閑話その① 朝ごはん
ビルの隙間から姿を現した朝陽が、冷たい街を優しく温かい光で包み込む早朝。キッチンからトントン、と朝ごはんをこしらえる包丁の音が聞こえてくる。コンロでは鍋からぐつぐつと何かが煮える音が聞こえる。そんな、のどかな時間。
「ふわぁああ~。」
玲一は大きなあくびを手で隠すことも無く、テーブルでだらけていた。
「こら、玲一。もうすぐ出来るから、箸くらい運べ。」
システムキッチンのコンロ前に立つ剣は、慣れた手つきで鍋の中でくつくつと煮える汁物に味噌をとかしている。昆布といりこの出汁に味噌の香りが加わり、部屋中に流れていく。
「いや、ホントさ・・・昨日の今日で、いきなりあてがわれた部屋でよ。いきなり朝飯作るって、剣くんの神経ってどうなってんのさ。しかも手間のかかりそうな和食。」
玲一はテーブルに顎をのせ、朝から元気にてきぱき動く剣を眠そうに見つめた。
「なんだ、いらんのか。」
「いえいえ、手伝いますとも!」
剣がぼそっと呟けば、玲一はがたっと椅子から立ち上がり、あわててキッチンに手伝いに入った。ものの数分で、テーブルには炊き立ての湯気が立つ雑穀ごはんに、とうふとわかめとあさつきの味噌汁。だし巻き卵に、開き干しの焼き魚、数種の漬物に焼き海苔まで揃っていた。
「いただきま~す!」
手を合わせ、箸をとり、味噌汁をすする。
「ううう、・・・うまい。味噌汁うまい。」
「そこまで言うほどじゃないだろう・・・。」
オーバーリアクション気味に味噌汁を味わう玲一に、呆れ顔の剣。その目の前に右手人差し指をぴしゃりと突きつけ、玲一は語りだす。
「剣くーん。昨日までの、そしてこの非、日常!!都心の一等地の高層ビルの一室!このバカ広い部屋!個室みっつもあるし!こんなんあてがわれて、もはやよくわからん仕事についちゃって、これからどーなるんだか~ってなってるときに、この味噌汁!!・・・日本人で良かったって心から思っちゃうね。」
一人じーんとなっている玲一を放っておいて、剣は漬物を口に運ぶ。噛みしめると、ぽりぽりといい音が鳴る。
「うっわ・・・シカトだ。」
「飯くらい静かに食え。そして人を指すな。」
「ご飯はコミュニケーションをとる時間なんですー!」
玲一の台詞に熱がこもってきた時分、部屋のチャイムが鳴る。
「ん?これって呼び鈴?」
玲一は聞きなれない音に反応し、聞き耳を立てる。剣は箸を置き、すぐさまドアへ向かい、扉を開けた。
「おはようございます、鹿蔵様。朝早くに申し訳ありません、大和から書類をあずかって来たのですが・・・。」
扉の先には、姿勢正しく虎路が立っていた。挨拶を終え、説明の途中、ふと辺りを見回しだした。
「袴田さん、どうかしましたか?」
「何かよい香りが・・・。なんでしょう?」
「あ、袴田さんだ。」
玲一が箸をくわえたまま、剣の後ろからひょこっと姿を現した。
「これは、木村様もいらっしゃいましたか。」
虎路は再び礼儀正しくお辞儀をした。対して行儀の悪い玲一の頭に手刀を食らわし、注意を促した剣が向き直る。
「ちょうど朝飯食ってたところなんですけど、袴田さんもどうですか?味の保証はありませんが。」
「剣くんナイス!どぞどぞ、めちゃ美味いよ~。」
えっ、と話すタイミングも与えられないまま、虎路は玲一にひっぱられ部屋に入った。辺りには炊き立てのごはんと味噌汁の香りが漂う。くんくんと鼻を鳴らし、テーブルの上を見つめた。
その間、二人はてきぱきと虎路の分のご飯と味噌汁を用意し、おかずを取り分け彼を椅子に座らせた。
「それでは!改めまして、いただきま~す。」
食べ始める二人の前でじっと味噌汁をみつめる虎路。
「もしかして・・・駄目でした?味噌汁。」
「ええ!あ、もしやアレルギーとか?」
二人に交互に話しかけられ、虎路は慌てて手と頭を振る。
「あ、いえ、違うんです。これ、みそしるって言うんですか?食べたことがないので・・・。」
一瞬、部屋の時間が止まったように感じられた。一呼吸置いて、その言葉に玲一が驚く。
「えええ!味噌汁食べたこと無いって・・・はっ。そっか、大和さんとずっと一緒だったらこんな庶民の味は食ったことないか・・・って、逆に料亭とかで食べそうな気もするけど。」
「あの、そうではなくて・・・正しくは、食べていた記憶がないんです。」
虎路はそう言ってうつむき、再び味噌汁を見つめた。
「記憶が、ない?」
剣の言葉に顔を上げ、虎路は困ったように微笑んだ。
「はい。私は記憶喪失というもので、二年より前の、過去の記憶がないのです。」
「記憶喪失!?」
さらりと爆弾発言を落としながら、二人の反応も気にせず、虎路は器を取り、香りを楽しむ。
「だからこのみそしる、という料理も初めて見聞きしたのですが、どうしてか酷く懐かしく感じるのです。」
そう言って、一口すすった。二人は固まったまま、その様子を見ていた。
「・・・おいしいですね。」
部屋に入ってからずっと表情の硬かった虎路が、ふわりと笑ったのを見て、二人の硬直も解けた。
「で、でしょ?剣くんの料理の腕はそんじょそこらのお店に匹敵するからね!・・・てかさ、袴田さん。記憶喪失って・・・大変だったでしょ?」
玲一は我が事のように心配し、虎路に語りかける。
「いえ。何が大変なのかもわからない状況ですから。でも、お二方がここへ来てくださったことは、とても嬉しいです。大和も喜んでいますよ。」
首を横に振り、微かに微笑みそう答えた。
「正直、そんな風に言っていただけると俺たちもありがたいです。」
「鹿蔵様と木村様。お二方と言う仲間が出来て、本当に良かったです。」
そう虎路と剣が言葉を交わすと、玲一は二人の顔をまじまじと見比べた。
「・・・なんだ、玲一。人の顔をじろじろ見て。」
剣は呆れたように玲一に話しかける。
「いやさ、なんつーか、種類は違うけど。二人、しゃべり方が堅苦しいところ似てんね。」
玲一の言葉に、剣と虎路は顔を見合わせた。
「堅苦しい・・・のか?」
「堅苦しい・・・ですか?」
二人が同時に同じ言葉を発したのを聞き、玲一は大きく頷いた。
「ほーら、似てる!袴田さんのは丁寧、剣くんのはなんか古臭い感じなんだよね~。ま、どっちも年相応のしゃべり方じゃないよね。二十代の若者のハズなのに。」
うんうん、とうなずく玲一。その言葉に剣の口の端がぴくりと動く。
「玲一、お前な・・・。」
静かな怒りを察知し、機転を利かせ玲一は剣の言葉を遮りしゃべりだす。
「だからさ!なんかそーゆーしゃべり方になったキッカケとかあるでしょ?特に剣くんのしゃべり方は前々から気になってたんだよね。明らかにしよう、うん。」
腕を組み、一人で勝手に納得したように大きく頷く。そんな玲一の様子を終始呆れ顔で見ていた剣に、不意打ちの言葉が当てられた。
「私も知りたいです。」
虎路がいつもの無表情、だけれども良く見ると、少し瞳がキラキラしているようにも見える。期待に満ちていると思われる瞳を向けられ、仕方なく剣は話しを始めた。
「小さい頃、母さんの仕事が忙しくてだな。家では殆どじいさんと過ごしていたんだ。その時は夕方からあっていた特撮番組と、再放送の時代劇しかテレビが見れなくてな。・・・それと、じいさんが亡くなった後、しばらくそれを認めたくなくて、口調を真似ていた時期があってな。その頃受けた影響が大きく出ていると思う。正直イラッとしたが、玲一の言う通り古臭くて当然だな。」
ふう、と息をもらし、剣はごはんを口に運ぶ。
「なんか、すんません・・・。」
玲一は剣に向いて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「でも、剣くん自分の話あんましないからさ、聞けてよかったよ。」
「お前な・・・。」
真面目に受け取る玲一に、剣は照れたように視線を逸らし、虎路に話を振った。
「袴田さんは、大和さんの秘書なんですか?でも記憶喪失だったんですよね。一体どういった経緯で『守護者計画』は立ち上がったんですか?」
話の途中でまた、呼び鈴が鳴り響く。剣は立ち上がり、同じく扉を開けた。今度は大和が笑顔で手を振っていた。
「やぁ、おはよう。トラの帰りが遅かったもので、気になってきちゃったけど。ここにいる?」
「ああ、申し訳ない。丁度朝飯を食べていたので、一緒にと誘ったんです。奥にいますよ。」
剣が壁際にすっと寄ると、奥のテーブルから虎路と玲一が大和の姿を確認していた。
「わぁ~。え?もしかしてご飯、カノちゃんの手作り?」
「(カノちゃん・・・)あ、はい。よかったら大和さんもどうですか?」
「よくなくてもお邪魔しますよ!」
返事も途中に、大和はスタスタと部屋へ上がりこんだ。
「すみません、大和。」
虎路は頭を下げる。空いている席に座りながら大和は首を振る。
「いやいや。おかげで思いがけない事態に遭遇できたからね。」
「口に合うかはわかりませんが・・・。」
そう言いながら、剣は大和の前に食事を並べ、席についた。大和は目の前に並べられた品々を感慨深く見つめる。その様子を玲一はまじまじと見つめた。
「もしかして・・・大和さんも味噌汁初めてとか?」
玲一の問いに、大和は驚いたように顔を上げ、ふっと微笑み返した。
「いや、流石に食べたことはあるよ。ただ、こういう・・・人間らしいというか。日本人らしい食事自体がしばらくぶりでね。ね、トラ。」
大和の言葉に虎路が頷く。その二人の様子に剣と玲一は顔を見合わせた。たまらず玲一が口を開く。
「一体、何食べて生きてるんすか?」
その問いに大和は笑いながら答える。
「いや、なんというかね。怪しいものを食べているわけではないよ。ただ、ここを拠点にしているから、下のレストランで適当に済ませるか・・・後は宇宙食を食べたり。」
「う・・・宇宙食?」
「うん。グループに宇宙食を扱っている会社があってね。食事をする時間が勿体無いときに、それで済ませることが多いかな。でも一番は適当にサプリメントで済ませることかな・・・。」
「ちょっと待った!」
大和の話に大きな声で剣が制止をかける。突然のことに虎路は首をかしげる。玲一は手で額を覆い、あちゃーとその様子を見つめた。
「大和さん、あなたは俺や玲一と生まれ育った環境が大きく違っていて、価値観が大幅に異なっていることも承知していますが・・・食生活に関して、その自堕落ぶりは黙っておくわけにはいきません!」
お茶碗を手に持って、未だに箸をつけていない状況でぽかん、と剣を見つめる大和。熱のこもった答弁を始めようとする剣をなだめようと、玲一が手を伸ばした。
「剣くん、剣くん。せめて大和さんがごはん食べるの待ってからにしようね。剣くんの食育論が長いのはオレが知ってるから、ね?」
「・・・すみません。」
玲一になだめられ、ふと我に返り、目の前でおあずけを食らっている大和の姿に、いきなり食って掛かったことを反省し、剣はしゅんと肩を落とした。
「いや。多分、人として君が正しいんだと思う。・・・では、いただきます。」
ずっ、と味噌汁を一口。大和はまぶたを閉じ、その風味を味わう。
「・・・ん、おいしい。」
微笑む大和の様子に、剣は胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。」
「カノちゃんは、きっといい奥さんになるんだろうね。」
「俺は男ですが・・・。」
二人の会話に玲一がたまらず噴出す。
「ぶ・・・っ!本気か、冗談か、天然かわかんない・・・!」
その姿に、言葉の意味は解らぬまま他の三人も笑った。茶碗をテーブルに置き、大和は真面目な顔で剣に向き直った。
「実はね、こういうぬくもりのある食事って言うのかな。親が子供に与える、無償の愛情。そういうものがこもった食事を、僕は食べたことがなかったんだ。」
大和の言葉に、三人は真剣に耳を傾ける。簡単に口を開いてはいけない、そんな重々しい空気が流れる。
「食べることは、生物が命を維持するために必要なこと。ただ、それだけのこと。これが僕の生きてきた人生の中での結論だ。今まで食事でおいしい、とか楽しい、とか感じたことなかったけど・・・。」
大和は三人の顔を順に見回し、目を細めて笑った。
「こういうの、いいね。」
「んじゃさ、都合がつけば皆で飯食うようにしない?やっぱコミュニケーションって大切でしょ!」
間髪いれず、玲一が嬉しそうに騒ぎ出す。全員がその提案に頷いた。それから半時ほどして食事を終え、それぞれが剣の部屋を後にし、解散した。
一人になった部屋で後片付けをしながら、剣は考え事をしていた。
(つい先ほど、何かものすごく重要なことを話していた気がする・・・のだが。一体、何を話していたのだろう。・・・もしや老化現象か、これは。いや、玲一から喋り方が古臭いと言われたことが気になっているとはいえ、そうではない筈。と祈りたい。)
剣の部屋を出て、大和と虎路はマスタールームへ戻っていた。
「トラ、あまり迂闊に何でも話してはいけないよ。」
大和は低い声で牽制しながら、テーブルの席につく。虎路は出入り口に立ったままで答える。
「申し訳ありません。ですが大和、あのお二方は・・・。」
「確かに、お前が気を許してしまうほどの御人好し、だろうね。だが私達の目的を彼らに知られてはならない。情報は、あくまで最低限のものを与える他ないんだよ。特に、鹿蔵剣。あれほど純粋だと、僕の本当に意図する『守護者計画』の目的を知ってしまったら・・・。手放すわけにはいかない。彼は『契約者』なのだから。」
「大和・・・。」
大和の思惑が渦巻き、虎路の心中が惑う中。玲一は部屋に戻り、そのまま平和そうに二度寝を堪能していた。自分の何気ない一言に、剣が一人で意外とダメージを受けていたことも知らずに。
ガーディナー結成の翌日の朝の出来事であった。




