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-新-猫少女と竜の海賊  作者: u-nyu
(1部)1章:港町の奴隷
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1-3.不穏な自己紹介と竜の獣人

 甲板に上がると、視線の圧が増した。


 さっきの緑の目の女だけでなく、数人の乗組員がこちらを見ていた。好奇心、警戒、値踏み。種類は様々だったが、共通していたのは「珍しいものを見ている」という感覚だ。私は裸足の足裏に甲板の木材の感触を確かめながら、なるべく周囲を観察した。


 船は思ったより整っていた。


 海賊船というものがどういう外見をしているか、私は知識として知っていた。汚れていて、雑然としていて、血の匂いがするものだと。だがこの船は違った。甲板は清潔に保たれていて、ロープの束ね方にも規則性がある。乗組員の装備も、それぞれの役割に合わせて調整されていた。場当たり的な集団ではない、と思った。


 大柄な男が甲板を横切って、船内への扉を開けた。


「来い」


 私は従った。


 階段を下りて廊下を進むと、広めの部屋に通された。テーブルと椅子、壁には海図と何枚かの羊皮紙。窓から差し込む光が斜めに切って、室内を半分明るく半分薄暗くしていた。テーブルの向こう側の椅子に、別の男が座っていた。


 細身の男だった。


 黒髪をきっちりと整えて、姿勢が良い。年齢は大柄な男より少し若く見えるが、目に落ち着きがあって、実際のところは分からなかった。竜族の特徴を持ちながら、全体の印象が静かだった。大柄な男が「荒野」なら、この男は「水面」に近い。穏やかに見えて、底が見えない。


 その男が私を見て、静かに口を開いた。


「座れ」


 命令というより確認のような言い方だった。私はテーブルの手前の椅子を引いて腰かけた。鉄の輪がテーブルの縁に当たって、小さく音を立てる。


 大柄な男も椅子に座った。二人が向かいに並んで私を見ている。尋問の構図だ、と思った。これも知識として知っている。実際に経験したことがあるかどうかは、分からない。


「名前は」と、細身の男が言った。


「ありません」と、私は答えた。


「記憶がないのか亅と、男は聞いた。


「はい」


「いつから」


「気づいたときには、もうありませんでした」


 細身の男が大柄な男と視線を交わした。何かを確認するような、短いやりとりだった。私はその間に、部屋の中を再度観察した。壁の海図は最新のものではないが、書き込みが多い。よく使われている地図だ。棚の上に医療道具が置いてある。包帯と、蓋付きの小瓶。


 大柄な男が口を開いた。


「俺はダニエル。この船の船長だ」


「分かりました」


「こっちはベネディクト。私の右腕だ」


 細身の男――ベネディクトが、わずかに頷いた。表情はほとんど動かなかった。


「あなたがたが私を一億で買った理由を聞いてもいいですか」


 私が言うと、ダニエルが少し眉を上げた。ベネディクトは動かなかった。


「後で話す」とダニエルは言った。「今は俺たちがお前に聞く番だ」


 そういうものか、と思って私は頷いた。



ーーー



 質問は思ったより少なかった。


 身体の状態、記憶がない前後の感覚、自分の種族や能力について。私は知っていることを答え、知らないことは知らないと答えた。ベネディクトがその間中、何かを書き留めていた。私の答えを記録しているのか、それとも別の何かを考えているのか、判断がつかなかった。


 質問が一段落すると、ダニエルが短く言った。


「シェリー」


「……はい?」


「お前の名前だ。今日から」


 私は少し考えた。シェリー、と口の中で繰り返してみた。自分の名前だったかもしれない何かとは違う気がしたが、確かめる方法がない。それに名前がないよりはある方が、互いに便利だ。


「分かりました。シェリーです」


 ダニエルが頷いた。それだけで名付けは終わった。ひどく簡素だったが、私は不満を感じなかった。今の自分には、名前に意味を込めてもらう権利があるかどうかも分からない。


 その時、ベネディクトが立ち上がった。


 急ではなかったが、素早かった。彼は部屋の隅――棚の裏側に手を伸ばして、何かを摘まんで引き出した。小さな金属の装置だった。親指の爪ほどの大きさで、表面に細かな加工が施されている。


 盗聴器だ、と私は思った。


 なぜそう分かったのかは、また説明がつかなかった。ただ、その形状と、内側に見える魔法陣の痕跡から、そういう用途のものだと判断できた。


「いつから」とダニエルが言った。


「入港した日から、おそらく」ベネディクトが答えた。「精度の高い術式が使われています。エルフの工房の製品かと」


 エルフ、という言葉が耳に残った。


 ダニエルの表情が変わった。荒々しい顔つきがさらに引き締まって、別の種類の静けさを帯びた。怒りではない、と思った。それよりも深い何かだ。


「処理しろ」


 ベネディクトが装置を握り潰した。小さな音がして、金属の破片がテーブルに落ちた。それだけだった。二人の間に言葉はなかったが、何かが共有されていた。長い付き合いのある人間同士に特有の、言葉を省いたやりとりだ。


 私はその光景を見ながら、自分がどういう船に乗ったのかを考えた。


 整然とした甲板、訓練された乗組員、盗聴器を即座に発見する参謀、そしてエルフという単語に対するダニエルの反応。普通の海賊集団ではない。目的がある集団だ。


 それが私にとって良いことか悪いことかは、まだ分からない。


 ダニエルが私を見た。


「今夜はゆっくり休め。明日から色々と決める」


「分かりました」


「一つだけ聞く」


「はい」


 ダニエルが少し間を置いてから言った。


「怖いか」


 私は考えた。怖いか。今の自分の状態を点検した。心拍は平常で、手も震えていない。恐怖という感情が、今の自分にどこかにあるかを探してみたが、見つからなかった。


「今は怖くありません」


「今は、か」


「情報が少ないと、怖がるタイミングが分からないんです」


 ダニエルが少し目を細めた。笑ったのかどうか、判断がつかなかった。


「面白い奴だな」


 それだけ言って、彼は立ち上がって部屋を出た。ベネディクトも続いた。


 私は一人残された部屋で、テーブルの上の金属の破片を見た。エルフ製の盗聴器。誰かがこの船を監視していた。


 窓の外で、波の音がしている。


 情報が少ない。怖がるにはまだ早い、と私は思った。

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