帰宅後の夕食
「……ただいま帰りました」
森に囲まれた隠れ家に、クエストを終えたエレノアが少し疲れた様子で帰ってきた。
玄関の扉を静かに閉め、ぽんぽんと髪を軽く払って埃をとる。
「…思っていたよりも汚れていますね」
今日も高難度クエストをこなしてきた彼女の体は、埃と汗にまみれていた。
家の中は静かだった。ルーカス・クロウの姿はどこにもない。
「……どこいってるんでしょう、あのへっぽこ主人は」
まあ、あの男がふらっといなくなるのはいつもの事だ。
お腹がすいたら帰ってくるでしょうと思ったエレノアは、夕食の準備に頭を切り替える。
エレノアはまず自室へ向かい、クエストで着ていたローブを脱いだ。
体にまとわりついている埃と汗の感触が気持ち悪いので、すぐに浴室へ移動する。
シャワーを浴びる間も、彼女は実に効率的に動く。
軽く冷水で髪を洗い埃と汗を洗い流して髪にシャンプーをつけ、ゆっくりと泡立てながら洗う。
次に全身。夜にお風呂に入るので、とりあえず身体の汚れを落とす程度に、石鹸で彫刻のように
整って引き締まっている全身を泡立てた布で軽く擦り、最後に泡ごと洗い流す。
汚れが落ちていく感覚が心地いい。
クエストの緊張と疲れで凝り固まっていた肩の筋肉が、徐々にほぐれていくのを感じていく。
「……ほぁぅ」
シャワーを終え、柔らかいタオルで体を拭きながら、エレノアは軽く心地つく。
「…よし」
全身と髪を軽く風魔術で乾燥させ、清潔なメイド服に着替えると、エプロンを付けてキッチンへ向かう。
まだ少し湿った髪を後ろで軽くまとめ、袖をまくり上げた。
「…こうして食事を作るのも、もう習慣になりましたね」
ルーカスと暮らすようになるまでは、一人でしか食事をしたことがなかった。
というか料理なんてした事がなかった。食事なんてただの栄養摂取でしかなと思っていたし、
栄養が入っている固形物を水で流し込む生活を続けていた。味なんて気にしたこともなかった。
なので
「お前、料理とかできるの?魔族って、どんな飯食べてるの?」
「…料理とは?食事とは、栄養を摂取できればいいのでは?」
「…………マジ?」
「こんなものでしょう?これでいかがですか?」
「…お前マジで言ってるの?なにこの緑色の粘着物質?本当に俺に対する嫌がらせじゃないの?」
「?栄養素は十二分に摂取出来ますが」
「……うわぁ」
「…………………」
あの時の心底憐れまれた視線を思い出して少しイラァ!とする
思えば、あの時の表情の男をぎゃふんと言わせたくて、料理の研究を始めたものだ。
始めてみれば意外と面白く、今では立派な趣味の一つになっていた。
手順にそってレシピの水準と能率を高めていく作業は自分の魔術と親和性も高く、スキルも
どんどん伸びていった
(一度知ると、もう戻れないといいますか……昔の私は、どうしてあのようなモノを口にできて
いたのでしょう……)
知らないとは幸せな事。
ルーカスに出会い、初めてエレノアは『味覚』を知ったのであった。
今日は市場で買った新鮮な材料を使い、鳥料理を作ることにした。
『星蜜鶏の香草焼き』。
『星蜜(Star Honey)』と呼ばれる、夜に花開く星花の蜜とそれで育てられた鶏肉を使おうと思う。
「本で読んで知ってはいたのですが、現物を見るのは初めてなんですよね……」
ついつい衝動買いで買ってしまった。
普通の鶏肉や蜜と比べれば平気で5倍以上の値段(今日の報酬の半分)がしたのだが、
好奇心には勝てなかった。
「……まあ、主人に美味しい料理を提供するのも、奴隷の務めですし?」
ブツブツ言いながらも、手や身体は一部の隙もなく調理を手際よく進めていく。
黄金色の蜜で育てられた黄金色に輝く鶏肉を、
森で採れた香草と一緒にじっくり焼き上げ、仕上げに輝く星蜜を絡めていく。
エレノアは付け合わせにつくったシチューの鍋をかき混ぜながら、淡々と作業を進めていていく。
フライパンに残った油がはねる音。シチューのぐつぐつと煮える音。
「~~♪ーー♪」
鼻歌が自然と漏れていた。
柔らかなメロディーがキッチンに流れ、彼女自身もそのことに無意識だ。
「ただいまー」
しばらくして、玄関の扉が開く音がした。
ルーカスがのんびりとした声で帰ってきた。服に煤がついている。
エレノアはエプロン姿のまま、キッチンから顔を出し、いつもの辛辣な口調で言った。
「遅いですよ。ああ、服が汚れているのでさっさと着替えて食堂にきてください。
夕食の準備ができてますから」
ルーカスは鼻をひくひくさせながら近づいてきた。
「何の料理? 香ばしくて甘いがする」
「星蜜鶏の香草焼きです。今日は市場で良い材料が手に入りましたから」
ルーカスは料理名を聞いて首を傾げた。
「星蜜鶏……? 知らないけど。まあ、多分美味いんだろ?」
エレノアは少し意地悪く微笑みながら言った。
「さあ? もしかしたら今日はどれか一つだけに唐辛子の呪いをかけているかも……」
「夕食に罰ゲームのノリはやめようぜ!?」
ルーカスが慌てた顔を見せると、エレノアは薄く微笑みながら、皿に料理を盛り付け始めた。
黄金色に輝く鶏肉を美しく並べ、香草を添えて、星蜜を軽く垂らす。
彼女の動きは丁寧で、どこか楽しげだった。
「ほら、早く座ってください。冷めたら台無しになりますから」
ルーカスは着替えもそこそこに席に着き、目を輝かせた。
エレノアは自分の分も盛り付け、静かに向かいに座る。
「…………」
ルーカスがフォークを手に取るのを、つい視線で追ってしまう。
ルーカスが一口食べて、すぐに声を上げた。
「うわっ、美味っ! なにこれ、甘さと香ばしさと爽やかさが同時に口に駆け抜ける!不思議っ!」
エレノアは顔を少し背け、そっけない口調で返した。
「……当然です。なにせ今日のクエストの報酬の半分もする素材ですので。
不味いと言ったら主人の舌を疑います」
「いや、こんなの不味いわけが………え、そんなすんの、これ?」
「なにか?」
「いやまあ、お前が稼いだお金だからいいんだけどさ……」
値段をきいたとたんにちまちま少しずつ食べようとするルーカスを見て苦笑する。
「……普通の食材の方が良かったですか?」
「え?いや?これはこれでいいよ。初めての食事は面白いし、なんか上手くいえないけど、
美味しいし。でも」
「でも?」
「俺はお前の作る普通の料理が一番好きかな。お前の料理ってなんでもめちゃくちゃ美味いからな~」
「………そうですか。私としては、何を食べても美味しいとしか言えない
味覚音痴の主を持って喜べばいいのやら悲しめばいいのやら」
「いや、こっち来るまで食事すらまともにした事なかったお前には言われたくないんだけど!?」
いつも通りの騒々しい喧噪。
ただ、エレノアは下を向いたまま、ルーカスと視線を合わせようとしない。
その理由に、ルーカスが気づくことは、ついぞありませんでした。




