4-3.問いかけ
三日目の昼、レベッカが食事を残した。
記録用紙にそれを書きながら、私は考えた。痛みのせいか、あるいは精神的なものか。バイタルに問題はない。傷の経過も良好だ。身体的な原因ではないとすれば——
「食欲がないですか」と私は聞いた。
「問題ない」
「食べられないのと食べたくないのは、別の問題です」
レベッカが私を見た。少し間があって、視線を外した。
「後で食う」
それだけだった。
私は何も言わなかった。ただ、記録用紙の端に「昼食一部残」と書いた。
昨日の「今日のところは」という言い方が、まだどこかに残っていた。レベッカも残っているだろう、と思った。続きがある、という予告のようなものだった。私はそれを言ってから、少し後悔した。後悔したが、取り消さなかった。取り消すことの方が、不誠実な気がしたからだ。
今日聞く、と私は決めた。
決めてから、昼の残りの時間をずっとそのことを考えていた。どう切り出すか。何から始めるか。でも結局、言葉を用意することをやめた。用意した言葉は、たいていうまく機能しない。知識としてそれを知っていた。
今の自分にできることは、ただ聞くことだけだ。
ーーー
午後、薬の調合をしながら、私はレオノーラのことを考えた。
この船に乗ってから、レオノーラが私を見る目に、何かがあると思っていた。医師として見る目とは別の何かが、ときおり混じる。私の素性を知っているような、あるいは私のことを以前から知っているような——そういう目だ。
それと同じ目を、レベッカもすることがある。
ぶっきらぼうで、素っ気ない。でも私を見るとき、ときどき何かを堪えている。堪えているのは感情なのか、言葉なのか、分からない。でも確かにある。
二人とも、何かを知っている。
私のことを。私が知らない、私自身についての何かを。
私は薬瓶を置いた。
記憶がない人間にできることは、聞くことだけだ。聞けば答えが来るかどうかは分からない。でも聞かなければ、何も変わらない。
今夜、聞く。
ーーー
三日目の夕方、レベッカは廊下を歩いていた。
私が医務室から出ると、壁に手をついてゆっくり歩いているレベッカがいた。上着を着て、靴を履いていた。自力で立っている。
「安静にしてください」と私は言った。
「少し動かないと筋肉が落ちる」
「傷が完全に塞がるまでは——」
「落ちる方が困る」
言い切った。反論の余地がなかった。私は少し考えてから言った。
「甲板には出ないでください。船内の廊下だけにしてください」
「分かった」
レベッカが頷いて、また歩き出した。私はその後ろをついて歩いた。医療上の理由だ、と自分に言い聞かせた。
夕日が舷窓から差し込んでいた。廊下が橙色に染まっていた。他の乗組員の声は遠かった。
レベッカの背中を見ながら、私は考えていた。
黒い髪。肩の広さ。歩き方が静かだ。戦士らしい重心の低い歩き方で、怪我をしていなければ音がしないだろう。今は少し庇っているのが分かった。傷の位置を意識して、右足の踏み込みをわずかに抑えている。
今だ、と思った。他の人間がいない。静かだ。昼に言いかけた問いの続きが、もう口のそばまで来ていた。
ーーー
廊下の突き当たりに小さな窓があった。
レベッカはそこで立ち止まった。窓の外に海が見えた。夕日で赤くなった水平線が、水平に広がっていた。私はレベッカの少し後ろで立ち止まった。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「レベッカさん」と私は言った。
「何だ」
私は少し間を置いた。言葉を選んでいたわけではなかった。言葉はすでにあった。ただ、出す前に一度確かめた。
「あなたと私は……どこかで、会ったことがあるような気がします」
廊下が静かだった。
レベッカが動かなかった。窓の外を見たまま、動かなかった。
「気がする、というだけです。確かめる方法が私にはありません。でも……ずっと、そう感じています。この船に乗った最初の日から」
レベッカがゆっくりと息を吸った。聞こえるほどの息ではなかった。でも分かった。
「……ない」と、レベッカが言おうとした。
言葉が出なかった。
「な」の形に口が開いて、止まった。そのまま、閉じた。
私はその横顔を見ていた。レベッカは窓の外を見ていた。目線は水平線に向いていたが、水平線を見ていなかった。どこか別の場所を見ていた。
私は続けた。
「この傷跡を……私は知っている気がします」
レベッカが動かない。
「臍の横の傷です。あれを初めて見たとき、知っている気がした。医療者としてではなく。もっと別の感覚で」
窓の外で、波が船腹を叩いた。
「あの夜の傷だと思います」と私は言った。「どの夜かは分かりません。何があったかも分かりません。でも……なぜ私が、この傷を知っているんでしょう」
長い沈黙だった。波の音だけが続いた。船が揺れた。
それから、レベッカが私の方を向いた。
表情が変わっていた。
いつも無表情だ。眠っているときも、戦っているときも、この人は感情を外に出さない。でも今は違った。何かが、崩れていた。崩れた、というよりも——長い時間をかけて保っていた何かが、今この瞬間だけ、保てなくなっていた。
私はその表情を見て、何も言えなくなった。
聞いてよかったのかどうか、分からなかった。でも聞かなければよかった、とも思えなかった。
レベッカが口を開いた。言葉が来るかと思った。でも来なかった。また閉じた。
目が、わずかに動いた。何かを探しているような動き方だった。どこかで決断しようとしているような、でもまだ決断できないような。
私は何も言わなかった。催促しなかった。言葉を待つのではなく、ただそこにいた。
レベッカの手が、窓枠に触れた。壁に手をついていた、というのとは違う触れ方だった。支えを求めているような。あるいは、何かに触れていないと立っていられないような。
私はそれを見た。
この人が弱い、と思ったことはなかった。手術で命の瀬戸際にいたときも、「この人は持ちこたえる」と思っていた。今もそれは変わらない。でも今、窓枠に触れた手は、強さとは別の何かを示していた。
ずっと、何かを一人で持っていた。
そういう手の触れ方だと思った。
廊下が暗くなっていった。橙色が、少しずつ紺に変わっていく。波の音が低く続いていた。
レベッカが一度、目を閉じた。それから開けた。その間に、何かを決めたのかどうか、分からなかった。
二人とも、そこに立っていた。
私はただ、待った。




