第2話 黙っていればバレないかも
壁の時計は、午前2時を指していた。
家を出てから、まだそんなに経っていない。
胸元の血さえなければ、さっきのことも夢だったと思えそうなのに。
「少年、これは憶測でしかないが、キミの身体は心臓に突き刺さった魔導インプラントのせいで、全身機械に置き換わるみたいだ」
「あの胸に刺さったやつのせい?」
服の穴から覗く胸を見下ろす。
あんなに大きなものが、今もこの中にあるの?
「何かよく分からない技術が使われている事しか……」
おじさんも、そこから先は説明できないようだった。
「俺はジム。倒れたキミをこの店の裏で治療しようとした、元医者だ。何の役にも立てなかったけどな」
改めて周りを見ると、大きな冷蔵庫や備品庫が並んでいた。棚には洗剤や布巾、紙の包材が積まれている。
冷蔵庫の低い唸りに混じって、換気扇の音が聞こえる。病院だと思っていたけれど、飲食店の裏の一角らしい。
こんなところまで、僕を運んでくれたんだ。
「その、僕を助けようとしてくれて、ありがとうございます」
「キミを救ったのは、幸か不幸か心臓に刺さったインプラントだ」
ジムさんの手元には、血のついたガーゼが残っていた。
「残念ながら、その機械は取り除けない。心臓と一体になっているように見える、無理に外したら、キミは死ぬだろう」
胸に添えていた指が止まる。
「そんな……ずっと心臓に機械が刺さったまま暮らすの?」
今は痛くない。
息もできるし、立っていられる。
でも、中にあるものを取り出せないなら、さっきの姿にも、またなってしまうんだろうか。
「両親になんて言おう……」
新作ゲームを買いに行って、心臓に機械が刺さりました。
自分で考えても、意味が分からない。
「ちょっと心臓のデコレーションしたとでも言えばいいかな?」
「……怒られると思うぞ」
夜中に抜け出したことだけでも怒られるのに、そんなことを言ったら、出張先から帰ってきそうだ。
ジムさんは、元に戻った僕の身体を見た。
「見た目には、黙っていればバレないと思う」
「少年、今日はもう帰りたまえ。また明日この店に来て、何かできる事を探そう。俺も手伝う」
どうしたらいいのか、何も分からない。
それでも、明日また来ていいと言ってもらえて、少し安心した。
「分かりました」
店を出ると、夜の冷たい空気が頬に触れた。上着の前を閉じ、胸元の血を隠す。
頭上では、《ロングロングドッグ》というネオンが光っていた。
「俺のダイナーだ。……まぁ、第2の人生って奴だな」
入口に立つジムさんと、看板を見比べる。
お医者さんがダイナーやってるんだ。
さっきまで血のついた器具を持っていた人が、ここで料理を出している。なんだか不思議だった。
帰り道へ足を向け、1度だけ振り返って会釈する。
明日もここへ来られるように、店の看板を覚えておく。
それから、家へと急いだ。
流石にもう、ゲームを買いに行く気にはなれないや。
家まで、あとどれくらいだろう。
来たときには眩しかったネオンも、今は目が疲れるだけだった。上着の前を押さえながら、できるだけ人のいない道を選ぶ。
早く帰って、この服を着替えたい。
胸の中に機械が刺さっているなんて、まだ信じられなかった。歩くたびに抜けたりしないか気になるけれど、触ってみても痛くない。
そのとき、通りの先で硝子が砕けた。
また?
足が止まる。
続けて、何かが金属に突き刺さる音。道沿いに停まっていた車が、けたたましく警報を鳴らし始めた。
店の入口から男の人が飛び出してくる。よろけながら走り去るその向こうに、変な影があった。
人間……だよね?
腕も脚もある。2本の足で立っている。
でも、全身から針が生えていた。
頭にも、肩にも、腕にも。服を突き破った長い針が、街灯の光を鈍く弾いている。背中なんて、針が重なって元の身体の形もよく分からない。
男が腕を振る。
鋭い音とともに何本もの針が飛び、停まっていた車の側面に突き刺さった。
扉がへこみ、窓がまとめて砕ける。突き抜けた針の先が、反対側の車体から顔を出していた。
すごい、ゲームの悪役みたいだ。
そう思った直後、別の針が店の看板を貫いた。
光っていた文字が消え、ちぎれた看板の端がぶらぶらと揺れる。さっきまで聞こえていた警報も、車の前側に針が突き立つと、変な音を残して途切れた。
……本物だ。
画面の中じゃない。
あんなのが当たったら、僕の身体なんて簡単に穴が開く。
「俺様はヘッジホッグだ! 金目のもんは、ありがたく頂いていくぜ!」
男の声が通りに響く。
ヘッジホッグ。
ゲームなら、名前の下に長い体力ゲージが出てきそうだ。
でも、僕の手には武器もコントローラーもない。上着の前を押さえている指に、じっとりと汗が滲んだ。
男は割れたショーウィンドウに腕を突っ込み、陳列台の上を物色していた。光る腕時計を掴み、今度は隣の棚に手を伸ばす。
腕の針が棚に引っかかったらしい。
鬱陶しそうに振り払うと、棚ごと倒れ、箱や飾り台が床へ散らばった。
こんなの、近くで見ている場合じゃない。
もう嫌だ。
さっきだって、逃げるのが遅れたせいで死にかけた。次も都合よく助かるとは限らない。
逃げないと、また死んじゃうよ。
男に背を向けたとき、靴の先が歩道の段差に引っかかった。
「あっ」
身体が前へ傾く。
足を出そうとしたのに間に合わず、両手をついて石畳に転んだ。膝が硬い角にぶつかり、ひりっと熱くなる。
「痛い……」
起き上がろうとすると、掌まで痛かった。
街灯の下で手を開く。擦れた皮膚に細かな砂がつき、赤い血が浮かんでいた。
膝の辺りにも、じわじわと痛みが広がる。ズボンの破れたところから、擦りむいた肌が覗いていた。
早く立たなきゃ。
分かっているのに、地面に手をつくのが怖い。そっと掌を浮かせ、肘と膝だけで身体を起こそうとする。
通りの向こうで、また何かが壊れた。
その音に肩が縮こまる。
あの針が飛んできたらどうしよう。
こんな擦り傷だけでも痛いのに。
さっき鏡で見た、白銀の手を思い出す。硬い指も、分厚い脚の装甲も、今はどこにも見当たらない。
あの機械の身体だったら、こんなのかすり傷にもならないのに。
そう思った瞬間、胸元が光った。
服の穴から青白い光が漏れ、石畳を照らす。
「え、ちょっと……」
擦りむいた掌に、細い線が走った。
肌が硬い部品へと置き換わっていく。傷口も血もその中へ消え、白銀の指が目の前で組み上がった。
痛みがなくなる。
代わりに、手首の奥で何かが動いた。
腕が太く、長く伸びていく。濃紺の骨組みを覆うように装甲が重なり、肘から肩まで青白い光が駆け上がった。
身体が膨らんでいく。
胸が前へせり出し、腹も腰も、次々と機械に変わる。さっきまで痛かった膝が装甲に包まれ、その横で丸い装置が光り始めた。
地面についた手が、大きい。
脚も長い。
慌てて立ち上がると、目の前にあった街灯の位置が、ぐっと低くなった。
額に硬いものが広がり、目元をバイザーが覆う。その端に青い髪がかかっていた。
変化は、あっという間だった。
見下ろすと、胸にも腕にも白銀の装甲がある。
僕はまた、あの騎士のような全身魔導機械の姿になっていた。




