第28話 オーブパークの悲劇
◇
『オーブパークにて暴動発生。付近の部隊は──』
マナリンクから流れた通信を聞き、僕たちは公園へ向かった。
変身するのは、現場に着いてからだ。白銀と紅の装甲で街を走れば、事件より先に僕たちの方が人を集めてしまう。
オーブパークは、イスカティアでも大きい部類に入る公園だった。
中央には、周囲の景色を映す巨大な球体が据えられている。その足元から遊歩道が広がり、植え込みやベンチの間を縫って続いていた。
ただ、今日はその景色に余計なものが混じっている。
倒れたゴミ箱。芝生に散らばった紙袋。飲み残しのジュースが、舗装の継ぎ目に流れ込んでいた。
「……これが事件?」
アメリアが足元の空き缶を避ける。
「これじゃ、治安維持部隊の人も来てくれないかも」
通報では暴動と言っていたけど、銃声も悲鳴も聞こえない。
代わりに、植え込みの向こうからがさがさと音がした。
ゴミ箱に、何かが頭を突っ込んでいる。
丸い耳。目の周りの黒い模様。縞の入った太い尻尾。
アライグマだ。
ただし、人間ぐらいの大きさがある。
後ろ足で立ち、器用な前足でゴミ袋を引っ張り出していた。ウェアウルフのアライグマ版、といえばいいんだろうか。
「早く変身して、ぶっ飛ばしましょ!」
「待って。まだ、ただの迷惑な人……ケモノ? だから。注意するだけにしようよ」
「それもそうね」
納得してくれたらしい。
アメリアはそのままずかずかと近づいていった。
「ちょっとアンタ! ゴミ箱ひっくり返して何してんの! 迷惑でしょ! 片付けなさい!」
アライグマの肩が跳ねた。
ゴミ袋を抱えたまま振り返り、僕たちを見比べる。大きな身体の割に、ずいぶん落ち着きがない。
「……おいらだって、こんなことしたくないんだよ」
「じゃあ、なんでやってるの?」
「やらなきゃ死んじゃうんだ!」
鋭い爪が、袋を引き裂いた。
中身が足元へこぼれる。
「だから邪魔するな! 引っ掻くぞ!」
思わず後ずさると、アメリアが僕の前へ出た。
けれど、アライグマも追いかけてはこなかった。爪を見せたまま、こちらが離れるのを待っている。
話し合いには応じてくれそうにない。
でも、いきなり攻撃する気にもなれなかった。
「とりあえず、動きを封じるだけにしよう」
小声で伝え、人目につかない場所を探す。
遊歩道の先に、公衆トイレの案内があった。
「アメリア、トイレで変身しよう」
「分かったわ」
入口で別れ、空いていた個室へ入る。
鍵をかけてから、変わりたいと願った。
胸の奥が熱くなり、蒼白い光が身体を包む。肌が装甲に置き換わり、足元が遠ざかった。
よし。
扉や壁にぶつからないよう気をつけて、個室から出る。
洗面台にいたおじいさんと、目が合った。
おじいさんは口を開けたまま、僕と個室を交互に見ていた。
……入ったところは見られてないよね?
軽く会釈だけして、足早に外へ出た。
イアハートは、もう変身を終えて待っていた。
「遅いわよ」
「ちょっと、出るのに気をつかったんだ」
2人で戻ると、アライグマは別のゴミ箱を引き倒そうとしていた。
「アライグマ! 最後の警告よ!」
イアハートがパイプを構える。
「ぶっ飛ばされないうちにやめなさい!」
「ひぃっ!」
アライグマはゴミ箱から手を離し、その場に縮こまった。太い尻尾を抱えるようにして、頭をかばっている。
なんだか、かわいそうだ。
僕たちに向かってくる様子もない。
イアハートに少し待ってもらい、しゃがんで声をかけた。
「あの、どうして悪いことをしないといけないの? ドレッドの命令?」
アライグマの耳が動いた。
「……知ってるのか?」
「少しだけ」
「そうだよ。物を壊したり、人を襲ったりしないと、ドレッドから薬をもらえないんだ」
「薬?」
「おいらたちは、治療で身体が健康になる代わりに……こんな化け物に変身しちゃうんだ」
クラウンの顔が浮かんだ。
腕を治してもらいたくて、治療を受けた人。
最後には、自分が何をしてしまったのか分からないように、壊れたステージを見回していた。
「言われたとおりにしないと、元に戻す薬も、生きていくために必要なD因子もくれない!」
「D因子?」
「おいら、もう──」
「……そこまでだ」
頭上から、声が落ちてきた。
黒いシルクハットが、ふわりと舞う。
つばが大きく広がり、その下から長い脚が現れた。
磨かれた靴が地面に触れる。派手な衣装の男が身体を起こし、縮んで戻ってきた帽子を受け止めた。
マッドハッター。
考えるより先に立ち上がり、アライグマを背中へかばう。
「おしゃべりがすぎたな、ラクーン」
「ゆ、許して! 薬がないと、おいら死んじゃうよ!」
「……秘密も守れない害獣は、死にたまえよ」
声は穏やかなままだった。
クラウンを引き裂いたシルクハット。そのつばへ、白い指がかかる。
「待て!」
声が大きくなった。
「このアライグマさんは、無理やり悪さをさせられてるんだ。殺させない!」
マッドハッターは、帽子にかけた手を止めた。
「……やれやれ。ヒーロー気取りの被験者クン。ヴィランもどきすらかばうというのかね?」
肩をすくめ、僕の後ろをのぞき込む。
背中越しに、ラクーンの震える息が聞こえた。
この人は、薬をもらいたかっただけだ。
それなのに、どうしてそんな簡単に殺そうとするんだ。
隣でイアハートもパイプを握り直した。
「毎回、私が始末しても芸がない」
マッドハッターは、思いついた演目を紹介するように笑った。
「今回の劇は、悲劇といこう」
シルクハットが投げられる。
僕たちの前で円を描き、その内側が人を覆えるほどに広がった。
黒い穴の奥から、小さな靴がのぞく。
細い脚。白い模様の入った紺色のスカート。淡い水色のカーディガン。
見覚えのある服だった。
腰まで流れる白銀の髪が、遅れて闇から滑り出る。髪の間から尖った耳がのぞき、左のこめかみには白い花が飾られていた。
「え……?」
淡い青の瞳が、こちらを向いた。
さっき会った少女の顔だった。
『注射は怖くないの。注射は』
あのとき、何が怖いのか聞けばよかった。
「……ソフィー?」
少女は答えなかった。
「アレクサンダー、どうしたの?」
イアハートの声が、遠く聞こえる。
なんで。
どうして、ソフィーがこの人と一緒にいるの?
「破壊を拒む者が、同じく拒む者を始末する」
マッドハッターが、僕たちを見渡した。
「最高のショーの特等席をご用意しよう」
「さっきから何言ってんの?」
イアハートが問い返す。
ソフィーは黙ったまま、両手を胸の前へ持ち上げた。
指が震えていた。
その手の甲を、白い毛が覆っていく。
「……ソフィー?」
黒い縞が浮かび、指先から鋭い爪が伸びた。
白銀の髪の間に、丸みを帯びた獣の耳が現れる。頬にも暗い縞が走り、腰の後ろから長い尾が伸びていった。
足元で靴が押し広げられる。
地面を踏みしめた足は、白い毛と黒い縞を持つ、大きな獣のものに変わっていた。
爪の周囲に、細かな霜が広がる。
白い虎。
でも、その顔はソフィーのままだった。
健康になった代わりに、化け物に変身する。
薬をもらうために、人を襲わなければならない。
さっき聞いたばかりの言葉が、目の前の姿と重なっていく。
伸びた爪を見ても、パイプを構えるイアハートを見ても、何をすればいいのか分からなかった。
一緒に学校へ通おうと、また遊ぼうと笑ってくれた。
そのソフィーが、僕たちの前に立っている。
敵として。
「……なんで、ソフィーなんだよ」
自分の声が、ひどく頼りなく聞こえた。




