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高校中退で引きこもりだった私を、みなとみらいのエリートが急かさず溺愛してくれました  作者: ちょこまろ


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4/11

第4話 昔の同級生がカフェに来た

ようやく見つけた、自分が安心して働ける場所。


少しずつ笑えるようになった毎日。


けれど、そんな優実の前に、高校時代の同級生が現れます。


何気なく口にされた言葉が、忘れようとしていた記憶を呼び覚ましてしまう。


優実が再び恐怖に囚われたとき、佐伯さんが見せる優しさとは――。

 少しずつ、ほんの少しずつ、私の世界は広がっていた。


 バイト帰りに、佐伯さんと五分だけ歩く。

 臨港パークまで行く。

 海を見る。


 それだけのことなのに、私には大きな変化だった。


 でも、過去は簡単には消えない。


 その日は、昼過ぎから店が混んでいた。

 近くでイベントがあったのか、観光客が多く、店内はいつもより賑やかだった。


「アイスカフェラテ二つ」

「チーズケーキもお願いします」

「席、空いてますか?」


 私は忙しさに追われていた。

 忙しい方が、余計なことを考えずに済む。


 その時だった。


「え」


 レジの前に立った女性の声が、私の耳に刺さった。


「もしかして、優実?」


 心臓が止まったような気がした。


 顔を上げる。


 そこにいたのは、高校時代の同級生だった。


 名前は、篠原真帆。

 いじめの中心人物ではなかった。

 けれど、いつも近くにいた。私が笑われている時、見ていた。写真を撮られた時、止めなかった。机の中のゴミを見て、口元を押さえて笑っていた。


 その記憶が、一瞬で戻ってくる。


「久しぶりじゃん。今ここでバイトしてるんだ」

「……」


 声が出ない。


 レジの画面がぼやける。

 指先が冷たくなっていく。


 真帆は、悪気のない顔で笑っていた。


「全然気づかなかった。雰囲気変わったね」

「……ご注文は」

「え、そんな他人行儀? 同じクラスだったじゃん」


 後ろに並んでいる客が、少しざわついた。

 早くしなければ。

 注文を取らなければ。

 仕事中なんだから。


 そう思うのに、体が動かない。


「でも、よかったじゃん。働けるようになったんだ」

「……」

「みんな心配してたよ。急に来なくなったからさ」


 心配。


 その言葉が、ひどく軽く聞こえた。


 あの時、誰も助けてくれなかったのに。


「でも、優実って昔から繊細だったもんね」

「……」

「まあ、今は働けてるならよかったじゃん」


 軽い。

 あまりにも軽い。


 私が三年間、息の仕方さえ分からなくなっていた時間を、その一言で片づけられた気がした。


「高校、途中で来なくなったよね。あのあとどうしてたの?」


 その言葉で、息が詰まった。


 店の音が遠くなる。

 真帆の声だけが、教室の中の声に変わっていく。


 笑い声。

 机を叩く音。

 スマホのシャッター音。


 マスクしてた方がまだマシだよね。


 頭の中で、誰かの声が響いた。


 手が震え、カウンターの上のカップに触れた。

 倒れそうになる。


 その瞬間、横から低い声がした。


「すみません」


 佐伯さんだった。


 彼は、私と真帆の間に入るように立っていた。

 いつからいたのか分からない。


「注文、先にお願いできますか」

「え?」

「後ろに並んでいる方がいます」


 佐伯さんの声は、静かだった。

 怒っているわけではない。

 でも、逃げ場のない強さがあった。


 真帆は少しむっとした顔をした。


「あ、すみません。じゃあ、アイスティーで」

「アイスティーですね」


 私はなんとかレジを打とうとした。

 でも、指がうまく動かない。


 佐伯さんが、店長を呼んだ。


「すみません。店員さん、少し体調が悪そうです」


 店長がすぐに来て、私の肩に手を置いた。


「森川さん、裏に入って」

「でも」

「大丈夫。代わるから」


 私は頷くことしかできなかった。


 バックヤードに入った瞬間、足の力が抜けた。

 壁に背中を預け、しゃがみ込む。


 息が苦しい。

 手が震える。

 喉の奥が詰まっている。


 変わっていない。

 私は何も変わっていない。


 一年働いても、昔の同級生に会っただけで崩れてしまう。

 まだ、あの教室の中にいる。


 涙がこぼれた。


「森川さん」


 少しして、佐伯さんがバックヤードの入口に立った。

 店長が通してくれたのだろう。


 私は慌てて顔を隠した。


「すみません」

「謝らないでください」

「仕事中なのに」

「体調が悪くなったら、休んでいいんです」

「違うんです。私、まだ何も変わってなくて」


 声が震えた。


「一年も働いたのに。あの人を見ただけで、何もできなくなって」

「森川さん」

「私、やっぱり普通には戻れないんです」


 佐伯さんは、ゆっくり近づいてきた。

 でも、触れなかった。

 私が怖がらない距離で止まった。


「崩れたんじゃありません」

「……え」

「戻ってこられたんです」


 意味が分からなかった。


「戻って……」

「はい。今、ここにいます」

「でも」

「昔を思い出して苦しくなった。それでも、森川さんは今、あの教室じゃなくて、この店にいます」

「……」

「あの人の前から、ちゃんと離れられた。店長に助けを求められた。僕の声も聞こえた」


 佐伯さんは、まっすぐ私を見た。


「それは、戻ってこられたってことです」


 涙がまたこぼれた。


 私の中では、失敗だった。

 弱さだった。

 何も変わっていない証拠だった。


 でも、佐伯さんは違う見方をしてくれる。


 できなかったことではなく、戻ってこられたことを見てくれる。


「佐伯さん」

「はい」

「怖かったです」

「はい」

「すごく、怖かった」


 言葉にした瞬間、胸の奥に詰まっていたものが少しだけ動いた。


 佐伯さんは頷いた。


「怖かったですね」


 ただ、それだけだった。


 でも、その一言が欲しかった。


 頑張れでも、忘れろでも、気にするなでもなく。


 怖かったね。


 そう言ってほしかった。


 私は、涙を拭きながら小さく息を吸った。


「私、あの人に会っただけで、まだこんなに……」

「森川さん」


 佐伯さんは、静かに私の言葉を止めた。


「あの人の言葉が、森川さんの今を軽く扱っていい理由にはなりません」

「……」

「森川さんがここまで来たことを、誰かが雑に笑っていい理由にもなりません」


 胸の奥で、何かがゆっくりほどけた。


 怒鳴ったわけではない。

 誰かを責めたわけでもない。


 でも、佐伯さんは、私の一年を守ってくれた。


 しばらくして、私は店長に謝り、早退させてもらうことになった。

 店長は何も聞かず、「今日は帰って休んで」と言ってくれた。


 店の裏口を出ると、佐伯さんが待っていた。


「駅まで送ります」

「仕事は」

「今日はもう終わっています」

「でも」

「一人で帰したくありません」


 その言葉に、胸が鳴った。


 駅までの道、私はマスクをつけた。

 いつもより強く、端を押さえた。


 佐伯さんは何も言わず、隣を歩いてくれた。


 改札の前で、私は小さく言った。


「佐伯さん」

「はい」

「今日、来てくれて、ありがとうございました」

「間に合ってよかったです」


 間に合ってよかった。


 それは、まるで私を守るために来てくれたみたいな言い方だった。


 私は顔を上げられなかった。


 胸の奥が、怖さとは違うもので震えていた。

せっかく前へ進めたのに、また昔の自分へ戻ってしまった。


優実はそう思ってしまいます。


けれど、佐伯さんは彼女が積み重ねてきた一年を否定しませんでした。


過去に傷つけられた心が、誰かの言葉によって少しずつ温められていく。


次回、優実は再び外の世界へ足を踏み出します。

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