第33話 紅い赤い顔
◇
翌朝。
目を覚ますと、最初に脇腹の状態を確かめた。
昨夜、マッドハッターの帽子に切り裂かれた場所。装甲には大きな亀裂が走り、内部の機構まで露出していたはずだ。
恐る恐る手を当てる。
硬い装甲の表面に、継ぎ目はなかった。
身体を起こし、寝台の脇に置かれた鏡を見る。
白銀の装甲は、傷がつく前と同じ姿へ戻っている。脇腹だけではなく、細かな擦り傷もすべて消えていた。
「……塞がってる」
ジムおじさんが、診察道具を片付けながら頷いた。
「完全に修復したみたいだな。これなら、変身を解いても問題ないだろう」
「本当に?」
「念のため、ゆっくり戻れよ」
胸の奥へ意識を向ける。
白銀の装甲が蒼い光へ変わり、身体の内側へ吸い込まれていく。機械の手が人間の手へ戻り、視界の高さが下がった。
いつもの服が、肌に触れる。
痛みはなかった。
急いでシャツをめくる。
昨夜は触れるだけでも痛かった脇腹に、傷跡すら残っていない。どこにも裂けていなかった。
「……よかった」
息が抜けた。
もし傷が残っていたら、両親に何と言えばいいのか分からなかった。転んだと言い訳するには、あまりにも不自然だ。
「心配させやがって」
ジムおじさんは、ぶっきらぼうに言いながらも、顔には安堵が浮かんでいた。
そのとき、店の入口からベルの音が響く。
「おはよう!」
聞き慣れた声に振り返ると、アメリアが駆け込んできた。
「アレックス!」
僕の姿を確認した瞬間、肩の力が抜ける。
「傷は? 血は出てない?」
「うん。もう何ともないよ」
シャツをめくって脇腹を見せると、アメリアは傷跡がないことを確かめた。
「……よかった」
胸を撫で下ろす仕草が、変身中のイアハートとは別人みたいだった。
「心配かけてごめんね」
「別に……謝ることじゃないわ」
そう言いながら、アメリアは僕から目を逸らした。
「もう無茶しないでね」
「努力する」
「努力じゃなくて、ちゃんと守りなさいよ」
「はい」
いつもの調子に戻ったように見えたけれど、目の奥にはまだ不安が残っている。
しばらく沈黙が続いた。
ジムおじさんがカウンターの奥へ戻ったところで、アメリアが声を落とす。
「私、ラグナロクに頼んだの」
「何を?」
「新しいプロテウスを追加で用意してもらうように」
思わず、聞き返した。
「追加で?」
「マッドハッターに対抗するには、今のままじゃ足りない。あいつは私たちの動きを全部見切っていたでしょう?」
アメリアの指が、胸元へ触れる。
「新しいプロテウスを使えば、もっと強くなれるかもしれない。変身の出力も、武器の扱いも」
「けど、また心臓に入れるときに痛むんでしょ?」
「恐らくね」
即答だった。
あのとき、プロテウスが胸へ突き刺さった時を思い出す。身体の中へ異物が入り込む感覚は、思い出すだけで胸が重くなった。
「怖くないの?」
アメリアは少しだけ考えてから、首を横に振った。
「痛みは怖くないわ」
その言葉が出た瞬間、胸が詰まった。
アメリアは続ける。
「痛いことより、何も守れないことの方が怖い。誰かを傷つけてしまう方が、ずっと怖いわ」
オーブパークで見た光景が蘇る。
ラクーンの伸ばした手。
凍りついた身体。
涙を流しながら、爪を振り下ろしたソフィー。
「……アメリアは強いね」
思ったまま口にした。
「僕、憧れるよ」
「な、なに急に……」
アメリアの頬が赤くなる。
「褒めないでよ。調子が狂うじゃない!」
「本当のことだよ」
「もうっ!」
アメリアは顔を背けた。
けれど、耳まで赤くなっている。
ジムおじさんが、カウンターの向こうから口を挟んだ。
「褒められ慣れてないんだな」
「おじさんは黙ってて!」
「はいはい」
少しだけ、空気が軽くなった。
ソフィーのことを考えれば、何も解決していない。ラクーンが生きているのかも分からない。マッドハッターは、また僕たちの前に現れるだろう。
それでも、隣にアメリアがいる。
それだけで、昨日よりは立っていられる気がした。
◇
家へ戻ると、玄関を開けた瞬間にキュナが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、アレクお坊ちゃま」
笑顔なのに、声が少し低い。
嫌な予感がした。
「ただいま……」
「まず、連絡が遅れたことについて1時間です」
「1時間?」
「はい。次に、外泊先を詳しく伝えなかったことについて20分。さらに、心配しないでと書きながら、朝まで帰ってこなかったことについて30分です」
「増えてる……」
キュナは僕をソファへ座らせ、その隣にきちんと腰を下ろした。
そして、昨日の夜にどれだけ心配したのかを、順番に説明し始めた。
夕食が冷めたこと。
何度もマナリンクを確認したこと。
ジムおじさまの店にいると分かってからも、怪我をしているのではないかと考えていたこと。
「キュナは、アレクお坊ちゃまが無事なら、それでいいんです。でも、心配をかけてほしいわけではありません!」
「はい……」
「分かりましたか?」
「分かりました」
「本当に?」
「本当に」
「では、今後は外泊するとき、もっと早く連絡してください」
「はい」
ようやく説教が終わったとき、時計の針は大きく進んでいた。
キュナは満足そうに頷くと、すぐに台所へ向かった。
「朝食を温め直しますね!」
「説教の後に朝食なんだ……」
「お腹が空いているでしょう?」
図星だった。
「……うん」
キュナは鼻歌を歌いながら、鍋を火にかけた。
僕はソファへ沈み込み、昨日の夜より少しだけ明るい窓の外を眺めた。




