3-8.緊急手術③――成功、既視感
閉腹の縫合が、終わった。
最後の糸を結んで、テンションを確かめた。腹膜、筋層、皮下組織、皮膚。層ごとに縫合してきた。問題ない。どの層も適切な張力で閉じている。
「確認します」と私は言った。
傷口全体を見た。縫合線が均一だ。出血はない。表面の状態も安定している。
「問題ありません」
縫合線に手をかざして、癒着封印を施した。薄い魔力膜が創部を覆う。感染を防ぎ、治癒を促す。これで外気と縫合線が遮断される。
レオノーラが傷口を確認した。しばらく見ていた。それから視線をレベッカの顔に移して、呼吸を確かめた。
「バイタルは安定してるわ」と彼女は言った。「終わりね」
終わり、という言葉が来たとき、私の中で何かが一段落ちた。終わった、という事実が少し遅れて届いた。手術が始まってから今まで、何分経ったのかを私は把握していなかった。器具を置いて、手袋を外した。手のひらが少し赤くなっていた。
「お疲れ様」とレオノーラが言った。
「ありがとうございました」
彼女が私を見た。何かを言おうとして、言わなかった。言葉を選んでいるのではなく、言葉にする前に何かを確かめているような間だった。
「シェリー」と彼女は言った。
「はい」
「あなたは今日、確かに手術をやり遂げた」
それだけだった。評価でも感謝でもない。ただ、確認するような言い方だった。まるで記録しているような。
私は頷いた。
ーーー
術後の処置をしながら、私はレベッカを見ていた。
補液細管の流量を確認した。問題ない。排泄制御術式もまだ有効だ。眠化薬の残量から、覚醒は早くて三時間後と見た。麻酔が切れたとき、痛みが来る。
麻酔はまだ効いている。呼吸は規則的で、顔の表情は変わらない。眠っているときも、この人は無表情だ。戦っているときと同じ顔をしている。
器具を片付けながら、傷跡のことをまた考えた。
臍の横、左側の一本。他の傷と同じように古い。でも他と違う感覚を呼んだ。知っている気がした、という感覚は、処置が終わった今もまだ残っていた。
医療者として傷を見ていたはずなのに。
それは確かだ。でも、あの一瞬、自分が医療者として見ていたのか、それとも別のものとして見ていたのか、分からなくなった。
医療者が傷跡を見るとき、「知っている」とは感じない。損傷の程度を見る。治癒の状態を見る。それだけだ。でも、あの瞬間の感覚は、そういう種類のものではなかった。
もっと近い感覚だった。
人に対して持つ、近い感覚。
ーーー
扉を細く開けると、廊下にダニエルが立っていた。
壁に背をつけて、腕を組んでいた。私が扉を開けた音で、顔を上げた。
「終わったか」
「はい。成功です。バイタルも安定しています」
ダニエルが頷いた。それだけだった。何も言わなかった。でもその顔の、目の部分が、少しだけ変わった。それが何を意味するのかは分からなかったが、今は聞かなかった。
「今夜は安静にさせてください。明朝、状態を確認します」
それから少し考えてから付け加えた。
「眠化薬が切れると痛みが来ます。目が覚めて苦しそうなら、すぐ呼んでください。鎮痛ポーションを手元に置いておきます」
「分かった」とダニエルが言った。「お前もゆっくり休め」
廊下が静かだった。戦闘音はすでにない。船が揺れている。一定のリズムの揺れだった。
私は医務室に戻った。
レオノーラが記録を書いていた。いつものように眠そうな目で、でも手は止まらずに動いていた。意識同調は続いているのだろう。あの目が閉じていても、レベッカの状態はずっと彼女の中に届いている。
「少し眠っていいわよ」と彼女は言った。「私が見ておくから」
「……少しだけ」
私は部屋の隅に置かれた椅子に座った。目を閉じた。
瞼の裏に、傷跡が浮かんだ。
臍の横の一本だけではなかった。顔の端の傷、首筋の傷、腕の傷。全部が並んで、浮かんでいた。ひとつひとつが別の日の傷で、別の場所の傷で、長い時間をかけて積み重なったものだ。
でも今、それを見たとき、私の中に来たのは「気の毒だ」という感情ではなかった。
もっと違う何かだった。
近い、という感覚。知っている、という感覚。この傷たちの歴史を、私は知っているかもしれない、という感覚。
どこで。
いつ。
答えは来なかった。
椅子の上で、私はそのまま目を閉じていた。レオノーラの筆記の音が遠くなっていった。船の揺れが規則的だった。
その夜、夢を見た。
暗い夜だった。誰かが走っている音がした。叫び声があった。それからとても静かになった。
誰かが、私の前に立っていた。顔は見えなかった。ただ、その人が私に向けた背中に、傷があった。新しい、まだ血の出ている傷が、いくつもあった。
待って、と言おうとした。
声が出なかった。
夢の中で、私はその背中に手を伸ばした。届かなかった。




