第32話 夜の帷と深夜のアニメ
「やはり、今戻ると血が噴き出すだろうな」
ジムおじさんは、僕の脇腹を確かめながら言った。
裂けた装甲の縁を、照明が照らしている。さっきまで痛くてまともに見られなかった傷を、おそるおそるのぞき込んだ。
「ただ、少しずつ塞がってきてる」
「……これ、治ってるの?」
「ああ。肉体の傷が治るみたいにな。待てば、傷を残さずに元へ戻れるかもしれん」
おじさんは道具を置き、寝台の脇へ椅子を寄せた。
「今夜はここにいろ。何かあっても、すぐに診られる」
「……ありがとうございます」
帰れないと分かると、急にキュナの顔が浮かんだ。
夕食を用意して待っているかもしれない。
今度はちゃんと連絡するって、約束したのに。
体内に取り込まれたマナリンクを意識する。視界の隅に連絡先が開き、キュナの名前を選ぶと、見慣れたメッセージ画面が現れた。
『ごめん。今日は帰れなくなった。知り合いのところに泊めてもらうから、心配しないで』
少し迷ってから、送信した。
嘘ばかりではない。
でも、肝心なところは何も伝えられていなかった。
◇
閉店したダイナーは、昼間とは違う場所みたいだった。
客席から話し声が消え、食器の触れ合う音もしない。裏の部屋にまで届いていた料理の匂いも、今は薄くなっている。
寝台に横になると、金属の身体を受け止めた脚が小さく軋んだ。
脇腹に響かない姿勢を探し、天井を見る。
眠くならない。
この身体だからだろうか。
それとも、ただ眠れないだけなのか。
目を閉じても、ラクーンの伸ばした手が見えた。
ソフィーの爪。
頬で凍った涙。
それから、地面に落ちた歪な大剣。
考えるのをやめようとするたび、どれかが浮かんでくる。
視界に、通知が灯った。
キュナからだった。
『泊まるなら、もっと早く連絡してください! 夕食、作っちゃいましたよ!』
続けて、もう1通。
『どちらに泊まるんですか? 着替えはありますか?』
さらに、文字が増える。
『ちゃんと温かくして寝てくださいね。明日、帰る時間が分かったら連絡すること!』
最後には、頬を膨らませたスタンプがついていた。
怒ってる。
でも、夕食の次に気にしているのが着替えと寝る場所だなんて、キュナらしい。
『ごめん。ジムおじさんって言う親切な人のお店にいる。寝る場所もあるから大丈夫だよ』
送ると、少しして返事が来た。
『そのジムおじさまに、ちゃんとお礼を言ってくださいね』
『おやすみなさい、アレクお坊ちゃま』
「……おやすみ」
誰にも聞こえない声で返した。
心配かけちゃったな。
明日は、ちゃんと帰れるといい。
通知を閉じても、すぐには目を閉じられなかった。
天井の染みを眺めていると、またマナリンクが反応した。
今度はジャンヌだ。
『インしてないけど、どしたん?』
いつもなら、もうゲームをしている時間だった。
一緒に遊ぶつもりで、待っていてくれたのかもしれない。
『ごめん。今日は遊べない。色々ありすぎた』
『りょ』
短い返事だった。
理由を聞かれなくて、少しほっとした。
今説明しようとしても、何から話せばいいのか分からない。ゲームの中の話みたいだと、自分でも思う。
画面を閉じようとしたところで、続きが届いた。
『……あーしが言えることじゃないけど、辛いときこそアニメ見て元気出せ』
『神アニメのリンク送るわ』
すぐに、動画のリンクが貼られた。
ジャンヌなりに、励ましてくれているんだ。
『ありがとう』
今度の返事も短かったけれど、それ以上の言葉は浮かばなかった。
寝台の上で、少しだけ身体の向きを変える。
脇腹はまだ痛む。
夜が長い。
このまま朝まで、同じことを考え続けるんだろうか。
……アニメでも見ようかな。
送ってもらったリンクを開く。
視界いっぱいに、タイトルが広がった。
『サイバー戦記ナイトオブ騎士』
名前だけは知っている。
ジャンヌが何度も勧めてきた作品だ。見ようと思って、結局そのままになっていた。
再生すると、派手な音楽と一緒に機械の騎士が現れた。
街を駆け、敵と戦い、仲間と声を掛け合う。
いつもなら気になりそうな武器や変形も、今はぼんやりと目で追うだけだった。
台詞を聞き逃し、場面が変わってから話の流れが分からなくなる。
それでも、止めずに見ていた。
主人公が、敵と向かい合う。
振り上げた武器を構えたまま、相手へ語りかけた。
『たとえ言葉が通じなくても、どんなに離れていても、オレたちは分かり合える』
その声だけが、はっきり耳に残った。
分かり合える、か。
ソフィーとは、普通に話せていた。
体育のことも、学校のことも。
歴史の年号を覚えるのが苦手だって、笑っていた。
でも、僕の知らないことがたくさんあった。
話せなかったことも、あったんだろうか。
僕も、自分のことを何も話していない。
あの白銀の騎士が僕だなんて、ソフィーは知らないままだ。
……僕も、ソフィーと。
続きを考えながら、画面を見つめる。
暗い部屋には、窓の外のネオンが差し込んでいた。
アニメの光が白銀の手元に重なり、場面が切り替わるたび、壁や天井が淡く明滅していた。




