第七話 気付きと、開花。
玲一が奈々穂と待ち合わせた駅に着くと、指定の場所に妹の姿を確認することは出来なかった。やれやれ、とため息一つ電話をかけると、ちょっと気になる店を見つけたから少し遅れる、どこかで時間潰しててと切電された。
「・・・電車賃ないから迎えに来いって話じゃなかったっけ?」
あいつ一人で街中うろついてて大丈夫かな、と兄らしい心配は浮かんだものの、何かあれば電話してくるだろうし、子どもといえ女の買い物に付き合うのもどうかと、駅周辺を散策してみる事にした。呼び出されたこの駅は、通過駅としての認識はあったものの、実際に降り立つ用事もなく、こうして線路外の風景を眼にするのは初めてだった。
表側は開けており、様々な種類のテナントを有するビルが建て並び人が賑わっていたが、裏手は少し駅から離れると緑豊かな大きな公園があり、その公園を突っ切ると、なだらかな河川敷が目に入った。玲一は草っぱらに腰を下ろし、奈々穂にメールで居場所を伝え、対岸のグラウンドで野球の練習をしている学生たちの様子を眺めた。
「のどか・・・っつーか、平和だよな。実際。」
立膝に肘をつき、両手に顎を乗せる。はぁ、と大きくため息を一つ。アルファは大和と剣しか対峙していないため、ネズミ人間という表現しか聞いていない。となると、今後目にするであろう『半獣落ち』も、何かしらの獣人間であることは推測される。玲一は静かに、顔を両手で覆う。
「戦う、戦わない、命の危険とか以前に・・・オレ、対峙できるんかな?」
剣にも話したことはなかったが、玲一は実はゾンビ系のドロドロとした得体のしれないホラーな存在が、からきし駄目だった。幼い頃に見たゾンビ映画がトラウマとなり、その昔、お化け屋敷で意識が飛んで暴れた事もあった。
「こないだの土人形の時だって、気持ち悪いー!ってなった後ほぼ記憶ないし。全く役に立たないまま、剣くんめっちゃ重症になってたし。役立たないどころかマジ足引っ張るんじゃねぇかって不安しかないわ。」
あぁ、もう!!っと、叫んでそのまま草っぱらに寝転がる。青が残っていた空が、すっかり夕焼けの赤に染まった、その空を見た瞬間。
玲一の視界はぐにゃりと歪んだ。地震が起きたかのように身体が揺らいだが、そうでは無いことを反射的に察する。
「・・・っ!?」
急ぎ身を起こそうとするが、世界と身体が歪むような大きな違和感に襲われ、その場に倒れこむ。体制をそのままに視線だけを動かし、辺りの様子を窺うと、夕焼けに染まった空と別に、空間が色づいたような感覚に襲われた。そして考えるより先に、その言葉を叫んだ。
「ガーディナー・コネクト・オン!ついでに、プロテクト・オン!!」
左腕のプロテクターが作動する。それと同時に、圧し掛かるような重力が半減し、身体を起こすことに成功した。先ほどまで重たくて吸うことが困難だった酸素が、急に肺に流れ込み玲一は咳込んだ。
「ごほっ、ごほっ・・・。なっ、ん・・・なんなんだよ、これ・・・っ?あったま痛っ・・・。耳鳴りうるせぇ・・・!」
身体の自由が戻り、空気に馴染んだその時。肌にぴりっとした衝撃が走った。生物の本能で、身の危険を察知した時に反射的に起こったであろうその感覚に、玲一は土手の上側を見上げた。
紅く染まる空。日常的な風景の中に、大きな違和感が存在する。河川敷の上手の歩道に、頭が牛の人型の何かが立っている。見覚えのある、牛乳のパッケージに描かれる白黒の模様があるホルスタインではない。そう、ミノタウロスと呼ばれるゲームか何かで目にしたことのある、それに似た何かが、そこにいる。自分より一回りも二回りも大きく見えるその半獣は、甲冑を身に纏い手には大きな斧を持っている。そしてその視線は、こちらに向けられているようだった。
(凶器持ってる時点で、明確な殺意が伺えますねー。わぉ、オレ、詰んでんじゃね?)
あからさまな窮地に陥ってなお、玲一は冷静に状況を分析していた。ホラー恐怖症など、とっくにぶっ飛んでいる事にも気付かずに。
「大和、『半獣落ち』が発現しました!・・・同地点にガーディナーの反応?・・・これは、木村様っ!?」
大和と虎路は、表向きの仕事である大和ガーデンホームの研究室でその異変に気付いた。手元のプロテクターの位置情報から読み取るに、未知の『半獣落ち』と玲一がほぼ同位置に存在しており、それが何を意味するのかを二人は瞬時に悟った。
「不味いねぇ、今一番『半獣落ち』に合わせちゃいけない人間が、ばっちり対面しちゃったのか・・・。とにかく、僕は今すぐ出るよ。トラはキムっちが死なないように、どうにかフォローできるだけしてあげて!カノちゃんへの指示も頼む。」
「了解しました!」
大和は直ぐに研究室を後にし、残った虎路はマスタールームに移動しつつ、プロテクターより玲一への交信を試みるも、通信回路が繋がらない。
「新たな『半獣落ち』の『結界』に遮断されている可能性が高いですね・・・。」
プロテクターを操作しつつ、剣の位置を確認する。自分の現在地とほぼ変わらぬ位置にいるようで、どうしたって直ぐに駆けつけることは叶わない。一縷の望みをかけて、剣にも発現ポイントへ向かうよう連絡を入れる。
「・・・プロテクターがあるとはいえ、『契約者』ではない生身の人間である木村様が『半獣落ち』とまともに渡り合えるとは思えません・・・。大和、鹿蔵様、どうか、間に合ってください・・・!!」
人間、本当の窮地に立たされると、何故だか逆に冷静になる件について。玲一は張りつめた緊張の中、目の前の『半獣落ち』を見つめていた。牛の半獣の口元が動く度に、空気が波打つように肌をピリピリと刺激したが、その音が何を意図しているのかは理解できなかった。
(なんっつーか、たぶん、アレ。何かしゃべってんだよなぁ。名乗ってたり、講釈を垂れてたりしてんじゃないかな、たぶん。敵さんにありがちな「よく喋るやつ、すぐやられる。」みたいな。でもなぁ、しゃべってるっぽい雰囲気は感じるんだけど、声として認知できないんだもんなぁ。剣くんの話からして、剣くんや大和さんはネズミ人間と会話してたみたいだし。違いと言えば、『契約者』かどうかってやつ?・・・いやいや。こんな時にいきなり『門番』が現れたりなんてご都合主義的な展開はさすがに・・・。)
危機的状況において、脳内で冷静に相手を馬鹿にしていた玲一は、ふと思考を止める。
「いや、ご都合主義じゃない。何の目的もなく現れるか?剣くんの『門番』だって、それを狙って土人形が現れた。土人形はアルファの手駒。・・・なら、『半獣落ち』が現れたこの辺に『門番』がいてもおかしくないだろ。」
独り言のようにぶつぶつと呟き集中していると、ふと、辺りが暗くなった。はっと顔を上げるとウシ人間が至近距離から振りかぶり、一閃。玲一は反射的に反応し、地面を蹴り上げ後ろに大きく跳んだ。反動で草っぱらを転がり、勢いよく川に落ちる。
川中で慌てて体制を立て直し、ウシ人間の方向を確認すると、言葉はわからないが何か怒っている雰囲気を感じ取った。
(さっきの推測が当たったとして。我が名はなんとかかんとか、愚かな人間よ、『門番』を渡せ~とかなんとか色々言ってたとしたら。ノーリアクションで返されたら恥ずかしくてブチ切れ案件ですなぁ、そら。つーか、マジ聴こえないんだもん。しょうがなくね?・・・しかし、自分がなんでこんなに冷静なのか。そっちのがこえぇわ・・・。)
自分自身では気付きにくい特徴。玲一のそれは、観察力と分析力。普段は難しい事を考えるのは苦手、と思考を放棄しているように思えるが、実際のところ日常生活の中で常に発揮しており、それは他者に対して行われていた。空気を読み、その場をコントロールすること。いつもはツッコミと言う名のレシーブを行い、無意識で話題の主導権を握っていた。
周囲に気遣うべき他者のいない現況で、玲一はその能力を全力で目の前の『半獣落ち』に向けていた。本人は自覚のないまま。
とにかく、足場の悪い水中から移動しなければと身体を動かそうとすると、ズキッと激しい痛みの衝撃が全身に走る。堪らず苦悶の表情を浮かべ、痛みの元を確認すると、左腕に大きな切り傷があり、そこから大量に出血していた。
「ですよね~・・・。さすがにそう上手く避けきれるわけなかったか・・・。」
変わらず、ウシ人間は何かを訴えている。目算では十分な距離を感じるが、先ほどの状況を考えると、相手は一瞬でこの距離の間合いを詰めてくることがわかりきっていた。
逃げようもなく、戦う術もない。さらに言えば命乞いする交渉の手立てもない。絶望ってこういう状況を指すのか、と左腕を抑え、その出血量に遠のく意識の中。今、一番耳にしたくなかった声が、聴こえた。
「お兄ちゃん!!!!!」
聞き慣れた声の方角に顔を向けると、河川敷の上手に妹の奈々穂が真っ青な顔をしてこちらを見下ろす姿が目に入った。急いで視線を移すと、ウシ人間もそちらを見ている。違う、この状況こそが絶望じゃないか。駆け寄ろうとする奈々穂に、玲一は大声で叫ぶ。
「来るな!!逃げろっー!!!」
数刻前。居所をメールで知らせた自分をぶん殴りたい。そう思いながら、ウシ人間に向かい走り出す。策など、ない。ただ、注意を自分に向けたかった。残念ながら、思いは虚しく。跳んだウシ人間は一瞬で奈々穂の傍らに立ち、その小さな体を片手で掴み上げた。
「玲にいちゃ・・・。」
遠目でも、恐怖に怯えたその表情が伝わってくる。怒りが全身を支配したその時、玲一の視界が反転し、一瞬にして全く別の風景が眼前に広がった。
「・・・奈々穂!!!くそっ、なんだここ!?」
辺りを見渡しても、奈々穂もウシ人間も見当たらない。それどころか、先ほどまでいた河川敷と全く違う景色に、玲一は混乱した。一面の、花畑。花びらが舞い、甘い香りが漂う空間。柔らかで温かな、風がふわりと肌を撫でる。死線から一転、さすがに状況整理に脳が追い付かず、茫然と立ち尽くす。
ふと、くいっ、と上着の裾を後ろから引っ張られ、がばっと振り返る。そこには見たことのない外人のように色素の薄い容姿をした子どもが一人、立っていた。
「・・・???夢でも見てるのか、オレ。・・・考えたくないけど、一瞬で天国来ちゃったとか?お花畑だし?・・・いや、ないないないない。」
頭を全力で横に振る。あの状況からの自分の死は、奈々穂の死に直結するものである。そんな不吉な事、考えたくもない、とかぶりを振る。そんな玲一の様子を、ニコニコと目の前の子どもは眺めている。柔らかな、金にも銀にも見える髪。肌も髪も、色素が薄く、透き通るような瞳でこちらを見つめていた。天使、という表現がしっくりくる容姿である。
「ねぇ、お兄ちゃんなの?」
子どもは、玲一に尋ねる。質問の意図は理解できず、しかし膝を曲げ視線を合わせて玲一は答える。
「あぁ、オレは七人兄弟の長男だよ。お兄ちゃんだね。まぁ・・・あいつら、オレのこと兄とか思ってないんだろーけどなぁ・・・。君は?どうしてここにいるの?・・・ここが何処か、なんでオレがここにいるか、知ってる?」
玲一は、真っ直ぐ子どもの目を見て、一つ一つゆっくり言葉を伝えた。ニコっと微笑み、子どもがそれに答える。
「そっか。ぼくは、メーアに逃げなさいって言われて、こっちにきたんだ。さっきの、『半獣落ち』。あいつらに捕まっちゃだめだって言われたの。だから、こっちで、隠れてたの。ここは、誰にも見つからないようにって、ぼくがつくった場所。あっちに似せてつくったんだ。お兄ちゃんはね、ぼくがここに呼んだの。」
「メーア・・・その人は、君の家族かな?『半獣落ち』に捕まっちゃだめって言われたのか。君は、なんでオレをここに呼んだの?見つかっちゃ、ダメなんじゃないの?」
「メーアはね、ぼくと同じ『鍵の子』。でも、なんでも知ってて、ぼくたちに呼び名をくれたんだ!ぼくはね、ピサンリっていうんだ。・・・かぞくは、わかんない。お兄ちゃんを呼んだのはね、さっき、女の子がお兄ちゃんって言ってて、女の子みてから、お兄ちゃんの中にすごく“たいせつ”がひろがったの。お兄ちゃん、あの女の子、たいせつ?」
玲一は、どこか頭の片隅で、目の前の子どもー・・・ピサンリが、そのメーアという子が、『門番』であると結論付けた。そして、『半獣落ち』の手の中で、恐怖に震え泣いていた妹の姿を思い出し、自分の不甲斐なさへの怒りが込み上げていた。
「・・・たいせつ。大切なんだ、守りたい、いや。守らなきゃいけない。・・・ねぇ、ピサンリ。ボクを元の場所に戻してくれないか?」
ピサンリは、疑問の表情を浮かべ、玲一に問いかける。
「元の場所に戻ったら、お兄ちゃん死んじゃうよ?」
直球の言葉に思わず吹き出しつつ、玲一はにっこりと微笑み、ピサンリの柔らかな髪を撫でる。
「うん。それでも、戻らなきゃ。オレ、お兄ちゃんだから、大切な妹を守りに行かなきゃいけないんだ。」
ピサンリは、真っ直ぐ玲一の視線を捉える。
「お兄ちゃん、ぼくのお兄ちゃんになってよ。そしたら、ぼく、お兄ちゃんの力になる。」
玲一も真っ直ぐ、ピサンリに答える。
「わかった、ピサンリ。お前は今から、オレの弟の一人だ。オレは木村玲一。力を貸してもらう代わりに、オレはお前を全力で守る!」
ピサンリは、嬉しそうに笑った。その姿と、周囲の花畑がサラサラと形を失い、光に包まれた。
玲一は左足に強い衝撃を感じ、眼を開けると、紅く染まった空が視界に飛び込んできた。
「貴様!!『門番』をどうやって手に入れたのだ!?」
初めて耳にする低く響く声に顔を向けると、奈々穂をその片手に握ったままのウシ人間がそこにいた。『半獣落ち』の声が認識できた。そして、『門番』を自分が手に入れたとヤツは言っている。視線を落とし、衝撃を受けた左足を確認すると、足首に蒲公英に似た形の紋様が浮かんでいる。
「ピサンリが『門番』、紋様が『契約者』の証って事かな。まぁいい、後でいくらでも考えりゃいい。・・・なぁ、アンタ!オレは木村玲一って言うんだけど。さっきまで色々喋ってたみたいなんだが、オレ言葉がわかんなくて聴けてなかったんだよ。もう一度お願いできませんかね?自己紹介とか、なんとか。」
玲一は、敵の手の内の妹を助ける寸断を練っていた。一瞬で、その命を奪われておかしくない状況。それを打開するための、手立てを考えるための時間が必要だった。あとは、敵の性格次第と睨み、種を巻いたところ、相性が良かったのか相手は玲一の話に乗ってきた。
「・・・なるほど。どおりで先ほどから、全く我の言葉に反応が無かった訳か。『門番』が、我々と『地球』の通訳を成すという事か。・・・ふむ、興味深い。
キムラレイイチ、と言ったな。名乗り、正直に状況を申し出たその礼に対し、我も礼を尽くそう!我が名はエルナト。我々は箱庭の呪いで、この半身を獣と化してはいるが、元々はこちらの住民。元を辿れば、貴公らと何ら変わりはない存在である!!我々は、ただ故郷に戻る、その悲願を成就すべく『門番』を集めている。協力はしていただけぬか?!」
エルナトの言葉に、玲一はニコニコと仮面フェイスを作り静止した。
(ん、もーさー、ほんとさー、ガーディナーになって、マジでツッコミ追いつかないっての。・・・まってまって?牛、今、なんつった?大和さんも袴田さんも、ほんっと、牛さんも、悪いとこ!情報量いっぺんに出すのやめてくれ・・・!!)
喉まで出かけた文句を飲み込み、深く息を吐き。まったと左手を上げ、玲一は口を開く。
「あの・・・、エルナトさん?あなた、元人間ってのは聞いた気がするんですけど。で、こちらが故郷っておっしゃいますと。箱庭の呪いって、えー、えー・・・ダメ。さすがに頭がパンクする。
ねぇ、エルナトさん。協力検討するのはいいんですけど、出来ればその右手に掴んでいる女の子を手放していただく事はお願いできませんかね?」
さすがの情報量に、考えることをさて置いて。しれっと人質解放を申し出てみると、エルナトは自身の右手を見て困惑する。
「これは・・・、いつの間に・・・?」
呟き、そのまま動かなくなったエルナト。玲一が下手に動けず、その様子を見守っていると突如その巨躯が震えだし、右手の中で固まっていた奈々穂が肢体を締め上げられ、その痛みに悲鳴を上げる。
「奈々穂!!」
刹那。空間を切り裂くように、後方から飛び出た斬撃にエルナトの右腕が空を舞う。身体を離れ、力を失った手のひらから零れ落ちた少女を、飛び出た人影が受け止める。
その一瞬の出来事に玲一は微動だにできず立ち竦んでいたが、妹を抱きかかえたその人影の正体に気付き、全身が安堵感に包まれ泣きそうな顔で叫んだ。
「剣くん!!!」
「遅れてすまん。・・・よく、がんばったな。」
剣は玲一に微笑みかけ、抱えた少女の呼吸を聴き、気を失っている事を確認すると視線をエルナトへ移した。慌てて玲一も顔を視線の先へ向けると、右腕を切り落とされボタボタと血を流しながら跪いて呻くそのエルナトの姿が映る。流れ落ちる夕陽に照らされたその血は赤黒く光り、“元は人間だった”という情報が脳裏を過り何とも言えない感情に襲われた。そうして二人がエルナトの様子を窺っていると、カタカタと巨躯を揺らしながら小さく呟いていた言葉が徐々に大きく聞こえてきた。
「ち・・・がぅ、違う、違う違う違う違う・・・違う!!!」
大気を震わせるような叫びに、緊張が走る。先ほどまで普通に会話していた相手の豹変ぶりに、玲一は戸惑いを隠せない。声をかけたいが、とても口を挟める雰囲気ではない。
「チガウ!!!私は獣堕ちナドではないっ!!・・・堕ちてナドいないっ、コレは神聖なカミのスガタ。神の化身となり、厄災を逃れた虫けらドモを滅ぼし、この地に、戻るのだ!!!我々は、その権利をユウするっ!!」
蹲り、口端から泡を吹きながら、先ほどまでの理知的な言葉遣いと落ち着いた声とはかけ離れた、不安定な抑揚で言葉を発するそのエルナトの姿に、玲一は違和感を覚え目を凝らす。揺れる、その姿に覆いかぶさるような黒い影と、人間そのものの形をした人影が重なって映る。
「・・・っ、そうではない!!この、醜い姿が神だとは思わない!違う!!我は、我々は・・・帰りたい。・・・ただ、それだけだったのに・・・。」
ノイズの入ったような、怒りに満ちた濁った声と、泣き出しそうな低く響く二つの声が、エルナトから交互に発せられる。片手に気を失っている少女を抱き留め、様子を窺っていた剣はちらりと玲一を見る。食い入るようにその様を観察している玲一に声はかけず、同じように視線を戻した。直後、玲一がエルナトに向けて声を放つ。
「エルナトさん!あんた、どっちだ?!」
質問自体に深い意味はなかった。ただ、エルナトの中に二つの相反する意識が混在していると考えた玲一は、その主導を握るのが、話が通じる方か通じない方かをハッキリとさせたかった。半分とは言え、元人間となれば正直に、自分や剣の手で止めをさすことに躊躇いがあったからだ。玲一の問いかけに、エルナトは身体の震えを止め、静かに顔を上げた。燃えるように赤く光っていた二つの眼は、穏やかに静かに沈んだ青い光を放っている。
「・・・キムラレイイチ。・・・我は、そうか・・・。もう、我は我で無くなってしまうのだな。人質を取るなど、そんな姑息な真似を、してしまっていたのだな。・・・耐えられない。化物に身も心も堕とし、この地を破壊するなどと、耐えられない。」
そう、静かに呟くと、エルナトは残った左の手に掴んでいた斧を、真っ直ぐ天に投げ上げた。ふいの行動に剣は身構えるも、その軌道に困惑した。それは玲一も同じだった。
「キムラレイイチ!最期に貴様に会えたことを幸運に思う!!」
そう、叫んだエルナトの首に、先ほど放り投げた斧がすとん、と落ちる。勢いよく、鮮血が飛んだかと思えば、一陣の風と共にサラサラと崩れ落ち、まるで幻だったかのようにその全てが風に舞った。キラキラと、その粒子が空に瞬き消え去ると、主を失った為か周辺の『結界』が解除され、沈み落ちた太陽の残光が空を赤紫に染めていた。




