↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
高校中退で引きこもりだった私を、みなとみらいのエリートが急かさず溺愛してくれました  作者: ちょこまろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/11

第5話 クイーンズスクエアを歩く

昔の同級生との再会から、外へ出ることがまた怖くなってしまった優実。


それでも彼女は、佐伯さんと一緒にクイーンズスクエアを歩いてみることにします。


賑やかな店内。


行き交う人々。


そして、ショーウインドーに並ぶ水色のマグカップ。


小さな憧れを見つけた優実は、自分の気持ちにも少しずつ気づき始めます。

 真帆がカフェに来た日から、私は数日間、出勤するのが怖くなった。


 朝、マスクをつけて家を出る。

 駅へ向かう。

 電車に乗る。


 それだけで、心臓がいつもより速く動いた。


 また誰かに会ったらどうしよう。

 また昔のことを言われたらどうしよう。

 店で固まってしまったらどうしよう。


 それでも私は、バイトを休まなかった。


 店長が無理しなくていいと言ってくれた。

 母も、休んでもいいのよと言った。


 でも私は、行きたかった。


 怖い。

 でも、行きたい。


 その気持ちは、自分でも不思議だった。


 カフェに着くと、佐伯さんはいつも通り来てくれた。


「ホットコーヒー、Mでお願いします」

「はい」


 私の声は少し震えた。

 けれど、注文は取れた。


 コーヒーを渡す時、佐伯さんは小さく言った。


「今日、来てくれてよかったです」


 それだけで、胸が熱くなった。


 バイトが終わった夕方、佐伯さんからメッセージが届いた。

 連絡先を交換したのは、真帆が来た日の帰り道だった。もしまた怖くなったら連絡してください、と言われた。


 私はほとんど送れていない。

 でも、画面に佐伯さんの名前があるだけで、少し安心した。


『今日、少しだけ歩けますか。無理なら断ってください』


 私はしばらく画面を見つめた。


 怖い。

 でも、行ってみたい。


『少しだけなら』


 送信ボタンを押す指が震えた。


 待ち合わせは、カフェの近く。

 佐伯さんは、いつものように落ち着いた顔で立っていた。


「今日は、クイーンズスクエアの中を少し歩いてみませんか」

「中、ですか」

「はい。人は多いですが、屋内なので、途中で休みやすいです」

「……人が多いところは、少し苦手です」

「分かっています。だから、無理ならすぐ戻ります」


 分かっています。


 その言葉に、私は救われた。


 分からないまま励まされるのは苦しい。

 でも、分かったうえで待ってくれるのは、優しい。


 クイーンズスクエア横浜の中は、明るかった。

 高い天井。

 ガラス。

 ショップの灯り。

 行き交う人たちの足音。


 私はマスクの中で、浅く息をした。


 人が多い。

 声が重なる。

 誰かの笑い声が聞こえる。


 胸が少し苦しくなる。


「森川さん」

「はい」

「右側、少し人が少ないです。そちらを歩きましょう」


 佐伯さんは、私の腕を引かなかった。

 手も取らなかった。

 ただ、行きやすい方向を教えてくれた。


 私が自分で歩けるように。


 それが分かって、私は泣きそうになった。


 少し歩いたところで、雑貨店の前に可愛いマグカップが並んでいた。

 淡い水色の、海みたいな色のカップ。


 私は思わず足を止めた。


「見ますか」

「いえ、そんな」

「見たいなら、見ましょう」


 佐伯さんは当たり前のように言った。


 私は店に入る勇気はなかった。

 でも、外から少しだけ眺めた。


「こういう色、好きなんですか」

「……はい。水色、好きです」

「似合いますね」

「え」


 顔が熱くなった。


「すみません。急に」

「い、いえ」


 マスクをしていてよかった。

 たぶん頬が赤くなっている。


 そのあと、私たちはまた歩いた。

 けれど、人の波が増えたところで、胸が急に苦しくなった。


 笑い声。

 視線。

 すれ違う人の香水の匂い。


 全部が一気に押し寄せてくる。


「……すみません」


 私は立ち止まった。


「戻りたいですか」

「はい」


 佐伯さんは、すぐに頷いた。


「戻りましょう」


 何の残念そうな顔もしなかった。


 外に出ると、冷たい空気が肺に入ってきた。

 私は少し肩で息をした。


「ごめんなさい」

「謝らないでください」

「せっかく誘ってくれたのに」

「今日は、ここまで来られました」

「でも、途中で」

「途中で戻る判断ができたのも、ちゃんと進歩だと思います」


 私は佐伯さんを見た。


 この人は、どうしていつも、私が自分を責める前に別の言葉をくれるのだろう。


「森川さん」

「はい」

「無理して最後まで行くことが、成功じゃないです」

「……」

「自分で戻るって言えたなら、それは大事なことです」


 その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなった。


 私はずっと、できなかったことばかり数えてきた。

 でも佐伯さんは、私が言えたことを数えてくれる。


「佐伯さん」

「はい」

「私、今日、少し楽しかったです」

「本当ですか」

「はい。少しだけ」


 佐伯さんの表情が、驚くほどやわらかくなった。


「それは、かなり嬉しいです」


 かなり、という言い方が少しおかしくて、私はまたマスクの下で笑った。


 帰り道、私は駅のホームで水色のマグカップを思い出していた。


 欲しいと思った。

 可愛いと思った。

 似合うと言われて、嬉しかった。


 そんな気持ちを持てる自分が、まだいたのだ。


 電車の窓に映る私は、マスクをつけていた。

 でも、目元が少しだけやわらかく見えた。

最後まで歩けなかったとしても、途中で戻ることを選べたなら。


それも、優実にとっては大切な一歩です。


佐伯さんが見ているのは、できなかったことよりも、彼女が自分で選べたこと。


そんな二人が、次に目指す場所は赤レンガ倉庫です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。