第55話:使徒復活
「知恵の心臓」にアンブラの闇魔法【暗黒投槍】が命中すると、それはパリンと砕け散り、粉々になった。
瞬間、使徒の動きがピタッと止まる。
それは文字通り知恵の動力源――人間でいえば脳に近いものを失ったかのように見えた。
「よし、やったっ! やったぞ、我が王っ! 我が暗黒水飴流奥義が、敵の心臓を穿ったぞっ!」
アンブラはぴょんぴょんとその場で飛び跳ね、子供みたいにはしゃいでいた。
一方、僕とキティは無言だ。
どころか不安な顔になる。
それは、なぜか?
「ねぇ、クリフ……倒したの? 本当にこれで終わりなの?」
キティが不安そうに聞いてくる。
僕は口にこそ出さなかったものの、同じ種類の違和感をこの状況に抱いていた。
つまり、そう……急所を潰されたはずの敵の体が、崩れることも、消えることもなく、存在し続けていることへの違和感だ。
「わからない。でも様子がおかしい。神の使徒なんて名前だけど、こいつも魔物である以上、倒せば死体は消えるは――」
ず、という言葉を言い切る前に、状況に変化が訪れた。
砕け散っていた「知恵の心臓」、すなわち赤い宝玉の欠片がふわりと宙に浮き上がり、まるで時間が巻き戻るように使徒の胸へと集まり始めたのだ。
キティの判断は早かった。
彼女は浮かれるアンブラの肩を強引にぐっと引いて、自分の胸まで抱き寄せる。
「む、なんだ? どうした、キティ? 勝利のハグということか?」
「違うわよ、この馬鹿スライムっ! 状況をもっとよく見なさいっ!」
キティは使徒を指差し、叫んだ。
彼女の懸念は当たっていた。
僕らが見ている間にも使徒の宝玉はみるみる再生してゆき、気付いた時には傷1つない元の状態に戻っていたのだ。
その指先がピクリと動く。
それを皮切りに体が動きだし、活動が完全に再開される。すると、そいつの視線はキティたち……いや、アンブラに固定される。
「――っ! キティ!」
「わかってるっ! セリム【神聖魔導結界】っ!」
再びキティはカーバンクルに聖属性の結界を張らせた。
結果的に、それは正しい判断だった。
なぜなら、そう。あと1秒でも魔法が遅れていれば、使徒の拳は確実にアンブラを爆散させていたに違いないからだ。
ガキン! ガキン! ガキン! ガキン! ガキン! ガキン! ガキン!
使徒はこれまでで、もっとも激しく、もっとも苛烈な勢いで、セリムの張った結界をめちゃくちゃに乱打し始めた。
それはもう「興味」などではなく「ヘイト」と呼べるものだった。
怒ってる、それも猛烈に……っ!
使徒の行動は今、完全に、おもちゃをいたぶる遊びから獰猛な狩りに変わっていた。
どうしてだ!? どうして、こんな理不尽が起きる!? 「知恵の心臓」はこの敵の弱点部位ではなかったのか!?
いや、違う! と僕は思う。
一瞬、動きを止めたこと、何よりこれほど明確に怒りをあらわにしているのを見ると、きっと急所ではあったのだろう。
だが、まだ何か条件が足りない……果たして、それはなんなのか!?
「ピエール、行ってっ!」
キティがマンティコアに指示を出す。
彼女のしもべは他にもいるが、使徒になぶられ続けたことで、ずたぼろになったクリスティは誰がどう見ても戦闘不能だ。ゆえに彼女が操れる駒はピエールだけになっていた。
人面獅子は背後から荒ぶる使徒に覆い被さると、そいつを一度仰向けにして、牙や爪などの攻撃を「知恵の心臓」に集中させた。弱点部位を再び狙う、キティらしい合理的な判断だ。
ただ問題があったとすれば、その宝玉が硬すぎて、決して低くないはずのマンティコアの攻撃力をもってしても傷1つ入らなかったということだ。
思えば、全身に雷を浴びた時も、この宝玉は壊れなかった。闇属性の攻撃以外は通らない仕様なのだろうか?
でも、アンブラを出すわけには……っ!
僕は葛藤する。
さっき攻撃を当てられたのは、あくまでも使徒が生まれたばかりの「お遊びモード」だったからだ。
もしアンブラを結界から出せば、今のこいつは真っ先に、脅威となりうる彼女のことを本気で潰しにかかるだろう。
そうなれば、きっとアンブラは〝死ぬ〟。
戦闘不能状態などという生やさしい仮の死ではなく、二度と再生することのないゲルの破片になってしまう。
なんていうことを考えてるうち、戦局は大きく動いていた。
本気モードと化した使徒が、たわむれてくるピエールをそのままにするはずは当然なく、そいつは巨大な四足獣を単純な膂力だけで、いとも簡単に押しのけた。
そこから先の展開は、あまりに一方的すぎて描写すべきことがあまりない。
硬い体で、殴る、蹴る、這いつくばったら踏み付ける。
そんなシンプルな暴力で、そいつはタフな前衛化合獣《キメラ》を、ぼこぼこに痛め付けたのだ。
やがて「オォォォォォォォォン!」と人間の声に似た悲鳴を上げたピエールは、先に地に伏したクリスティと同じく戦闘不能になってしまう。
戦えるのは、僕とルミナだけ。
だがアンブラがいなければ、弱点の宝玉は壊せない……
「もう駄目ね。終わりだわ……」
キティがついに匙を投げる。
そう思うのも無理はない。
もう後、彼女にできるのは、いつか確実に壊される結界を、ただ維持し続けるだけなのだから……
「マスター、申し訳ございません。この状況を打破する方法をどうしても思い付けません……」
と、いつの間にか隣に近付いていたルミナがふいに、暗い顔をしてそう言ってくる。
「ルミナが謝ることじゃないよ。僕だって同じなんだから」
「そうですか。では仕方のないことですね……。でも、ご安心くださいマスター。私は最期まで、ご一緒します。決して逃げたりはいたしません。我らは一蓮托生ですから」
ルミナはぎゅっと隣から僕の右手を握ってきた。
そんな僕らの目の前で、邪魔者を排除し終えた使徒が、ゆっくりとキティたちに迫る。
諦めムードが漂う中、ふいに癇癪を起こしたようにアンブラがその場で地団駄を踏んだ。
「ええい、くそっ! 歯痒いぞっ! この我のなんたる無能なことかっ! もし我にルミ姉のような能力があれば、あのような敵、我の荒ぶる暗黒魔力を持って、今にも瞬殺できるのにっ!」
恐らく、それは彼女なりの、悔しさの表明だったのだろう。
だが、その言葉を聞いた僕ははっとなり、まずアンブラを、次に隣のルミナを見つめる。
「アンブラ……今、なんて言った?」
「む? ええい、くそっ! 歯痒いぞっ! と……」
「違う、その後だ! 今、こう言ったよな!? 我にルミ姉のような力があれば、あんな敵、瞬殺できるのにって!」
「言ったが、それがどうしたというのだ?」
「妙案を思い付いたんだ……このくそったれな状況を、ひっくり返せる妙案をっ!」
そう言った僕は念話によって、今、思い付いたアイデアを、ただちにしもべたちに共有した。




