第35話 裏情報とソフィー
「で? 何が知りたいんだい?」
マグナムちゃんは煙の向こうで身を屈め、両肘を膝に置いていた。サングラスの奥の視線は、いつもの明るい店長のものではない。
「友達のソフィーの居場所を知りたいんです」
「本来なら情報料を頂くんだけどねぇ。ジェードが世話になったから、今回は特別さ」
ゲームのフィギュアを渡しただけのつもりだった。それでジャンヌの棚が埋まり、店を無料で使わせてもらえるようになった。世話になったのは、むしろ僕の方だ。
マグナムちゃんはサングラスを直した。
「ソフィア・コシュキナは、重い心臓病の治療のためにイスカティアへ来た」
ソフィーの笑顔が浮かぶ。
「ドレッドの治療を受け、D因子を移植した。適合はしたが、完全じゃなかった」
「完全には……?」
「定期的にD因子を追加接種しないと、衰弱して死んじまう身体になったのさ」
喉が詰まった。
オーブパークでラクーンが言っていた。薬がなければ死ぬ。命令に従わなければ、元に戻る薬も、生きるためのD因子も与えられない。
「ラクーンが言っていたことと同じだ……」
「ああ。あの子も、似た事情だったんだろうねぇ」
マグナムちゃんがシガーを叩く。灰が落ちた。
「D因子は肉体を完全な状態に戻す。病気を治し、失った手足さえ再生させる。その代わり、負の感情がキャパを超えると、身体が化け物に変わるのさ」
白い毛に覆われた手。虎の耳。氷をまとった爪。
「それも、直接見た」
胸の奥が締めつけられる。
ソフィーは病気を治すためにD因子を受け入れた。元気になり、学校へ通い、バスケットボールも楽しめるようになった。
だが、その代償として、薬を得るために誰かを傷つけなければならない。
「ソフィーは、自分から怪人になりたかったわけじゃない」
「ああ。あの子に限った話じゃないさ」
マグナムちゃんの声が低くなる。
「治りたい。普通に歩きたい。もう一度、誰かと笑いたい。そんな願いを利用されたんだよ」
フェアリーテールでの会話を思い出す。
注射は怖くない。
怖かったのは針ではない。打たなければ生きられないこと。打つために誰かを傷つけること。そして、その事実を誰にも話せないことだったのかもしれない。
「ソフィアは現在、下層の廃工場に潜伏していると思われる」
「下層……」
犯罪が多く、建物も荒れたイスカティアの下層。昼間でも薄暗く、子供が近づいてはいけない場所だと聞かされてきた。明るい街から切り離された所。
「そこにソフィーが?」
「確実な情報じゃない。だが、D因子の適合者が隠れるには都合がいい」
「行きます」
考えるより先に答えていた。
「ありがとうございます。行ってきます」
扉へ向かうと、マグナムちゃんが呼び止めた。
「待ちな。1人で行く気かい?」
「1人で行かないと、ソフィーが警戒すると思うんです」
アメリアや治安維持部隊を連れていけば、ソフィーは逃げるかもしれない。怪人として扱われると思い、さらに遠くへ行ってしまうかもしれない。
僕は戦いに行くんじゃない。
ソフィーと話しに行くんだ。
「そうかい。なら、裏手の自転車を使いな。下層は遠いよ」
「お借りします」
隠し部屋を出ると、裏口へ続く狭い通路に古びた自転車が置かれていた。塗装は剥がれ、前かごも歪んでいるが、タイヤには空気が入っている。
「ジェードが昔使ってた奴さ」
「これ、使っていいんですか?」
自転車にまたがろうとしたとき、ふと思った。
「ところで、なんでそんなに詳しいの?」
「知らない方がいいこともあるんだよ、アレクサンダー」
えっ…
「僕のことまで……」
「長く店をやっていると、いろいろなものが見えるのさ」
それ以上、マグナムちゃんは答えなかった。煙の向こうで、サングラスだけが光っている。
僕はペダルを踏み込んだ。
古い車体が軋みながら動き出す。裏通りを抜けると、ネオンに照らされた上層の街が広がった。飛空艇の影が道路を横切り、その先には下層へ続く長い降下路がある。
ソフィーが待っているかもしれない。
まだ、僕の声が届くかもしれない。
その可能性を信じ、僕は下層へ向かって自転車を走らせた。
◇
「はぁ……はぁ……」
ペダルを踏む足が、もう限界に近かった。
上層から下層へ続く降下路は、想像していたよりもずっと長い。坂道を下っているのに、自転車は思うように進まなかった。
「下層は遠いよ」と言っていたマグナムちゃんの言葉は、本当だった。
背中に汗が流れる。
息を整えようとしたとき、隣の車道を魔導二輪車が走り抜けていった。
車体の後部から青白い魔導光を噴き出す。
ブォンッ!
低い駆動音を響かせ、魔導二輪車は一気に加速した。瞬く間に前方へ遠ざかり、次の角を曲がったころには、もう姿が見えない。
「……僕も、魔導器付きの車両に乗れればな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
そこで、頭の中に1つの考えが浮かぶ。
魔導器付きの車両が欲しいなら、自分で作ればいい。
周囲を見回す。
人の姿はない。表通りから外れた裏路地には、古い配管と積み上げられた木箱が並び、遠くの喧騒も壁に遮られていた。
ここなら、誰かに見られる心配はなさそうだ。
自転車を路地の端へ置く。
胸の奥へ意識を向けると、蒼白い光が全身を包み込んだ。服が装甲へ変わり、手足が機械の身体へ置き換わっていく。
蒼銀の騎士、アレクサンダーへ変身する。
自転車のハンドルへ手を触れた。
「魔導二輪車……魔導器付きの車両……」
頭の中で形を思い浮かべる。
もっと大きく。
もっと速く。
坂道でも、下層まで一気に走れる乗り物。
蒼い魔導回路が腕から自転車へ伝わった。
車輪が軋む。
フレームが伸びる。
細かったタイヤが膨らみ、太くなる。前輪と後輪をつないでいた骨組みは、鋭い曲線を描く外装へ変わっていく。
ハンドルの横には、右手で握れる小さなレバーが生えた。
座席も広がり、後輪の周囲には魔導機関が組み込まれていく。
ブォォォン!
車体の奥から、力強い駆動音が響いた。
振動が路地の地面を震わせる。
見た目は、魔導二輪車そのものだった。
「アクセル付き。イメージどおりだ」
右手でレバーを握る。
「……免許、持ってないけど」
正規の魔導二輪車なら、乗るために免許が必要だ。けれど、これはもともと自転車だった。
「これは自転車だし、いいよね?」
誰もいない路地に、確認する相手のいない言い訳が落ちた。
車体にまたがる。
足を地面につけ、ゆっくりとレバーを回した。
ブォンッ!
次の瞬間、車体が跳ねるように前へ飛び出した。
「うわっ!」
慌ててハンドルを切る。
タイヤが地面を擦り、車体が左右に揺れた。壁が一気に迫る。反射的にレバーを戻すと、魔導二輪車は急減速し、ぎりぎりで止まった。
「は、速すぎる……!」
呼吸を整える。
もう一度、今度は慎重にレバーを回した。
ブォン……。
ゆっくり進む。
ハンドルを向ければ曲がる。レバーを回せば加速する。身体を傾ければ、車体は滑るように向きを変えた。
少しずつ速度を上げる。
ブォンッ!
さらに回す。
ブォォンッ!
車体が路地を駆ける。
「すごい!」
裏路地から道路へ飛び出した。
風が装甲の横を叩く。建物の壁が、視界の端から後方へ弾けるように流れていく。
「速い!」
ペダルを踏む必要はない。
坂道を下る勢いに任せる必要もない。
レバーを回す。
魔導機関が唸る。
車体が前へ跳ぶ。
一瞬で速度が乗り、遠くに見えていた車両が次々と後ろへ流れていった。
前方の道が、細い線になる。
「もっと……!」
右手に力を込める。
ブォォォォン!
魔導光が後方へ噴き出した。
車体がさらに加速する。風圧が強まり、装甲の表面を叩く。曲がり角が迫る。ハンドルを切る。
車体が傾く。
路面すれすれを滑り、角を抜けた。
「うわああっ!」
叫び声が風にちぎれる。
下層へ続く降下路が、目の前に長く伸びていた。
魔導二輪車は坂を駆け下りる。いや、落ちていくようだった。
高架の柱が左右から迫り、次々と後方へ消える。上層のネオンが背後へ遠ざかり、煤けた外壁と薄暗い影が前方へ押し寄せてくる。
「止まらない……!」
レバーを戻しても、車体は勢いを失わない。
魔導機関が唸る。
タイヤが路面を噛む。
蒼い光が道路を裂く。
「……ちょっと楽しい!」
思わず声が弾んだ。
胸の奥に重く残っていた不安が、風に削られていく。恐怖さえも、速度の中へ溶けていった。
けれど、同時に別の感覚もあった。
免許を持っていない。
勝手に自転車を改造した。
公道を魔導二輪車のような速度で走っている。
いけないことをしている気がする。
その感覚が、さらにスリルを加速させた。
「大丈夫。元は自転車だから!」
誰に言うでもなく、もう1度自分へ言い聞かせる。
魔導機関の音が、下層の建物の間に響き渡る。
ブォォォン!
車体は減速しない。
下層が近づく。
この先に、ソフィーがいる。
まだ話せるかもしれない。
あのとき届かなかった声を、今度こそ届ける。
ハンドルを握る手に力を込めた。
「待ってて! ソフィー!」
魔導二輪車は蒼い光を引き裂きながら、下層へ続く道路を駆け抜けていった。




