように前足へ力を込める。
「そうだよ。ここにいていいんだ」
言葉が通じているのかは分からない。
それでも、ソフィーはもう怯えていなかった。
ジムおじさんが治療室の扉を開ける。
「しばらくは誰にも見つからないようにする。だが、いつまでも隠し続けられるわけじゃないぞ」
「分かっています」
ソフィーと一緒に、店の奥へ入っていく。
外では、いつも通り営業中の明かりが灯っていた。
焼けたパンと肉の匂い。
食器の触れ合う音。
そんな日常のすぐ裏側で、僕たちは獣になってしまった友達を匿っている。
それでも今は、ソフィーが落ち着いてくれたことだけで十分だった。
握った前足から伝わる温もりを、離さないようにする。
必ず元に戻す。
ソフィーを、もう一度元のソフィーに戻してみせる。




