第38話:冒険者クリフ・カリオスの決断
カリオス邸の浴室には、このグレードの物件になら今や標準搭載されている魔道式熱水生成機――いわゆる「シャワー」が付いていない。
代わりに大きめにバスタブが中心にでんと鎮座している。
お湯を張り、入るものではない。
代わりにもっと粘度の高いとある特殊な液体が毎晩注入されるのだ。
その粘液の色は日によって違うが、ピンク、紫、黒の3種類である。
今宵、浴槽の中を満たしていたのは、まるで夜そのもののような漆黒の暗黒水飴風呂だった。
全裸に腰布状態の僕は、大事なところがかろうじて隠しただけのひどく無防備な格好で、そのゲルの中に片足を浸ける。
――さあ、我が王よ来るがよい。ククク……躊躇でもしてるのか? 一気に我に全身を入れ、今宵の夜会を楽しもう。
頭の中に響いているのは、しもべの1人アンブラの思念。
スライム浴――それはダンジョンの最深層で始めるようになり、今に至るまで続けている、恐らくこの世界で僕だけが知っている謎の健康法(?)である。
そのやり方は至極単純。
普段、人型のスライムたちを本性であるゲルの姿に戻し、その中に全身を浸けるというものだ。
なんか、こう書くとものすごい変態行為をしもべに強要しているみたいだが、あくまでもこれは健康法+健全なスキンシップであって、それ以上の意味はないと思ってる。
――んっ、マスターが体内に入ってるきますぅ……
などと、約1匹、行為中に妙な声を上げる者もいるが、それはそれ。
どちらかというと、このアンブラは行為を主従の絆を深めるためのカルト的な儀式として楽しむタイプのしもべである。
僕が全身をゲルの中に浸け、完全に〝呑まれる〟体勢を取ると、アンブラは適度に体温を上げ温感を刺激してくれる。
加えて彼女は血流に乗せ適度な魔力を流し込み【鎧化】の際に酷使しがちな全身の魔力回路をやさしくほぐしてくれるのである。
――どうだ、我が王? 我のゲル加減はいかがかな?
――んっ……いい感じだよ。
――フフ……そうか。しもべ冥利に尽きるな。
そのままアンブラは保温を続ける。
この独特の感覚が忘れられず、僕は地上に出た後も彼女たちを使ったスライム浴を習慣に取り入れているのであった。
僕はぬくもりに包まれながら今日あったことを思い出す。
突然やって来たフラメル伯、そして舞い込んだキティ捜索の依頼。
明日も来るとか言ってたな……
なんて言ったらいいんだろう?
――昼間のことを考えているのか?
と、心の思念が漏れたのか、アンブラが急に聞いてくる。
――ん、まあね。どう断ろうか悩んでた。
――断ろるのか?
――当たり前だよ。また深層に行くなんて、考えられない話しだし……
ああ、そうだ。考えられない。
僕には今の生活があるし、その生活はとても充実している。
――だが提示された金額を見たであろう? 滅多に手に入らない大金だ。
――それはわかってるし、魅力的だ。でも僕が動く理由としては弱い。
――我らと中層に潜ればいいからか?
――ああ、そうだよ。今のままでも十分、僕らは恵まれた生活を送れてる。
僕は自分の考えを改めて心の思念にした。
僕らはすでに深層を踏破し、一攫千金を手に入れた。
基本、その日暮らしの冒険者にとって自分の屋敷に住むなんてことは夢のまた夢の話であり、中層での採取を続けていれば、このそこそこ裕福で満ち足りた暮らしを維持することができるのだ。
それなのに、どうしてまた深層の危険な仕事をする必要があるだろう?
――自業自得だよ。
僕は独り言のようにそう言った。
実家を追われた僕とは違い、キティは相手を選り好みしなければ結婚という安定した道を自ら選ぶことができたはずだ。
それなのに自分からダンジョンに潜り、その深淵に呑まれてしまった。そんな相手を助けに行く義理が果たして僕にあるだろうか?
――その女のこと好きだったのか?
――へ?
――安心しろ。我はルミ姉とは違い、我が王が人間の女に懸想したとても別になんとも思わない。
アンブラからの問いかけに、僕は〝まさか〟と思念を返した。
許嫁という関係上、僕とキティは子供の頃から頻繁に顔を合わせていたが、仲が良かったかと聞かれると、正直首を傾げたくなる。
とにかく活発で、快活な少女。それが当時のキティの印象だ。
ある時は森に黄金のカブトムシがいるという噂を聞き付け、その捕獲に同行させられたり、またある時は別の貴族の男の子に「女のくせに」と言われたことに腹を立て素手の決闘を申し込んだりなどなど……
彼女のお転婆エピソードは、それこそ枚挙にいとまがない。
でも不思議と嫌いにはなれなかった。
弱虫クリフと罵られ、顔を合わすたびに頭をぶたれていたけど、それでも僕は彼女に対して、どこか憧れに近い感情を抱いていたのは間違いない。
――なるほどな。では、憎からずは想っていたわけだ。
――子供の頃の話だよ。今は多分……何も想ってない。
――本当にそうか?
――何が言いたいの?
――いやな、我が王よ。なんだか我はさっきから、その女を助けない理由と同じくらい、その女を〝助ける理由〟を探している気がしてならんのだ。
そんなことは……と言おうとしたけど、咄嗟に言葉が出てこなかった。
――そもそもなのだが、我が王よ。なぜ今日の夜の共に我を選んだ? ローテ的には本来今日はルミ姉に入るはずであろう?
――そ、それは……なんとなくだよ。
――いいや、違うな。ルミ姉は現実主義者だから、王の質問にはこう答えたはずだ。〝そんな身勝手な女のためにマスターが危険を犯す必要はありません〟〝マスターにはすでに私たちがいます。これ以上、何が必要ですか?〟とな。
アンブラの思念真似は完璧だった。あまりに模倣が上手すぎて、まるで目の前に本当にルミナが立っているような気さえする。
――我が思うに、我が王よ。王はもっとこう理屈を超えた反対意見みたいなものを我から引き出したかったのだ。たとえば男気を見せろとか、義理人情を示せとか、そういう感じの意見をな。
――そ、それは……
――しかし、我が王よ。我もセラ姉やルミ姉と同じく、主の命令を忠実にこなす錬金術師のしもべにすぎない。だから直接、意見は言わない。王が行くと言えば付いていくし、行かないと言えばそれに従うまでだ。
――つまり自分で決めろって?
――有り体に言えばそういうことだ。
思わず僕は苦笑した。
全て見透かされてしまっている。
確かに僕は心のどこかで、今浸かっているシャドウスライムに助言を求めていたのかもしれない。
僕はしばらく考えた後、漆黒のゲルの中で自らの頬をぱんぱわ叩いた。
――ねえ、アンブラ。正直に言うよ。僕はやっぱりキティのことは好きでも嫌いでもないと思う。でも、だけど、それでもさ、このまま窮地を見て見ぬふりするには存在が大きすぎるんだ。
――つまり、助けに行きたいと?
――ああ、そうだね。認めるしかない。これは君たちに聞きたいのだけど、もし僕が人生でもう一度だけ〝冒険〟したいと言い出したなら、また付き合ってくれるかい?
「当然です」
「セラも、いくー」
その声は浴室の外から聞こえてきた。
どうやら今までまでの念話を盗み聞きされていたらしい。
僕はゲルから立ち上がり、肺に空気を取り込むと自らの声でこう言った。
「ルミナ、マルテにこう伝えて。明日からしばらく家を開けるって」
ミニスカメイドは「御意に」と答えた。
僕はみんなに礼を言う。
こうして僕は酔狂な決意を固めるに至ったのだった。




