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-新-猫少女と竜の海賊  作者: u-nyu
3章:海戦
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3-6.緊急手術①――メスを握る

 戦闘音は、医務室の中まで届いた。


 甲板を踏む音。縄が弾く音。金属が当たる音。何かが倒れる音。それらが混ざり合って、船の骨格を通じて床から伝わってくる。私はその揺れを足の裏で受けながら、器具の配置を確認していた。


 レオノーラが点滴の準備をしていた。


「揺れに備えて棚を固定しておいて」と彼女は言った。「縫合糸はすぐ取れる場所に」


「済んでいます」


「麻酔の量を確認してくれる。大柄な相手が来ることを想定して」


 私は瓶の中身を確認して、量を伝えた。レオノーラが頷いた。


 戦闘中、医務室の仕事は待機だ。待機というのは、何もしないことではない。何が来てもすぐに動けるように、全ての準備を終わらせた状態で待つことだ。私はすでにそれを理解していた。なぜ理解しているのかは分からないが、この部屋の中での自分の動き方は、最初から迷いがなかった。


 0800を過ぎた。


 音が変わった。甲板全体ではなく、局所的な戦闘音になっていた。大きい動きが減って、細かい動きが残っている。状況が収束に向かっている、と判断した。


 レオノーラが窓の外を一瞥した。何も言わなかった。


 私も何も言わなかった。



ーーー



 扉が開いたのは、0830を少し過ぎたころだった。


 ダニエルとビリーが入ってきた。二人の間に、レベッカがいた。


 左手で脇腹を押さえていた。その手の下から血が滲んでいた。自分の足で立とうとしていたが、二人に支えられている状態だった。目は開いていた。


「脇腹に深い切り傷」とダニエルが言った。「止血はしていない」


 レオノーラが素早く近づいた。レベッカの手を退かして、傷口を確認した。


 私も見た。


 深い。縦に走っている。刃の入り方から、角度が分かる。斜め下から入って、上に抜けている。長さは十センチ近い。出血量は多い。ただ、今すぐ致命的になる量ではない——まだ。


「寝台に」とレオノーラが言った。


 二人がレベッカを寝台に横たえた。レベッカは何も言わなかった。普段と変わらない無表情だったが、普段より目の焦点が遠かった。


 レオノーラが傷口を広げて確認した。


 私は横に立って、見ていた。


 傷が、深い。筋層まで達している。出血源は複数だ。表層の血管が傷ついているだけでなく、もう少し深いところにも損傷がある。縫合だけでは止まらない可能性がある。


「開腹が必要」とレオノーラが言った。静かな声だった。「腹腔内での出血を確認しないと、表側を閉じても意味がない」


「手術か」とダニエルが言った。


「ええ」


 沈黙が来た。


「私一人では難しいわ」とレオノーラが続けた。「助手が必要。術野の確保と、出血コントロールを同時に進める必要がある。一人の手では足りない」


 ダニエルが私を見た。


 レオノーラも私を見た。


 私はレベッカを見た。


 寝台の上で、レベッカの目が少し動いた。こちらを見た、のか、見ていないのかは分からなかった。ただ、その目が一瞬、何かを堪えるような動きをした。


「私がやります」と私は言った。


 声は静かに出た。大きくも小さくもなかった。


「できる?」とレオノーラが聞いた。試している声ではなかった。確かめている声だった。


「分かりません」と私は言った。「でも、やります」


 レオノーラが私を見た。その目が、昨日の言葉を思い出させた。あなたの手は知っているから。あなたの頭が追いつかなくても、手が先に動く。


「分かった」と彼女は言った。「術衣に着替えて。急いで」



ーーー



 二分後、私は寝台の横に立っていた。


 術衣を着て、手を消毒した。道具が並んでいる。メス、鉗子、縫合糸、止血剤。配置は私が決めた。手の動きを想定して、取りやすい順番に並べた。


 レオノーラが麻酔の処置を終えた。


「準備はいい?」と彼女が聞いた。


「はい」


「術野は私が確保する。あなたは出血のコントロールを先にやって。見えたら教えて。手を動かす前に必ず声に出して確認する。いいわね」


「分かりました」


 レオノーラがメスを持った。最初の切開は彼女がやる。私は鉗子を手に取って、傷口の横で待った。


 術野が開かれた。


 血が広がった。量が多い。思ったより多い。でも、私の手は動いていた。


 頭が何かを指示するより先に、手が器具を動かしていた。出血源を探して、圧迫して、視野を確保する。その間も、頭は少し後ろから見ているだけだった。


「よく見えてる」とレオノーラが言った。「続けて」


 私は続けた。


 血の量、傷の深さ、組織の状態。一つずつ確認しながら手が動く。緊張がないわけではない。ただ、緊張は邪魔をしていなかった。


 これが自分の手だ、と思った。


 どこで覚えたか分からない。いつ積み重ねたか分からない。でも確かに、この手は知っている。

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