第26話 エルフのガールフレンド
◇
体育の授業を終えて、帰り支度をしていたときだった。
「アレックス君!」
鞄を持ったソフィーが、教室の出入口から顔をのぞかせていた。長い銀髪は、運動の邪魔にならないよう結んだままだ。
「この後、一緒にどこかへ遊びに行かない?」
「僕と?」
「うん。今日はもう帰っちゃうんでしょう?」
いつもなら、そのまま自転車に乗って家へ帰るところだ。
帰ってから何をするかも、大体決まっている。ゲームをするか、動画を見るか。その前に、キュナに洗濯物を渡す。
でも、今日は少しくらい変えてみてもいい気がした。
「いいけど、どこがいい?」
「アレックス君のおすすめ!」
「うーん……」
おすすめ。
急に言われると困る。ゲームショップなら案内できるけど、ソフィーが楽しいかどうか分からない。
お菓子を食べられて、ゆっくり話せて。
そう考えると、思い当たる場所があった。
◇
「ここ?」
店先で、ソフィーが看板を見上げた。
ティーンバー《フェアリーテール》。
扉の向こうからは穏やかな音楽が聞こえている。初めて来たときは、僕も入っていい場所なのか迷ったっけ。
「子供だけで入っていいんだよね?」
「うん。むしろ、大人はお客さんとして入れないんだって」
ソフィーは扉に手をかけたまま、少し不安そうに首をかしげた。
「でも、私、こう見えて九十歳なんだけど……入っていいの?」
「えっ」
思わず聞き返す。
見た目はどう見ても同年代の女の子なのに、ソフィーは平然とした顔で続けた。
「エルフの年齢だと、九十歳はまだ子供なの」
すると、扉の向こうから小さな影が飛んできた。
「いらっしゃいませ! あら、ライト君!」
ショットちゃんは僕の隣に気づくと、空中でふわりと止まった。
「今日はお友達も一緒なんですね!」
「同じクラスのソフィー。でも、九十歳らしくて……」
「九十歳?」
ショットちゃんはソフィーを見上げ、それから小さな手を腰に当てた。
「エルフ換算なら、全然子供だからいーの、いーの!」
そう言って、ショットちゃんはソフィーの背中をぽんぽんと押した。
「ほらほら、遠慮しないで入ってください!」
「え、でも……」
「大丈夫ですって! このお店は子供のためのお店ですから!」
ショットちゃんに背中を押され、ソフィーは少し驚きながら店内へ入った。僕もその後に続く。
「初めまして! 店長のショットちゃんです!」
ソフィーの目が、大きく開いた。
「フェアリー……!?」
「はい、本物ですよ!」
ショットちゃんがその場でくるりと回る。薄い羽が照明を受けてきらめいた。
「かわいい……」
思わず、といった声だった。
「ねえ、アレックス君。こんなお店、知ってたんだ」
「僕も、つい最近知ったんだけどね」
「また来てもいい?」
「まだ座ってもないよ」
「あ、そうだった」
ソフィーが笑うと、ショットちゃんも嬉しそうに胸を張った。
「ぜひぜひ! まずはお席へどうぞ!」
案内されたのは、丸いテーブルを挟んだ2人掛けの席だった。
ソフィーは腰を下ろしてからも、棚に並ぶ色鮮やかな瓶や、カウンターを行き来するショットちゃんを眺めていた。
「なんだか、大人になったみたい」
「飲み物はジュースだけどね」
「そこがいいの」
ショットちゃんは注文を受けると、カウンターの奥へ飛んでいった。
しばらくすると、小さな身体いっぱいにグラスを抱えて戻ってくる。両手でグラスをしっかり抱え、羽を忙しなく動かしながら、ふらふらとこちらへ飛んできた。
「お待たせしましたー!」
「ショットちゃん、大丈夫?」
「もちろんです! 店長ですから!」
そう言いながらも、グラスの重さに身体が少し傾いている。僕が慌てて手を伸ばすと、ショットちゃんは最後のところでふわりと高度を上げ、テーブルの上へ器用にグラスを置いた。
やがて運ばれてきたオレンジソーダには、輪切りのオレンジが飾られていた。氷の隙間を細かい泡が上っていく。
ソフィーは両手でグラスを持ち、ストローに口をつけた。
「……おいしい!」
僕も同じものを飲んでみる。
爽やかな甘さの後から、炭酸が舌を刺激した。体育の後だからか、冷たさがいつもより気持ちいい。
「今日のサッカー、最後のシュートも入ったね」
「あれ、実はちょっと危なかったの。蹴った瞬間、外したと思った」
「全然そんなふうに見えなかったけど」
「入ってよかったって顔してたんだよ」
「僕なんて、ボールが来るたびに誰にパスしようか考えてた」
「私にくれればいいのに」
「ずっとソフィーに渡してたら、僕が何もしてないってばれちゃうよ」
「もうばれてるかも」
「ひどい」
ソフィーはストローをくわえる前に、こらえきれず笑った。
少し悔しいけど、間違ってはいない。
「でも、パスしてくれるのは嬉しいよ。私も、取られそうになったらアレックス君に渡すね」
それはそれで責任が重い気がする。
その後は、学校の課題の話になった。
ソフィーも歴史の年号を覚えるのは苦手らしい。あんなにすいすい動けるのに、暗記用のノートには何度も同じ年を書いていると聞いて、少し安心した。
「覚えたと思っても、次の問題を解いてると忘れちゃうの」
「分かる。さっきまでは頭の中にあったのにね」
「そう! さっきなら答えられたのにってなる!」
そんなことを話しているうちに、グラスの氷が小さくなっていた。
「ねえ、アレックス君は、学校には通わないの?」
ストローを動かしていた手が止まった。
「……ちょっと悩んでる」
「そうなんだ」
「家でも勉強できるし、通わなくても困ってはいないんだけど」
授業を受けて、休み時間になって、クラスの誰かと話す。
この前まで、僕にはあまり関係のないことだった。
でも、ゲームの話をしている男子たちに混ざってみたいとは思った。今日みたいに、帰りに誰かと寄り道するのも悪くない。
「まだ、どうするか決めてないんだ」
「そっか」
ソフィーは少し考えてから、テーブル越しに僕を見た。
「私は、アレックス君が来てくれた方が楽しいな」
「……そう?」
「うん。また一緒に遊びに行けるでしょう?」
そんな理由でいいんだろうか。
でも、毎日通うなら、そういう理由があってもいいのかもしれない。
「後で、親と相談してみるね」
「うん!」
ソフィーは嬉しそうに微笑んだ。
◇
「……はぁ……はぁ……」
ソフィーが胸を押さえていた。
さっきまで楽しそうに話していた口元から、短い息が漏れている。グラスを持っていた手も、今はテーブルの縁を握っていた。
「どうしたの?」
「……大丈夫。いつもの発作だから」
大丈夫と言われても、すぐに信じられる様子じゃなかった。
「ショットちゃん、呼ぼうか?」
ソフィーは首を横に振った。
「少し待てば……落ち着くから」
どうしたらいいのか分からず、椅子に座ったまま様子を見守る。
やがて、浅かった呼吸の間隔がゆっくりと開いていった。テーブルを握る手からも力が抜け、ソフィーは胸に当てていた手を下ろした。
「……ほら、もう平気」
声も、いつもどおりに戻っている。
ようやく少し安心したところで、小さな呟きが聞こえた。
「……また注射しなくちゃ」
「注射?」
「私、病気だったって前に話したでしょう?」
体育の後に聞いた話だ。
ずっとベッドで寝たきりだったけど、手術を受けて元気になったと言っていた。
「病気は治ったんだけど、定期的に注射しないといけないの」
「……大変だね」
今日も体育では誰より元気に走っていた。その後だって、こうして寄り道をして、ジュースを飲みながら話している。
今のソフィーを見ていると、ずっと寝たきりだったなんて考えられない。
でも、元気になったからといって、全部終わりというわけではないらしい。
「注射って嫌だよね。僕も、いまだに目を瞑っちゃうよ」
少しでも気が楽になればと思って、笑いながら言った。
けれど、ソフィーは笑わなかった。
ストローに残った雫が、グラスの中へ落ちる。
「……注射は怖くないの。注射は」
どういう意味だろう。
針が痛いとか、そういうことじゃないのかな。
聞いてもいいのか迷っていると、ソフィーがこちらを見た。
「アレックス君」
「うん?」
「私のこと、ソフィーって呼んでくれてるでしょう? だから、こっちもニックネームをつけていい?」
急に話が変わった。
まだ少し気になったけれど、ソフィーは返事を待っている。
「いいよ」
「じゃあ……アレク」
口にしてから確かめるように、ソフィーはもう1度、僕を呼んだ。
「よろしくね、アレク」
キュナにもそう呼ばれているから、全然恥ずかしくはない。
それでも、同じクラスの子に呼ばれると、少しだけ響きが違って聞こえた。
「こちらこそ、ソフィー」
今度は、ソフィーも笑ってくれた。
グラスの底には、オレンジソーダがほんの少し残っている。
ストローで吸い上げた最後の1口は、溶けた氷で薄まって、かすかに甘酸っぱかった。




